桜の散る花びらの下
昔、桜並木の下が不気味だと表現した風流人がいた。それは短い小説ではあったが、小説の体をなしていたので読むには少々時間がかかる。今の時代に彼の感性があったのなら一言「桜並木の下はひどく不気味だ」とつぶやくのだろうか?或いはもっとマシな言い回しがあるのかもしれない。
ソメイヨシノはクローンである。今の研究ではそうなっているらしい。春の同じ日に咲き始め、示し合わせたように散っていく。まるで学生時代に刈り揃えられた坊主頭たちのようである。
そんなソメイヨシノも最近寿命を迎え始めているらしい。多くの創作のクローン人間と同じように長くは生きられないようである。また、同じでも死ぬ日が違うのはなんともそれらしく感じる。聞いた話によると、伝染病やら中身が腐るやらで多くは倒木の恐れがあるらしい。私の近所の桜の木に赤いテープが巻いてあったのを思い出す。身近なことほどリアリティを増す。
もしソメイヨシノを植え替えるならどうするだろうか?もう一度ソメイヨシノを植えるだろうか?それとも違う桜を植える?或いは、いろんな種類の桜を植えても面白いかもしれない。もちろん、私にはそんなことを決める権限など持ち合わせていないため決められないが、今の時代の流れを考えるとそれは各々で自由にすれば良いと思っている。刈り揃えられた坊主頭ではなく、いろんな髪型があっていい。もちろん坊主頭でも良い。伝統を受け継ぐも良し、壊すも良し、その時代によって桜は変わっていっても良いのだ。そうして、また次の時代に植え直せば良いのである。そんな理想を夢見ている。
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