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見方日記 9/16〜

雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。

9月16日

試すは、ためす、と読む。
験すも、ためす、と読む。

実は、試験とは、ためしてためすこと。
経験や体験や試行錯誤の延長にあるもの。

そのようにとらえると、
なんだか来て欲しくない
できれば避けたい
嫌なものに思っていた「試験」が
なにかポジティブなものに思えてきた。

かき米。 麦芽氷。

小籠旬。 小栗包。

入れ替え可能?チャレンジ漢字

9月17日

近所を散歩していると、交差点にて

「この話を聞いたら面白いと思うと思うよ。」

という声がふと聞こえてきた。

その面白いであろう話の続きより、思うと思うよ、の「思う二重構造」に気を取られ、その面白い話は聞き逃してしまった。

桑田佳祐さんのインタビュー

「若い人たちも歌いたいことがあればどんどん歌えばいいと思う。創作は自由なんだから。ただ、そこで『似合う』/『似合わない』ということが結構大事で。例えば(ビート)たけしさんは政治についてよく話すけど、(明石家)さんまちゃんはあまり話さない。お二人ともよくわきまえているから。芸風やキャラクターの『向き』/『不向き』もあると思うんです」

「歌の語源とは『訴える』なのだと言うけれど、歌とはどんなにつらく悲しい状況でも人の心の奥底を温め、時間の経過とともに少なからず『求めてもらえる』『呼ばれる』ものなんでしょうね。災害に見舞われた場合も、差別や虐待といった苦境の中にいる場合でも。それこそが歌の正体というか本質なのだろうと感じます」

「手術の直後から、強烈な逆流性食道炎のような症状を頻繁に繰り返すようになってしまった。僕の場合は胃の一部と食道を切除したんですが、その時に胃の弁も取っちゃったんで、喉の近くまで引っ張り上げた胃の入り口が開きっ放しの状態。その日の体調やメンタルも含め、何かのきっかけで、胃や大腸の動きが悪くなって逆流が起きてしまう。そういう日は高熱が出たり、嘔吐したり、咳が出たりして。それが3日間くらい続くこともある。悪化させると肺炎にもなりかねないので、夜間はベッドで寝ることもあるけど、ここ数年はほとんどリクライニング・チェアで頭の位置を高くした状態で寝ています。ハンデと言うほど大袈裟なことでもないけれど、これが音楽活動を続けるうえでの最大の難敵。でも、もっとつらい状況で闘っている方々はいっぱいいるし、これも自分の実力のうちだと思って背負っていくしかないんです」

9月18日

台風のため、、、

中止しません!

というレトリック。

不倫に大小はないですからね。

というバカリズムさんのツッコミ。

空気で形作るという発想。

メジャー移籍後は国際電話で長嶋監督が松井さんのスイングの音をチェックしたこともあったそうだ。

スイングを「見る」のではなく、音を「聴く」。

それで通じ合える関係性。

電話を、話すのではなく、向こう側の音を聴く、という使い方をするということ。

ママのお腹の中にいながら。
パパの抱っこで。
ベビーカーで。

バスや電車に自分の足で乗る前から
ママとパパと一緒に
たくさんの乗り物に乗ってきた。
流れる風景。いっしょの時間。
楽しかった。
だから。
僕は乗り物が好きなんだ。

電車の中、隣で楽しそうに話す小さな男の子とお父さんを見て、そんなことが聞こえてきた。

声としてではなく、風景として。

谷中は、何度歩いても、迷える。(いとうせいこうさん)

迷える、という価値。

目線を低く。(白石監督)

デモのとき
飲食どうしてる?トイレどうしてる?
そんな裏側を取材していたら、
気がついたらデモ隊の先頭にいた。

五感はあとから見てもわからない。
そのとき食べちゃった方が早い。

ものさしは持ってもいいけど、
あてない。

(丸山ゴンザレスさん)

