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子守.....定年後の私の生活

 私が、近所の人に「今でも、孫の世話に行ってるねん・・・」と言うと、「子守はしんどいやろ?」とよく言われる。「ええ時も結構あるで~」と私が言うと、「ええ!!!!」と驚く人が多い。

@ 定年後の私

 60歳で私は定年を迎えた。定年前から、私は、働いていた現場で感じた、いろいろな疑問を整理したかった。定年を迎え、すぐに1年ほど母校に通った。私は講義を受けながら、自分の考えをまとめようと思っていた。定年後の、自分のライフプランを考えるきっかけにしたかったこともあった。次の年からは、自分のペースで農作業を始めた。育児休暇中の娘の家にもときどき行き、二人の孫の面倒を見た。この2年間に、妻と旅行にもよく行った。

 3年目になった。娘が育児休暇を終え、現場に復帰した。孫たち(当時しょうへい3歳・りかこ2歳)は、保育園に通うことになった。登園は、娘夫婦が担当した。私と妻は、毎日、電車に乗って、ほぼ1時間かけて娘の家に行った。そして夕方の4時に、保育園に迎えに行った。その後、孫たちが園庭で遊んでいるのを私たちは見守った。5時になると家に帰り、幼児番組等を一緒に見て子供たちと一緒に過ごした。6時半ごろに娘が帰宅すると、私たちも自分の家に帰った。妻と二人の子守は4年間、りかこが小学校入学まで続いた。

 その頃の私は、朝は農作業、昼から孫の子守の生活だった。土日は、地域の行事もあったので、午後から農作業をした時もあった。定年後、自治会や村の役員を務める時期もあった。農業で忙しい時もあり、村の行事やその準備で忙しい時もあった。しかし、どうにか孫の子守も続けることができた。

 りかこが小学校1年(しょうへいが小2)になったころから、私はひとりで子守に行くことになった。孫たちは、小学校から通学団の友達と家に帰ってきた。私は、家で子供たちの宿題を見守り、スイミングやサッカー教室や書き方教室の送迎もしてあげた。

 子どもの成長とともに、しょうへいは少年野球に入団した。りかこは、ピアノ教室やテニス教室にも通うことになった。放課後に、小学校の友達とも遊ぶようになった。友達と駄菓子屋さんに行くこともあり、子供たちの生活も変化してきた。

 2年ほど前から、今後の子供の自立を考え、木曜日を、私が子守に行かない日とした。木曜日は、孫たちは、家の鍵をもって学校に行き、帰ってきた時は、自分たちで鍵を開けて家に入り、宿題をして両親の帰りを待つことにした。去年から、火曜・金曜の週に2日は自分たちで放課後をすごしている。

 @ サツマイモをとりに来た姉と

 私の家から車で30分ほどのところに、私の姉がすんでいる。「サツマイモを掘ったで~」と電話すると、私の家の畑にサツマイモをとりに来た。そして私たちは話をした。姉は、長い間教員をしていたが、退職後は、旅行に行くなど、年の割には元気に毎日を過ごしている。

(姉)「まだ子守に行ってあげているんやろ」              (私)「うん」                            (姉)「もう何年になるの?」                      (私)「8年目やで~」                        (姉)「そうやな~。みちこ(私の娘)が育児休暇が終わって、孫を保育園に二人預けてからずっとやな~。今何年生になったん?」               (私)「しょうへいが小学校5年。りかこが4年になるねん」

(姉)「はやいもんやな~。もう8年になるんやな~。せやけど子守はしんどいわ。子どもやから、病気もするし、ケガもするし。しょうへいやりかこが保育園の時はしんどかったやろ?」                  (私)「そうやな~。しょうへいのほうがよく病気したわ。溶連菌感染症になって、よう熱がでたわ。朝から、娘の家に行って、かかりつけの病院に連れて行ったこともようあったわ。」

(姉)「小学校になったらまた違ったやろ。いじめ問題もあるし・・・」     (私)「しょうへいが小学校に入学したころに、右手複雑骨折したんやわ。同じころ、りかこの首が回らんようになったんやわ。ふたりが同室で医大の小児整形の病棟に入院したときはたいへんやったわ。」

姉は「今も子守はしんどいことない?。小5と小4になってんやろ?。」と言った。私が「そらー、しんどい時もあるで。しょうへいもりかこも、学校から帰ったら、ランドセルを放り出して、制服のまま、ソファーに横になって。いつまでも、YouTubeを見ている時もあるで~。ええかげんにしとき!というときもあるで。しょうへいは最近、帰ってきたと思ったら、すぐに遊びに行くわ。5時半に帰るわと言って出かけるけど、いつも帰りが遅いねん。腹が立つこともあるわ。せやけど~」と話を続けようとすると、姉は、「そうやろ。小5と小4やろ。むずかしいころやな~。学校での様子や友達関係などを、聞こうとしても大事な話はしないやろ。叱るとすねるし・・・」と話し出した。私は、「そやけど、楽しいこともあるで。どっちかというと、しんどいより楽しいで。」と言った。「へー・・・」と言って姉は黙った。

「俺な、子ども(孫のしょうへいとりかこ)といて、だんだんと、『子どもといるのもええな』と思うときも増えてきたわ。そら、はじめは家内と二人で子守に行っていたんやで。朝から、農業もして、昼から子守に行っていたんや。しんどい時もあったで。

