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傷つけない言葉

日々の中で、「言葉」というのは難しいものだな、と感じることがままある。一緒に暮らして6年になる私のパートナーが日本語を母国語としないため、私にとっては外国語である英語を介して、日常的にコミュニケーションをしていることが理由にあるかもしれない。私の英語は、完璧とは程遠いものである。ただ、日本語であっても、自分が発する言葉に、明確に自認していなかったニュアンスを感じ取ることがある。

Kindle版を購入してから何度も読み直している、「LGBTを読みとく - クィアスタディーズ入門(森山至貴 著)」の中でも、言葉に現れる「態度」について触れられている。著者の経験上、セクシャルマイノリティを下に見ている態度を感じる人が、意外にも「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが・・・」という前置きを使いがちだとのこと。これは、ネガティブな意見を言いたいが、自分が「善人」であることも強調したい気持ちの現れなのではないかと著者はいう。私も、正にこれを無意識にしてしまっていた。

パートナーと話をする時、何かについて否定的な意見を述べたいけれど、自分の発言に差別的な意図がないことをアピールするために、 "I don't have a problem with ○○ but..." という枕詞をよく使っていたのだ。その後に続く言葉は、決して偏見がないとは言い難い内容であるにも関わらず。。。著者のこの指摘は、私にとっては正に「目から鱗」であった。

一方、セクシャルマイノリティを傷つけたくないと心から思っている人たちはよく、「何が偏見なのか自分はわかっていないかもしれない」という不安を口にすると著者は書いている。自分の言葉で誰かを傷つけないために、正しい知識を得ようとすることは、「善人アピール」よりも貴いものなのではないかという著者の考えに、私も共感する。一番重要なのは、「相手が傷つかないこと」であり、「相手を傷つける意図を私が持っていないこと」ではないから。私自身、自分の「態度」が誰かにとって差別的なものになってしまっていないか、心根に偽善がないか、常に不安を抱えている。まだまだ学びが必要だ。

クィア・スタディーズの入門書として、単語だけに留まらず、多様な性とLGBTQに関する知識に幅広く触れることが出来るこの本との出会いは、私の中にもある「『良心』の暴力」の存在を教えてくれると同時に、知的好奇心を満たしてくれる素晴らしいものだった。巻末の参考文献も充実しており、読者それぞれが、更に学びを広げ、深める手がかりを与えてくれる。

個人的な経験を誰かに投影して、一人ひとりぞれぞれ違うはずの経験を、勝手に理解したつもりになっていまわないように。そして、自身の意図せず差別的な言動の言い訳にしてしまわぬよう、冷静に知識を身につけながら、自分の発する言葉を観察していきたいと思う。

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