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ゲイアプリでマッチングした相手が高校時代の同級生だった

そして、その彼こそが今のパートナーである。


いつもの様にマッチングアプリを眺めていると、気になるアカウントを見つけた。
海に向かって両手を広げ、ピースをしている後ろ姿のプロフィール写真。
自己紹介は2、3行の簡単な挨拶で済ませていて、年齢も同世代ときた。

「俺、多分この人のことめっちゃ好きだわ」
そんな確信めいた直感が舞い降りた。
付き合う人の条件として海が好きな人であることを掲げていた身からすると、単純にプロフィール写真の構図に惹かれた感は否めない。
ただ、それだけでなく、写真から滲み出る雰囲気がとても良く思えたのだ。

とりあえずメッセージを送ってみよう。
しかし、その内容はしっかり吟味しなければならない。
まかり間違っても「こんにちは!」のみのテキストなんて問題外である。

出先だったので帰宅してから文章を練ろうと思い、ブックマーク代わりに一旦イイネだけ押して画面を閉じたのだが、数分後にアプリから通知が届いた。

なんと、向こうからメッセージが届いたのだ。
「イイネありがとうございます」みたいな簡単な文章だったと思うが、狙った魚が自ら釣り針にかかりにきてくれたのである。

どんなリアクションだと印象が良いのだろう。
そんなことを考えあぐね、帰宅するや否や脳内で推敲を重ねた文章を打ち送信ボタンを押した。

ふぅ。
それにしても、こんなに一つのメッセージに集中したのは久しぶりである。
後ろ姿以外、彼についてまだ何も知らないというのに。

その後、彼からの返事を知らせる通知音はほどなくして鳴った。

メッセージには人それぞれ個性がでる。
(笑)派か、笑派か、w派か。
絵文字はつけるのかつけないのか。
そういえば昔、アプリで「どちらにお住まいなんですか?」という質問に、「〇〇市に住んでます」と、文末にネズミの絵文字を添えられて返ってきたことがある。
言葉と絵文字の関係の無さと、その絵文字がデコメで使われる様な立体的なやつだったことがなんか嫌で一線引いてしまった。
逆にこちらがシャットアウトされてきたやりとりの中には、同様に理不尽なものも沢山あったのだろう。
世知辛いが、アプリとはそういうものだ。
だが、彼のメッセージに違和感を抱くことはなく、むしろやりとりのテンポも言葉選びも好印象だった。

「顔写真交換しませんか?」
ある程度の人となりが分かってきた頃、彼が提案してくる。お決まりの流れだががっついてこない所もまた良い。
言い忘れていたが、僕も同じ様に雰囲気が分かるくらいの写真しか載せていない。

送信ボタンを押そうとしてふと、一つ気になった。
彼が住んでいる町について。

「写真送る前に一つ聞きたいんですけど、今って実家暮らしですか?」
どうかそうじゃありませんように。と、祈る様にメッセージを送る。
すぐに返事はきて、そこにはこう記されていた。

「こっちが地元で実家暮らしです」と。

……終わった。
地元が同じで同い年は終わった。
実家暮らしの人間にめぐり合うことがめっきりなくなっていたから、その可能性に思い至らなかった。
地元は全員が顔なじみの限界集落とかではないが、確実に共通の知人はいることになる。
それどころか、彼自身が知り合いである可能性だってあるのだ。

隠れゲイとしてひっそりと生きてきたのに、地元で変な形でしがらみが生まれてしまうのは避けたい。
周囲に隠してきた「ゲイ」という事実がいつ漏れ回ってしまってもおかしくない状況に飛び込むのはリスクが大きすぎる。

「地元も年齢も同じって、これ、パンドラの箱な気がするんですよね。開けちゃまずい気がします。なのでめっちゃ残念ですけど、もう関わるのは辞めましょう」
泣く泣くメッセージを送る。
しかし仕方がない。触らぬ神に祟りなし。いや、めちゃくちゃ残念だけど。

しかし以外にも、向こうが粘ってきた。
「もう仲良くなってしまったし良くないですか?」って。
そこからは、せめて知り合いじゃないことを願いつつ、小中学生の頃に友人と好きな人交換をしている時みたく、「通っていた中学校は駅より北側か南側か」とか「高校は〇高か〇高か〇高」の様にちょっとずつ自身に関するヒントを与えあった。何だこれ、楽しい。

提示される選択肢はひたすら自分と重なるのだが、知り合いではない気がしてきた。
どれだけ思い返してもこのやり取りをしている先の人物像と一致する人が思い浮かばないのだ。

「もう写真送っちゃいますね! 俺はこんな感じです」
痺れを切らし、突如向こうから顔写真が送られてきた。
良かった。やっぱり知り合いではない。

「心配無用でしたね! 俺はこんな感じです」とこちらも写真を送り、改めて彼の写真を見直してみた。

……おや?

うっすい記憶の水たまりの中にボチャンと小石が投げ込まれたかの様に、脳がざわつく。
気が付くと指を動かしていた。

「って思ったけど、同じ高校ですよね!?」

全く同じタイミングで向こうからもメッセージが来た。

「高校で一緒でしたよね?」と。

そう。結局知り合いだったのだ。高校の同級生。
同級生といっても同じクラスになったこともなければ話したこともない。
いたことは何となく思い出せたが、名前とかは一切出てこなかった。
3年間一瞬たりとも関わることが無かったので、気まずさは生まれずに済んだのは良かったのだが。

それから何度か遊び、僕達は付き合うこととなる。

そして、彼と付き合ってから僕の生活は一変した。
テーマパークや花火大会の様な、およそ男女でしか踏み入りづらい場所に行く様になった。
以前までは同性のパートナーが出来ても、周りにどう見えているのかが気になって一緒にマンションのオートロックに入るだけでも嫌だったのに。

そういうことがあまり気にならなくなったのは、同級生だからある程度バックボーンが分かる安心感と、やっぱり半分くらいは友達としての感覚があるからだと思う。

そして同棲をすることになり、今ではその暮らしも2年を過ぎた。
ひっそりと生きていた筈が、今では仲の良い友人達や親も僕達のことを知ってくれている。

勿論、一緒に暮らしているので時々小競り合いは起こる。
けれどその度に、自分の人生には訪れることの無いと思っていたことが彼と付き合えたからこそ経験できた感謝とイラつきを天秤にかけてみるのだ。
この感謝貯金の残高はありきたりなイライラ如きではもろともしない。

僕達はあの時、確かにパンドラの箱を開けた。
有名な話で、パンドラの箱は最後に「希望」が残ると言われている。

僕達にとって最後の日はいつ訪れるだろうか。
大学生の付き合いとなんら変わらない関係性において、二人の歴史を閉ざすのは容易いことである。

けれど、どんな形であれ「終わり」が来た時にちゃんと二人が希望を持ち帰れる様に。

僕は今日も君との日常を積み重ねていく。



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