せやけど、俺な・・・、しょうへいやりかこの保育所の砂場で泥だんごを作ってやったんや。砲丸の玉みたいに大きい泥だんごを作ってやったんや。そしたら、ほかの園児も、おじいちゃんつくって!!と言うてきたんや。それで、ほかの子供たちの泥だんごも作ってやったんや。そしたら、砂の感覚が懐かしく感じてきたわ。俺ら、小学校の砂場で、みんなで大きな山つくったり、トンネルをつくったり、落とし穴を掘ったやろ。その時の手のひらの感覚やわ。子どもの時の砂遊びの感覚やで。

小学校になっても、連休や夏休みには、しょうへいとりかこは、俺の家に泊りがけで遊びにきたわ。しょうへいは、うちの近所の同じ学年の子らといつも外で遊ぶねん。あぶないことしてへんか、時々見に行くねんけど。

夏休みのことやったわ。暑い日の、それもお昼ご飯食べ終わったころに、その子らが遊びのさそいに来たわ。そしたらすぐ、しょうへいも、たもや小さい水槽をもって遊びに行くねん。きれいな小川で、沢がにやヨシノボリやハエ(オイカワ)などの小魚をとってるねん。足首ぐらいしか水が流れてへんきれいな小川やし、俺らも昔遊んだところや。1時間ほどしてから見に行ったら、『おじいちゃん、沢がに、砂の中に逃げた~。どうしよう。』としょうへいが言うてん。そやから、俺が水の中に入って、たもで砂をしゃくるようにして沢がにをとってあげてん。暑い時に、冷たい水の中に入るの気持ちよかったで~。これも、子どもの時に感じたのと同じやなと思ったわ。

俺の子守は、子どもと楽しんでるで。『ここから先は、おじいちゃんとしか行ったらあかん。もっと先に行くんやったら、絶対におじいちゃんに言わなあかん』と言いながら、俺がガキ大将気分で、俺が楽しんでいるわ。そしたら、『子供の時に感じた気持ち』のようなものを、俺は感じることもあるねん。俺も童心に帰って、子どもと遊んでいる気がするねん」と私が言った。姉は、「ふーん」とまだけげんそうに言った。

私が「俺の子育ては、幼年期を再獲得(再々獲得)していると思ってるねん。俺は今『幼年期の再獲得期』にいると思ってるねん」というと、姉は、また「ふーん」と言っただけだった。「俺が子供のころに行った古井戸に、しょうへいや友達を連れて行ったこともあるわ。しょうへいには『探検に連れて行ったるわ~。』と言って連れて行ったんや。ほんまは、俺が小学校のころに行った古井戸を確かめたかったんやと思う。なんか小さい時の心が残っているんやな~。せやけど、こんなところに一人で行ったら、山の中をさまよう変な老人やで。」というと、姉は「そういわれたらそうやな」と言った。

(私)「去年の夏の朝早い時間に、一人で虫かごもって、前のクヌギ林に行ったんや。クワガタとろうとして、前の夜から密を塗っておいたんや。クワガタを探している時、散歩に来た知り合いにあったんや。何してんの?と聞かれたから、孫がクワガタほしいと言うたんでとりに来たんやというてん。そしたら、『子どもはカブトや、クワガタ好きやからな~。早朝からご苦労さんやな~』と言ってさっさと歩いていったわ。朝の早い時間に俺のような年になって、一人でクヌギ林にいけへんで~。」(姉)「せやな。」              (私)「小川に入って魚を取っている時も、探検している時も、クワガタ採っている時も、孫が行きたいとか、孫がほしいと言うてんので・・・・。なんか、孫のことを言いながら、自分の子供のころを探しに行っている感じやで・・・。」                          (私)「他にも、りかこと、駄菓子屋さんに行った時も、俺の昔の駄菓子屋さんのことを思い出したわ。カナヘビとりに行った時も、野球の練習を見ている時も、思い出す時があるで。俺は、昔の自分をふと思い出すことがあるわ。」

(姉)「ところで、今は、子どもはどう思っているんやろ。もう小学校高学年やで・・・」                          (私)「子どもらは、俺が行かへん時は、自分たちで、鍵を開けて家に入るで。俺がいかへん日は、こわい人が来たらどうしようと思って、不安になるらしいわ。俺が行っている時は、カーテンが開いているから、団地の入り口でわかるらしいわ。俺が来ているとわかったら、力が抜けて、お腹が急にすくらしいわ。ほっとするからってりかこはいってたわ。りかこは、私が中学校を卒業するまでは、来てほしいと今は言っているわ。『今は』そう言ってるけど・・・」

姉が、「これから、思春期や反抗期になる、むずかしい年ごろやな~」と言った。私は「思春期や反抗期の再獲得する時期やと思ってるねん。これからしょうへいやりかこから、いつ、どんな形でフェードアウトしていく(静かに去って行く)かが、俺の課題やねん。このほんの数年のことやわ。しかし、これが淋しいねん」と私が答えた。「ほんまやな。つらいけど、いつまでも子供とちがうからな~。ま~、それが子育てやな~」と姉は言った。

姉は、外に干してある、きれいなサツマイモだけをかごに入れた。「あっ。もうこんな時間や。帰るわ。ま~、さいなら。」といって急な畑の坂道を下りて行った。そして、サツマイモを車に乗せて家に帰っていった。青空に吹く風は爽やかだった。しばらくすると、正午の告げるサイレンも遠くから聞こえてきた。

おわりに・・・・

定年後の仕事は泥だんごによって大きく変わっていった。しなければならない子守が、楽しくできる子守に変わっていくきっかけになっていた。泥だんごで、子どもがよろこんだ。私も、楽しんだ。子守を終え私と妻は、家に帰った。私には、心地よい疲労が残っていた。心地よい疲労は、晴れやかな気持ちに包み込まれていた。



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