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佐藤先生に教わったこと-#41

このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。

前回に引き続き、トーンについて。

今回はトーンのつくり方について考察していきたいと思います。

※前回も書きましたがこの考察は当時先生に教わったものではなく、星が現時点において勝手に考察しているものです。

前回考察したように、トーン(ある独特な世界観)をつくることの効用は「画面の枠外への想像」を促すことなんだという前提で、いくつかの項目に分けて「じゃあその作り方は?」という話を進めていきます。まずは空間の切り取りについて。

空間の切り取り

画面外に想像がおもむくためには、そもそも画面をどのようにつくり込み、切り取るか、が大事になってきます。

まずはセットについて。

3つの事例を見ていきましょう。

1つ目は「爆チュー問題のでたらめチューズデー」。爆笑問題のおふたりが繰り広げるでたらめなコントの世界観は、ねずみのサイズにフォーカスされた家の一角。見覚えのあるような日常のものが不思議なスケール感で存在します。”ねずみ”を登場人物にしたので自然にスケール変更がおこっているのですね。

この「見覚えのある」と「スケールの変更」によって、枠外に想像がおもむきます。

2つ目は「ポリンキー」。なぞのキャラ3体がかわいい振り付けで踊る舞台。上にはコイケヤとあります。うしろのピアノや緞帳の質感によってなんとなくいい具合の作り物感、セットのサイズ感、つまりああ、ここに小さな世界観が突如現れたなということがそれとなく伝わってきます。お菓子のポリンキーを知らなくてもそのサイズ感が一瞬でなんとなく認知できます。

3体のコマ撮りアニメがさも当たり前のように進行することによって、なんだなんだと想像がおもむくのを前景として、それを支える背景を「小さく作り」、舞台として一瞬で認知できるように「THEがつくイメージラインで切り取る」ことで、よりいっそう画面外に想像がおもむくようになっています。

3つ目は「ピタゴラ装置」。理科室のような背景の白いホリゾントの前に、木材や日用品を組み合わせて作り込まれた世界。各機構は「品よく丁寧に構成」され、「見知っている日用品」が見切れて入り込むことでサイズ感がわかり、それらの日用品や積み重ねられた本たちはヨーロッパなのか「海外のトーンを借用」していることで、このほしのどこかの実験室で不思議な実験がなされているみたいな想像が画面外におもむいてしまいます。

基本的にカメラは動きを追っていくので引きの画面はあまり見たことがないと思いますが、下記の写真をみていただくと、なんとなく引いたらこういう感じだろうなと想像していたとおりなのではないでしょうか。

アップの画面でもつくり込みます。ピタゴラ装置は組んだあとカメラさんと技術打ち合わせを経て本番を迎えますが、そのときに画面の中にたとえば「P」や矢印などのシールをさりげなく貼ることでトーンが整います。このへんのシール貼りによる最終調整はもうトーンに対するセンスとしか言いようがありません。

手の上あたりに「P」のシールがさりげなく。

ちなみに上記写真の手は、わたくしの手です。

爆チュー問題、ポリンキー、ピタゴラ装置。これら3つの例はあくまで一例ですが、長い尺視聴者に付き合ってもらえる映画などとは違い、CMやコントなどの短い尺の映像作品の場合のセットでは「既知のイメージの借用」「サイズ感の提示」というのが世界観づくりの助けになりそうです。それをふまえたうえで、どこをカメラで切り取れば画面外に想像がおもむくか、最適解を探ります。

ここでちょっと脱線して、ある独特な世界観の「独特」ということについて考えたいと思います。

たとえば、ポリンキーのCM。これと似たような画面・絵は、緞帳が整っているリアルな舞台で着ぐるみが踊るという作り方でもつくれます。でも日常の世界のスケール感のそれだと”独特さ”は薄れてしまいます。身近すぎて自分たちでもつくれそうな気配でともするとチープになりかねません。なぜかポリンキーたちが活躍しているポリンキー劇場なる謎の小さな世界がある。コマ撮りでたどたどしく踊る。こういう認知が、ああなんかかわいいな、また見たいなという気持ちを醸成するのだと思います。既知のイメージの借用による安心感と、独特なもの・ことがさも当たり前に進行していく違和感。それらが相まって、独特な世界観をつくっているのだとおもいます。

