TureDure 6 : Mr. Playfulの最終講義で鳴り響いた汽笛は発車の合図、シュッパツシンコー!!!
ほりこーきが徒然なるままにあることないこと、ただ思いのままに衝動のままに綴るパルプ随想録「TureDure」。今回は上田信行先生の最終講義に参加したことの徒然。Good Boys ? Yes !
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2020年2月9日(日)に同志社女子大学で開催された上田信行先生の最終講義へと参加した。参加者は177名!講義室の前の廊下をSTREETにして路上ライブから始まる最終講義。最後のゼミ生たちのダンスを経て、上田先生がいかにラーニングと出会い、プレイフル・ラーニングを形作ってきたかのストーリーを聞く。
総じて「Learning Show」とも言えた最終講義において、私が受けた衝撃と、溢れんばかりの学びのシャワーについて書きたい。いや、残したい。
魔法の言葉「もう一回!」
当日はトラブルが時折起きた。オープニングのゼミ生のダンスでも音声トラブルで曲が途中で切れてしまった。そうして上田先生から出た言葉は「せっかくなのでもう1回!」であった。そうして再び冒頭からのスタート。会場は一体となる。これがアイスブレイクか。
セサミストリートと今までにないもの
上田先生の話はセサミストリートから。テレビという新たなメディアの登場の時に、テレビで教育を行おうとした人たちが一同に会して生まれたのがセサミストリートであった。上田先生のワークショップの原風景はセサミストリートの制作現場だった。そこでは詩人や学者など多種多様な人々が集まって「まだこの世界にないものをつくろう」として協働していた。そこから上田先生は「学びって楽しくていいんだ」と衝撃を受けたのであった。その時に見せてもらったセサミストリートの映像は、看板や標識など街中に溢れる英語たちを移しながらそれを歌詞にして歌うものであった。こうして子供たちが日常的に囲まれる世界を教材とすることによって子供たちが生活の中でふいに口ずさみ自習を始める様子が目に浮かぶようだった。
誰もテレビで教育ができるだなんて思ってもみなかった時代に、多様な人々が集まり、1つの作品を制作していた風景をどのようにして日本でも実現できるのか、こうして上田先生の実践は加速していった。
2年間に65回のゼミ主催のワークショップ
おったまげたことは、上田先生が同志社女子大学 京田辺キャンパス 聡恵館5階 T556教室での思い出を語っていた際に、最後の上田ゼミ生徒の活動について、2年間で65回のワークショップをしたと述べていたことだ。
おったまげた。2年間で65回ということは1ヶ月に2回以上のワークショップをしていたということだ。ゼミの活動でだ。長期休暇もあるしテスト期間もあるはずなのに????しかも上田先生はご自身でもワークショップをされているはずだ。じゃあ上田先生は1年に何回やってんのさ。
そんなこんなで自分の活動の甘っちょろさを痛感したのであった。
“無茶ぶり”という先端的な教育技法(笑)
そんなワークショップの数をこなすのはどうもにわかには信じがたい。そんな中で上田先生はゼミにおける自分の立場や指導についても語ってくれた。まずは、無茶ぶりしてしまうことだ。当日も何名かの人が上田先生から指名されて話すように促されたり打ち合わせ外の展開が何度もあった。そうした無茶ぶりは上田ゼミでは日常茶飯事のようだ。こうして無茶ぶりをされた生徒はひとまず来週のワークショップに向けてそれはそれはハードに準備をする。上田先生がこの方法を採用する上で重要だと指摘するのは考える時間を与えないことだという(笑)
これは私見だが、考えれば考えるほど、人間はブレーキがかかるものだ。特に乗り気でないものならなおさらブレーキは強くかかるし、たとえ乗り気なものであってもセーブしたものになってしまう。そのため、無茶ぶりにはあまり考える余裕を与えず、先が予想できないように、それこそ即興的なふるまいが生まれるような道化役として上田先生はいるように思われた。
加えて上田先生はなるべく素敵な場を用意することの重要性を指摘する。来週、皆さんはこのステージに立ちます、というように、ワクワクするような場を設定するのが自分の仕事・役割だと考えているようであった。
これからの学びはストリート?
