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見方日記 2/1〜 2022

雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。

2月1日

日本は、
⬜︎⬜︎に〇〇をみる文化

ヨーロッパは、
⬜︎⬜︎を〇〇とする文化

日本は積み重ね改変の文化。
複雑怪奇で手に負えない。

インドは破壊から創造の文化。
平常心では生きてけない。

政府のような古くて巨大で集団的意思決定しかできないシステムでは、財政再建にしろ構造改革的な経済再生にしろ破綻型再生しかあり得ない。それはJALや東電の例をみても明らか。日立だって実質は同じ。

お腹が死ぬほど痛くならないと痛み止めを打つ以上のことはしない。でも痛み止めでは根治しないので病は進行する。根治治療を始めるのはいつもステージ4になってから。

そんなもんです、古くて大きいサラリーマン組織って。

日本は大化の改新から程度の差こそあれ、いつも破綻型再生の国です。ある意味、破綻型再生は実に上手な国柄です。

冨山さんの言葉。

日本は破壊はできず破綻はする。
破綻して立ち上がる。
それまでは改変でやり過ごそうとする。
果たしていつまで持つか。

2月2日

資本主義は、
かっぱえびせん化している。
つまり、
やめられない、とまらない。

利益とは、本来、隣人への愛。

でもあるときから
利益のための生産と、逆転してしまった。

見えているヴィジョンに、写真を近づける。

そういう方法で撮ってきた。

杉本博司さん。

2月3日

よさこいは、心の芯の、中の、中で、踊るもの。

菅原小春さん。

SNSの付き合い方の極意は「毎日がエイプリルフール」だと思うこと。

橘川さん。

2月4日

!!!!!!1!!!

「この人PCなんだな…」

!!!!!!れ!!!

「この人スマホなんだな…」

Twitterより。

九九の9の段ってのは実質ボスラッシュなんですよ。
各1~8の段で最後に戦った相手が順番に出てくる胸熱展開。
そして最後はまだ戦ったことがない9×9=81が出てくる。

Twitterより。

2月5日

youtubeをはじめた友人の初回投稿。
最初の自己紹介のところ、

「察して」
で、すっ飛ばしていた。

たしかに、映像から察せられることがある。

説明ぬきで、
察せられるところはどんどん察していく
文化も悪くないなと思った。

映像にはその力がある。

6歳の息子が「ドーナツはたべてもなくならないんだよ。穴がのこるんだよ」と、突然哲学的なことを言い始めたので朝からドーナツのことずっと考えてる。

Twitterより。

2月6日

ふつうは「みんながしていること」が「正常」で、「みんながしてないこと」が「異常」である。みんなが思考停止している社会では、思考停止していることが「ふつう」なのである。そして、これが現代日本社会のほんとうの病態なのだと私は思う。

内田樹さんの言葉。

明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ。

太宰治

2月7日

食べ物のごみを見ていると、「俺が買ったものなんだから、別に食べかけで捨てようが俺の勝手だろう」っていう傲慢さみたいなものを感じるんですね。結局、いまは「顔の見えない社会」が作られているんだろうなって思うようになりました。

ごみの3R(リデュース、リユース、リサイクル)ってよく言われますよね。僕はもう一つのR、リスペクトを加えようと言っています。尊敬する、敬意を払うって気持ちがあれば、ごみ問題のいろんなことを解決できるような気がしているんです。

マシンガンズ滝沢さん

現状のメディアは
たとえるなら滑舌のいい普通のおじさんが
なんかいろいろ言っているだけ。

滑舌は少しぐらい悪くてもいいから、
各所のプロフェッショナルの
見方や考え方、
思考のプロセスを見せていくべき。

成田さん

2月8日

本物のカニクオリティのカニカマ。
従来のカニカマよりは高いため売れなかった。

そこでとった手段は、
練り物コーナーではなく、
鮮魚コーナーに置いてもらうこと。

鮮魚コーナーにあることで、
クオリティの高さを表現できる
練り物コーナーより多くの人の目に触れる
鮮魚との値段比較で安く感じさせる
という効果を生み、
結果売上がアップした。

カネオくんより。

2月9日

コントも突き詰めると狂気を帯びる。

日常が裂けていく過程が面白い。

なかなか言語化するのは難しいんですけれど、人間の使う言葉の中には、ある種のスポットがあると思うんです。そのスポットの中に点在している言葉を拾って、相手に投げ掛けることによって「ああ、わかった」と言ってもらえる。スポットの中にある言葉を使えば相手を騙せるというか、何かが伝わった感じがする。それを使うのか使わないのか、自分の中での線引きがうまくなってる気はします。

米津玄師さん

2月10日

人の絵や自然の景色に飽きないのは、そこに身を重ねて入れるからだろうと思ってて。フィットしたり差異に絶望したり。そういうことがAIのブラックボックスにはないのですよね、経緯が見えない。時間が一様に圧縮されている。(AIの経緯の見える技術者には別の面白みがあるのかも!)

