#44 休日の子守

土曜日の午後、用事で息子の家に行った。昼寝が終わり孫のはやたはおやつを食べていた。食べ終わると、「外で遊ぶ~」とはやたは玄関を開け外に出た。ストライダーに乗って、家の前の道を風を切って往復した。はやたのお父さんは、道の角に立って、はやたの動きを見守っていた。

同い年のそら君のお母さんが玄関から出てきた。遠くにそら君のお母さんを見かけたはやたは、急にそら君と遊びたくなった。はやたは、そら君の家までストライダーで急発進し、玄関のインターホンのところに乗り捨てた。そら君のお母さんに、「そら君、あそぼ」と言った。お母さんは、そら君をよびに家の中に入っていった。しばらくして玄関に出てきたおかあさんは、「そらは今プラレールに夢中やから、今日は遊べへんわ。また、あそぼ。」と言って玄関を閉めた。

そら君の家の前の道で、はやたはしょぼんとして泣きそうだった。あわてて、はやたのお父さんが、家に連れて帰ろうとした。しぶしぶ家に帰り始めたはやたが、今度は、「そら君と遊びたかったのに・・・」といって道のまん中に立ち止まって泣き出した。さらに、「この前に遊ぼうと言うたのに・・・」と道に寝そべって大きな声で泣いた。お父さんも仕方なく付き合った。

しばらくして、お父さんが「今日はそら君と遊びたかったんやな~」といった。ようやくはやたは「うん」といって泣き止んだ。おとうさんは、左の手ははやたとつなぎ、右の手にストライザーもって家に帰っていった。私は、道に寝そべって駄々をこねることで、自分の意思を表現しているはやたに、幼児の成長を感じた。さらにわたしは、寝そべったはやたへの、父の『言葉がけ』に驚いた。「今日は、そらくんと遊びたかったやな~」って、カウンセリングでいう共感的な言葉使いだ。こんな言葉かけができるようになったはやたのお父さん(私の息子)に、お父さんとしての成長を私は感じたのだ。

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