次にカメラワークについて。

画面外に想像がおもむくためには、主題をどのような画角で追っていくかも重要になってきます。

カメラワークを考察する事例は前回見たカローラⅡのCMです。

パリ?なのか、どこかヨーロッパの街並みでのロケ撮影。このほしのどこかに、世界観の間借りという手法です。ロケのためセットとはおもむきが異なります。セットと違い、ロケハンとアングルとカメラワークの組み合わせで絵的なトーンが作り込まれています。

各画面を見ていく前にカメラワークの全体的なことをいうと、移動性のカメラワーク/カット割りで主題となる車(カローラⅡ)が見切れて進行していくことで、スケール感がきちんとおさえられながら全体が心地よく流れていきます。よりとひきのバランスが最高です。

さてCMの入り。車が街を走る。旧市街のような落ち着いたトーン。ヨーロッパ? 主題である車を中心にとらえながら、その主題が(車ゆえに)動いていってくれる。ゆえにカメラで追っていくだけで自然と背景がすっと入ってくる。

車、お店にとまる。車や人との対比でお店のサイズ感がわかる。やはりヨーロッパか。シンプルながらも素敵な店構え。とめている車の位置と、左側のほんのわずかな抜けが画面外への想像のおもむきを促す。街の一角なのだ。

女性。お店の中。なにやらがさごそ。店内のトーンも最高。1つ前の店前のカットと合わせることで、このシチュエーションに対する想像がより立体的になる。「財布ないのに気付いて〜♪」という歌詞もあり状況がよくわかる。

「そのままドライブ〜♪」するのは草原と丘。もうすでに車には寄ってきたので、草原のひきの絵によって気持ち良さが強調される。この映像的な気持ちよさはイコール車・運転の気持ちよさ。

次の15秒。歌も2番へ。らせん階段をかけおりる。やはり移動性のカメラワークによって、自然と背景が入ってくる。おしゃれなアパルトマン。衣装も完璧。

カメラが落ちていく。駅?。

駅前に止められた車。下方向へのパンによって状況がとても飲み込める。時計が見える。3時半。傘によって雨だとはっきり認知できる。車で迎えにきた必然でもあるのだ。

なかなか来ない彼。「わたしの図書館〜♪」の歌詞とともに、女性へのアップ。車のフロントガラスの映り込みがよい画面外への想像を生んでいる。

さて。このように改めてみていくと歌詞とカット割によるストーリーテリングが素晴らしいのはもちろんのこと、画面内の絵の作り込み、移動性のカメラワーク・パン・より/ひきがめちゃくちゃ効いていて、都度適切・適量な背景情報が与えられることで、画面外への想像、余韻が発生しています。

特に、店前の止め絵、草原のひき絵、駅の下方パンが個人的にはグッときました。絵的な「見切れ」、意識の「キワの処理」がトーンの絵づくりにおいては重要ということです。

空間の切り取り。最後は、主題フォーカスだけでもトーンは生み出せる、ということについて。

サイズ感の提示、イメージの間借り、独特とは何か、意識のキワの処理について考察してきましたが、最後は、実はそのように背景を作り込まなくても、主題が背景を帯びてしまう、ゆえに主題から想像が画面外におもむいてしまう、という事例について考えてみます。

抽象的な物言いをしてしまいましたが、具体的な事例をここで1つ。

写真がなくて恐縮なのですが、先生の授業で、あるアメリカのCMをみました。

背景は真っ白な白ホリ。
画面は白人の老人のバストアップ、顔アップ。

そして聞き取れないほどのダミ声でこう言います。

I am Cancer.

つまり、癌、咽頭癌?、食道癌? 具体的な病状はわかりませんが、とにかく癌によって、この声になったのだということがわかりすぎるくらいわかります。つまりは癌の啓発CMなのです。

そういう認知とは別に、バストアップ・顔アップで人物に迫っていることにより、その風貌、顔のシワから、自然とその人の人生にまで想像がおもいてしまいます。

これがたとえばその老人の住んでいる家とか、病院とか、そういうありきたりな背景を入れ込んでしまってはおそらくダメです。そんな背景を入れるよりよっぽど白ホリでくっきりと人物を浮かび上がらせるほうが、想像のおもむき効果が生まれるのだと思います。

セットやロケで世界観をガチガチに作り込めばいいってものでもない。

どうしたら適切な想像のおもむきを生むことができるのか。そこから逆算して空間の切り取りはされるべきなのだ、という学びです。

今回はこのあたりで失礼します。

トーンの話、まだまだ続きます。
空間の切り取りに続き、次回は時間の切り取り/編集について。
(次々回は、色調/音調になる予定です)

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