バーに行くこと

ひとりでバーに行くことに、ハマったことがある。

26を過ぎた頃。月に数回、一度に4、5杯飲んでいた。

酒に酔うことも目的のひとつだが、文化としての酒が好きだった。

日本の伝統、飲みニケーションではない。ヨーロッパの麦の香りとか、歴史的な逸話だとかを好んだ。時に店主に質問しつつ、ひとりで酒に向き合った。

初めて独りでバーに行き注文したのは「マティーニ」。007の様な気取った注文は出来なかったし、オリーブも当時はあまり美味しくいただけなかった。

サリンジャーの小説『バナナフィッシュにうってつけの日』に登場する女の子シビルが好きな食べ物、マティーニのオリーブ。

少女の純粋な味覚にも寄り添えず、ドライな大人の好みにも近づけない。私の記念すべきひとりバーは半端に終わったのだった。

今では好きな人と飲むことを優先して、ひとりで酒を飲むことは少なくなった。

それでも時々、ふと飲酒したくなる時がある。


今の私は、何のために酒を飲むのだろう。

当時の私は酔うためよりも、時々人と話して、文化に優しく向き合わせてもらう、そんな感覚を愛して通った。

時々飲酒を考える、その理由は今は様々。

むしゃくしゃした気持ちを酔いで誤魔化すこと、落ち込みを酔いで紛らわすこと、忘れること。今望むのはそういった、気持ちの一部を忘れるということ。

今日の私は、ひどく疲れた心を抱えている。

美味い酒が効果を発揮するかもしれないと買ってみた缶のハイボール。成城石井ブランドは美味しいと、ウワサに聞いて寄り道した。

持ち帰りながら思い出す。かつてバーに通った日々。

不相応だという意識、背徳感があった。お金もかけた。いつ訪れても優しい空間だった。

適度に放置されて、気が向けば話して、沈黙したければグラスを見つめる。

私は精神の自由を得ていた。

酒によるのか、空間か。

今の私は、ひとりで家で飲めるのだろうか。

帰宅する足が止まる。

求めるのはいつも精神の救いだ。

今宵の私はどちらを選ぼうか。

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