上田先生はこれまでの学び方とこれからの学び方の展望を語ってもくれた。「Learning 1.0」から「Learning 4.0」と分類された「Learning Scapes」では、「学校」ー「スタジオ」ー「舞台」ー「ストリート」と、学びの場の変遷に加え、それぞれに対して「インストラクションを通して学ぶ」ー「作ることを通して学ぶ」ー「パフォーマンスを通して学ぶ」ー「リミックスを通して学ぶ」としてそれぞれの学びの場における学びの過程を説明されていた。
これからの学びの展望として上田先生が語るのはストリートにおける学び、それはジャズバンドのセッションのようにその場に集まった人が互いの意見や理想をリミックスさせながら共に作り上げるような学びのことを指しているようだ。その時にはもちろん意見のぶつかり合いや齟齬も起こる。しかし、そのぶつかり合いや齟齬は互いに自分のやりたいことや夢に対して本気だからこそ「プレイフル・クラッシュ(Playful Crash)」になりうるのではないかということだ。すなわち、相手の意見を否定したり、バカにしたりするのではない衝突の仕方;「なんでそんなふうに思うの?聞かせてくれる?」とか相手の意見やアイデアに興味を持って聞く、そうして自分の考えやアイデアを変化の可能性に開くような衝突の仕方である。
ここは非常にインプロ(即興演劇)の考え方に近しいところが多いように私の鼓膜には響いた。言うなればインプロの過程は随所にこの「プレイフル・クラッシュ」的現象が起こっているように思われる。基本的に相手がどんなアイデアを出してくるのかはそれが表現されるまでは分からない。そこで出てきた相手のアイデアはひとまずは物語の中に否応なく組み込まれてしまうので、そのアイデアと物語の辻褄を正当化する必要がある。その時に正当化として新たに物語に自分のアイデアを組み込んでいく、、、、この過程を繰り返すことでインプロでは即興的に物語を作ることを可能にしている。この正当化のプロセスのたびに自分のアイデアと相手のアイデアとの予想外性に対する恐怖心を和らげ楽しめるようになっていくかがインプロのワークショップで参加者が経ていく学びのプロセスとも言えるかもしれない。この変化の過程は単なる意見のぶつかり合いが「プレイフルなぶつかり合い」へと変わっていく過程と言えるのかもしれない。
「プレイフル」であることと、「研究」をすること
上田先生と言えば「プレイフル」という言葉が真先に浮かぶ人も多いと思う。最終講義であるこの日は上田先生がこの「プレイフル」という言葉から溢れている思いについても語ってくれた。
「プレイフル」というのは単なる「楽しければいい」というものではない。むしろハードでしんどいものだと言う。その言葉通り、上田先生のエピソードはサラッとやり終えました〜的な颯爽とした感じは受けない。むしろよく聞くのは「辛かった」「ほんと大変だった」「やっと終われる」といった言葉である。2年間で65回のワークショップはやはり尋常じゃない。そりゃ大変だし、さぞ骨も折れることだろう。では一体「プレイフル」とは何なのか。
上田先生は「プレイフル」という言葉を「本気でやること」だと言い換えた。本気で自分たちが楽しいと思うことを本気で準備したり、本番を乗り越えるからこそ、そこの楽しさから学びが溢れるんだ。上田先生の50年間の実践を経てきて出た言葉は、先日の高尾隆のレクチャー&デモンストレーションにおいて「表現とは、これだ!という自信を持って行ったことのことだ」という言葉を思い出した。上田先生は自分が探求してきたことはレディ・ガガが言っていたことがすべてだと言った。それは「夢があるなら、そのために戦ってください(If you have a dream, fight for it.)」という言葉に集約されるとすこし悔しそうに言っていた。
この「プレイフル」の姿勢は上田ゼミの研究活動にも一貫して現れているようだ。通常、研究のプロセスは先行研究を調べ、未だ解明されていない領域を見つけてそこについて調査を始めるというプロセスを経ていくが、同志社女子大学上田ゼミの場合は、まず自分のおもしろいことを一生懸命考えて、答えを出してから文献を当たるのだそうだ。そうすると当然すでに誰かしらが自分と同じ考えを発表していたりする「自分と同じこと考えてるじゃん、ジョン・デューイってすごいな〜」となるのだそうだ(笑)
私はこの探究の態度を非常にアーティスティックだと感じた。未だこの世にないことを探究するためには個人的な思いから出発し、それから先人と出会いそのコミュニケーションの過程で自分の表現を見つけていくアートのプロセスと近しいのではないかと思った。
Learning ART
お土産として参加者1人1人に対してCUBEが配られた。掌サイズの立方体で、中身には異なる言葉が書かれたカードが入っていた。私が上のようなことをモンモンと考えながら私のCUBEを開けたら、入っていたカードに書かれていたのは「Learning ART(アートを学ぶ)」であった。そのリンクの仕方にガツンときてしまった。これはガツンときてしまう。何かしらの啓示なのかとすら感じてしまう。これで私の生涯の記憶に残る場面のランキング入りは決定である。ガツン。
おわりに
2020年2月9日(日)は私にとって忘れられない日となりました。私が今、ワークショップという言葉を毎日のように使用している、そしてそれを仕事にできているのは上田先生をはじめ多くの先輩たちが、まだ日本でワークショップが「作業場」以上の意味を持っていなかった、もちろん教育と結びついてもいなかった頃に新しい教育を夢見て、そのために戦ってきたからこそのものであると痛感しました。
本当におつかれさまでした、そしてこれからのご活躍も非常に楽しみにしております。本最終講義においてプレイフルに準備を進めてくださった皆様も、本当にありがとうございました。
『プレイフル・ラーニング』
上田先生の人生とそれに照応した学習科学の発展、そしてワークショップが作られる過程をまとめた名著『プレイフル・ラーニング』が第5刷となったそうです。会場では三省堂の方が持ってきていただいてたので私も1冊購入し、上田先生と中原先生の両著者からサインをいただくという贅沢をしてしまいました。
非常に内容も厚く、ワークショップや学習科学を勉強される方にとっては真先におすすめしたい本です!ぜひお手に取ってお読みください!
プレイフル・ラーニング https://www.amazon.co.jp/dp/4385365644/ref=cm_sw_r_cp_tai_a2PqEb97R87VK