9月19日

シャカシャカシャカ。

朝、ホットケーキを作るため、卵を泡立て器でかき混ぜる。

シャカシャカシャカ、か。

なんだか、朝から仏を感じた。

そういえばフランスって仏蘭西ってかくな。
仏の感じと西洋の感じとがミックスされていて、なんか文字面いいな。

9月20日

流れ星を見た

まっすぐじゃなく
野球のフォークみたいに
少し曲がって見えた

もしかしたら
みんなの願いが
少し重いのかもしれない

録画に残っていた昔のドラマを観た。
その編集方法というか構造が面白い。

99・9の編集


依頼人からの無実を証明するために、証拠を探索する。


「じゃあ、緑色のタクシーをかたっぱしから止めよう。ここに止まってたんだとしたら、菊池さんたちを目撃している可能性がある。」

「東京に緑色のタクシーが何台あると思ってんの?」

「やってみなきゃわかんないでしょ。ほら、早く連絡して。」


BGMじゃじゃじゃじゃっじゃ


タクシー①

松潤
「あのすいません。6日の2時半ころ、ここに止まっていませんでした?」

運転手さん
「いやあ、止まってないよ」


タクシー② 

榮倉奈々
「じゃあ、あそこで止まっていたタクシー見かけませんでした?」

運転手さん
「いやあ、見てないね〜」


タクシー③

渡辺真起子さん
「じゃあ、そんな話聞いてないですか?」

「知らないな」


タクシー④

ラーメンズ片桐さん
「じゃあ、」

運転手さん
「ふざけんな!とまってねーし、しらねーよ」

片桐さん
「すみません!」

同じ「じゃあ」の質問構造を、カット割で4人に振り分けることで、ボリューム感あるタクシー運転手へのじゃあの質問攻めの探索をギュッと短時間にまとめている。

9月21日

どうしても、
フビライには
エビフライを、
フビライ・ハンまでいくと
フライパンを想起してしまう。

アナグラム遊びの予感。

BRUTUSを読んでいたら、

みうらじゅんさんの肩書きが、

「イラストレーターなど」

だった。

これからは「など」の時代かな、
と思ったが、
そう簡単に「など」が似合うようにはならない。

境内の桜をスマホで撮る女性



をインスタントカメラで撮るみうらじゅんさん



を撮るテレビカメラ



の映像を見ている自分



という状況を読んでいるあなた

9月22日

野口健さんがエベレスト登頂を目前で諦めたときのエピソード。

極寒の極限状態で彼女からもらったお守りの香水瓶を液体ごと飲んだ。かぐとかそんなこともできないくらい寒かったから。香水は苦いそうだ。

すると「帰ってきて」と彼女の声がした。

その声のおかげで諦めることができた。
登頂を強行した相方は結局失敗し、命は助かったものの両手を凍傷でなくしてしまったそうだ。

100gの砂糖に5gの砂糖を加えると
105gの砂糖になる。


100℃のお湯に5℃の水を加えても
105℃のお湯にはならない。



あれ、なんでだっけ?



数字だけを見ていると、
時々、わからなくなる。

円の接線の作図をした。


虫めがねでよく見ると
円と直線は
接していなかった。


手順と概念では接しているのに。

ユースケ・サンタマリアさんがロケで
「6時間喋ってます。」というウソ。

編集をするという、テレビに対する視聴者もわかっている共通認識をハックしている。

9月23日

ぼくは「(かぎかっこ)。

相方を探している。


キョロキョロ。

キョロキョロ。


「あ、見つけた!」

部分象徴という考え方がある。

たとえば、「金ボタン」というと、学ランの金ボタンが想像され、「男子学生」という意味になる。金ボタン=男子学生は、2021年現在はピンとこないかもしれないが、部分象徴という考え方は今でも有効そうだ。

はて、この部分象徴を使って、なにかいい表現ご生み出せないか?

9月24日


ミックスジュースに
バナナジュースを加えても
それはミックスジュース。



ミックスジュースに
りんごジュースを加えても
それはミックスジュース。



でも味は違う。



むしろそのようにして飲んだほうが、
バナナとりんごの違いがわかるかもしれない。

9月25日

サイゼリヤで
「むしょくの彼がさー、」
という声がふいに聞こえてきた。

無職 夢食

夢触 無食

無飾 夢色

夢職 無色


むしょくの彼は、
どれだろう?

9月26日


サーカスのつなは
人にとっては一次元。

必死に向こうに渡るもの。



ありにとっては二次元。

ぐるりと回って遊ぶもの。

「理系の話。」(川村元気)

血管は、縫いすぎると、よくない。

「理系の話。」(川村元気)

「人間、ひと皮むいたら、みんなおんなじだよ。」

たしか、養老さんのことば。
概念的なひと皮ではなく、解剖学的なひと皮。

でも逆に、そのひと皮に、
その人らしさが宿るのかもしれない。

9月27日

さよなら、さよなら、さよなら。

この文字列を見たとき、
僕の脳内では、
小田和正さんの声と
淀川長治さんの声が
同時に再生された。


正確にいうと、
前半は、やや小田さんの声が強く、
後半は、やや淀川さんの声が強かった。

10年ぶりに友人に会う。

うれしい。

−10年ぶりの君にも会いたい。

9月28日

富士山が島になる。

海面が3700m上がったら、
富士山も島になる。

海面が3700m上がった世界は、
どんな世界地図になっているだろう?

9月29日

イギリス人:
へえ、秀吉ってシェークスピアと同じ時代の人だったんだ。

日本人:
へえ、シェークスピアって秀吉と同じ時代の人だったんだ。

9月30日

友達以上恋人未満

以上と未満をうまくつかえば、
まだ見ぬ関係をうまく定義できるかもしれない。

バリヤーって言って、

腕をクロスして結ぶと、

僕は鬼にならずに済んだ。

これが、僕らのルールだった。

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