人を助ける理由
道で人が意識を失ったように倒れている時は必ず声をかけるようにしている。老若男女問わず。人通りの多い駅で女の人が飲み過ぎで倒れかけたりしたら、一番近いその辺の男が解放したりしてるので、その状況なら声をかけないが、誰も手を差し伸べなくても必ず自分は手を差し伸べる。そうしている。
これには理由がある。それは、大学時代に遡る。当時は、家から大学までバスで2時間以上かけて通学しており、一限に出るときは朝5時に起きる時もあった。
その日は、朝から体調が優れなかった。面倒なテストの一週間前くらいで、かなり寝不足だったと思う。それなのに、一限に間に合わせるために五時に起きて、通勤ラッシュの満員バスに乗った。朝の時間は座れないことが多くて、満員だったこともあって、私はかなり気分が悪くなっていった。それでも、なんとか意識を保って、バスを降りたのだが、降りた瞬間に目の前が白くなりかけて、バス停の奥の芝生に寝転がった。それからは、道行く雑踏を聴きながら、遠のきかける意識と共に、なんとか呼吸を繰り返していた。そんな時に、少し遠くで(実際はまあまあ近かったかもしれない)声が聞こえた。
「ねえ、あれ助けた方がいいのかな?」
「___」
今思い返せば、朝の雑草の匂いを嗅ぐ前から彼女らはしゃべっていたような気がするが、覚えているのはこの台詞だけである。この瞬間から、爆発的に覚醒して、なんとか上体は起こすことができた。
呼吸を整えた後、怒ったように、教室へと向かっていたのだが、なんとなく、脳裏に気にもとめなかった過去の映像が浮かんできた。同じバスに乗っていて、体を丸めてしゃがみ込んでいた女性。その日も満員で、私はドア付近で、ぎりぎりの場所で立っていた。彼女はバス前方におり、私と少し離れていたので、声をかけるべきか、否か悩んでいたのだが、珍しい場所で停車ボタンがなり、直後に彼女は降りていった。すぐにバスは運転を始め、ドア越しから彼女を見ると、外で一人うずくまっているようだった。なんとかしたかったが、その日は線形代数のテストで、という言い訳をしたのだ。
自分は、あの女たちと、道行く人と、一緒だと思った。だから、道端で倒れている人がいれば、絶対に助けることを決意した。用事があろうが、無かろうが関係ない。
そう意識を変えた瞬間から、かなり変わった。まず、道を聞いてくる人の数が増えた。下手すれば、毎日道を尋ねられたりする。変な募金にも、変な宗教にも声をかけられやすくなった気がする。それから、自分が急に倒れて死んでもしょうがないと思うようになった。
誰も助けなければ、自分が助ければ良い。なんて、ヒーロー気取りかもしれない。
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