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佐藤先生に教わったこと-#19

このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。

先生がクリエイティブに転局したとき、30代のルーキーCMプランナーに与えられる仕事はなく、早くも干されているような状態だった。
先生はこれは逆にいい機会だと思い、資料室にこもり、カンヌをとったCMなど古今東西のCMを片っ端から見ていった。(そういう資料室がある電通はすばらしいとも言っていました。)
そうして、広告賞をとっていようがいまいが、とにかく佐藤雅彦にとって面白いCM、いいCMを一本のVにまとめていった。そうして出来上がったのが「佐藤雅彦傑作CM集」。
それから今度はそのCMたちのどこがいいのか、要素還元主義で、そのCMをそのCMたらしめている重要な要素を言語化し、そしてそれを自分のCMをつくるときの「ルール」とした。
そのとき生まれた「ルール」が、「ドキュメンタリーリップシンクロ」(ドキュメンタリーの世界観で、ナレーションではなく、リップシンクロすると言葉が入ってくる)や「音は映像を規定する」・「映像は音からつくる」(音と映像がシンクロする生理的快感と、音によって脳内にイメージが作られることを利用し、そこに映像をのせる)など。
その後、「やっぱりPR局に戻そうか」なんて局内で言われていたころ、朝日広告賞をとって、さらに上の立場の方から、「佐藤くんって君の局の?どんな?」「いや、、(CMを一本もつくったことがないCMプランナーです、とはいえない、、)」となって、「おい、佐藤、一本つくるか?」と先輩たちが半ば投げ出し気味だった湖池屋のCMを担当することになり、湖池屋の社長はじめみなさんと低予算でつくったのが「のり塩」のCM。これが大ヒット。その後、仕事がバンバンくるようになった。このときに使った「ルール」がドキュメンタリーリップシンクロ。あの資料室でつくった「ルール」。


「ルールを持っておくと、大量に仕事が来たとき、慌てず、できることを、クオリティ高くつくり続けることができます。」

「そもそも、自分は美大も出ていない、表現の訓練をしてきていない30代のルーキーでした。そんな立場のものでもこのように「作り方を作る」ことができればものづくりができるんだ、ということを、みなさんに伝えたいです。」

「ですからみなさん、新しい「作り方を作る」を一緒にやっていきましょう。」


これが、授業の一番最初でした。

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