古今集・第一番歌に就いての私の解釋

 ふるとしに春たちける日 詠める
年のうちに 春は來にけりひとゝせを こぞとやいはむ ことしとやいはむ
          卷一 春歌上(在原元方)


從來の解釋

「年内(立春ノ日二ナル前)ニ早クモ春ガ來テシマツタヨ。過ギ去ッタ一年ヲ去年ト言ハウカ、今年ト言ハウカ。。」

「年のうちに…」 に於る「年」を暦上の「立春」と解釋し、「春は來にけり…」 の「春」を、春の暖かい風や鶯の聲、梅のかほりの如き「實質」的な「春」と解釋してゐる。
「マダ立春ニモナツテヰナイノニ、早クモ春ノ風ガ吹イタワイ」といつた具合である。
「春は」の「は」を自然な日本語にする過程で多くの解釋に於ては「が」と解し直す。

私の解釋

「マダ實質的ナ春ノ餘感モナイ内二早クモ立春ノ日(二月四日)ハ來テシマツタワイ。曆上ハ春デアルトイフ事ガ嬉シカラザル譯デハナイノダガ、實ガ伴ッテヰナイバカリ二却テ落チ附カナイ氣持チ二ナル。其ガ確認デキル迄ノ日々ガ待チキレナイノダヨ。」

「年のうちに」の「年」を實質上の現象と解釋する。
春の始まりは實からこそ始まるのだといふ態度で、この實重視の態度は同じく春上の歌(一一番歌)「春きぬと人はいへども鶯のなかぬかぎりはあらじとぞおもふ」からも讀みとれる。
「春」を曆上の「春」たる「立春の日」と解釋する。
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 この歌の解釋上重要な部分は、第二句「春は來にけり」に於る助詞「は」であると考へた。
古くは本居宣長の古今和歌集遠鏡から現代の新日本古典文學大系まで、自然な俗語にする過程で「は」を「が」と解釋する試みが行はれて來たが、再考したいとおもふ。

 まづ助詞の「は」と「が」とは中古より其の概念を殆ど變へてゐないゆゑ、直感的意識としてより理解のし易い現代語に於る事例を擧げ考へる。

1、時間通りに彼は來た
2、時間通りに彼が來た

1と2との違ひが、そのまま「年のうちに春は來にけり」を「春ガ來タ」と解すべからざる理由を提供する。一見同意を表すやうに感ぜられるが、前提條件によつて文意は異る。
まづ「彼以外にも來べき人のゐる場合」、次に「來べき人が彼のみの場合」である。

ーー彼以外にも來べき人のゐる場合ーー
1の場合、「彼は」來たが「彼以外の人」は來なかつたといふこと、つまり助詞「は」は「彼」自身を强調する働きをしてゐる。
2の場合、格助詞「が」のフォーカスする對象は「時間通り」であり、彼以外の人間がゐやうがゐまいが内容は變らない。これは「彼が時間通りに來た」と語順を入れ變へても同樣といふ事が直感的に理解せらるると思ふ。ーー來べき人が彼のみの場合ーー
1の場合、今度は「は」のフォーカスする対象が「時間通り」になる。この場合は調度「彼以外にも來べき人ゐる場合」の2と殆ど同樣の意味になる。
2の場合、「彼以外にも來べき人ゐる場合」の2に於る意味とだいたい同じである。

以上で解るやうに、助詞「は」は、自身が修飾(下接)する體言の外に何らかの對象を豫想するか否かによつて、包意する内容が異る。
何らかの對象が豫想せらるる場合は格助詞「が」と同じ意味を表さないが、外に何ら豫想しない場合は格助詞「が」と殆ど同樣の内容を表し得る。
「春は來にけり」を「春ガ來タ」と譯すべからざる所以は此所に見出される。

「春は來にけり」といふのは、
春(立春の日)”は”來た。しかし何か足りない。春を實の面から私たちに知らせてくれる「暖かい風」や「鶯の聲」、「梅の香」がまだ來てゐない。調度上の「彼以外にも來べき人のゐる場合」に於る1の場合と同じである。
名目(曆上)としての「春」に下接する「は」は、實質的な「春」を外側に豫想する



此れゆゑに、「春ガ來タ」ではなく「春ハ來タ」とそのまま譯すべきなのだ。






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