小泉さん

木村松本建築設計事務所によるhouse / shopFの内覧会
1歳児にとっては、建築も家具や植物も自然光もその間には区別はなく、一体のものとしてに感じられているのだろう。わが子が建築空間に入った瞬間、上の方を見て指差し「うちゅー」と叫んだことに象徴されているように感じた。
45度にふられた建ち方、4枚おろしの空間構成、軸組による構造体、あちらこちらに見られる技ありのディテール、空間を埋めつくすようにセンスよく配置された植物、サッシ・カーテン・植物をすり抜けて入り込む自然光、何かが際立ち過ぎるのではなく塩梅よく関係を結びひとつの豊かな空間として結実していた。
木村松本によるこれまでの建築的挑戦の積み重ねの先にある円熟味のようなものを感じた。

米澤さん

2月11日

9

6←の

6

病棟の看護師さんが「9%のレモンサワーを9%のハイボールで割って飲んでるから実質1%」と言いだして色々と怖くなった。

Twitterより。

アナと雪の女王の Let it go、日本語だと「少しも寒くないわ」という場所、中国語は「どのみち銀世界は怖くない」英語は「どうせ寒さを気にしたことないし」西語は「寒さも私の一部」独語は「寒さは今や私の一部」仏語は「寒さは自由の代償」だった。日本語が一番寒さに鈍感でフランス語が一番寒がり。

Twitterより。

2月12日

人は天国より地獄のほうが想像が膨らむ。

山田五郎さん

泥酔したギャル男の友達が「1日が24時間なのやだやだ」って言うから、何時間がいいの?って訊いたら「は?任意」って言われた。そだね。

Twitterより。

鳥取の「そっちが鳥なんだ!?」感と秩父の「そっちが父なんだ!?」感は似てる。

Twitterより。

モツプランが、モンブランに空目した。

もつ屋のモツプラン。。

2月13日

―役柄と音が共鳴しあう―

踊りに欠かせないのは、音です。
演じる役の心情やその場の情景などは、音にのせて表現します。
特に私は衣装や化粧などの拵えをせずに紋付と袴のみで踊る「素踊り」で踊りますので、役を活かすには心情をいかに表現し、かつ音と共鳴できるかについて考えています。

―引き出しを無限化する―

私は、宗家藤間流の八世宗家として、一門の門弟や歌舞伎役者の方々に稽古をしています。
厳しい時代ですが、門弟には一人でも多く志の高い”舞踊家”として成長してほしいと思っています。
また次世代を担う若手の役者には自分にあった任を見つけて、舞台に立てるよう指導に勤めています。

教えることは、教わる事です。

相手に何かを教えるとき、過去の資料や映像を見て、先人たちの残してきたものを、常に自分の中で繰り返し習い、自らの引き出しを多く持つようにしています。
そうして、それを自らの経験とし、後進に伝えていくことが大切なのです。

―物創りへのこだわり―

歌舞伎振付師という仕事の基本は、役者の方々に振り(手順)を教えたり、振りを作ったりすることです。
しかし、振付は1つの曲に1つの振りだけというわけではありません。
演じる場所(大きさ)、演じ手、ご覧頂くお客様の層によって 細かく調整をする必要があります。

また、一から創作をする場合には、自分の頭の中で作り上げたものを舞台に乗せることのロマンがあります。

しかし、自分が作り上げる舞台なら、見ているお客様がどう感じるか、
役者がいる舞台なら、役者が動きやすくなるにはどうしたらいいか
また、舞台を創るうえで欠かせない大道具、小道具、衣装、音楽、その他にも多くの事柄を総合的に注視しながら、
客観的な目を持ちつつ、かつ自分の特色がうまく重なり、幕が開いたときほど、気持ちが高揚する瞬間は無いものです。

藤間勘十郎さんの言葉。

2月14日

「これならフランス料理や中国料理にも、負けないのではないでしょうか」。
そう森川さんは言われた。
それほどまでに濃い出汁だった。
滋味が、津波のように押し寄せて来る。
もう昆布だけで、鰹節も塩も薄口もいらないほど、うま味が濃密である。
鰹節を入れて濾すと、それはさらに深まった。
「でもうますぎるのはいけません」。
そう言われて、お酒と酢橘数滴で調整された。
椀種はしんじょうである。
鱧のすり身に浮き粉出汁と卵白を入れ、それだけではゆるすぎてまとまらないため、壁に藁を入れるが如く、つなぎ繊維の役目として、ほぐした蟹の身、しいたけとネギの細切りを入れる。
まずはおつゆを一口。
「ううっ」。
うま味のダイナミズムが、舌を抱きすくめて思わず唸った。
次にしんじょうをいただく。
「んんっ」。
声にならない声が漏れる。
口の中でしんじょうは、ふわりとほどけて、淡雪のように消えていく。
ほのかな甘みが、ゆっくりと流れていく。
濃い、たくましいつゆと、はかないしんじょうという、対比的な存在が美しい。
相反するもの同士が、共鳴しながら高みに登らんとするスリルがある。
そんなアンビバレントな美学が、鳴り響いて、胸を高めていく。
これこそが、割烹の烹が生み出す美学である。

京都「浜作新本店」にて

マッキー牧元さんの文章。

2月15日

看板の中の電灯がひとつ切れていた。

その欠損があることで、
あぁそうか、そりゃそうだよな、
電灯で明るいんだよな
という、
普段意識していなかった後ろ側に意識がいくし、

その欠損部分の範囲だけを、
あるひとつの電灯が担当しているんだなと、
担当範囲の単位が明らかになっていた。

右利きに矯正されて困ったのは、漢字の『偏』と『つくり』を混乱するようになってしまったこと。たとえば、『短』という字は偏が『矢』でつくりが『豆』ですが、豆を左に、矢を右に書いても間違っているように見えないんですよ。どちらが正しいのか、いつまでたっても覚えられない(苦笑)

養老さん

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