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2022年 5月号_MIZUNO(前編)

月刊おつゆ、22年5月号はじめます。


今月から当面は僕の好きなもの、
好きなことについて書いていく予定です。



今回はMIZUNO(ミズノ)。



言わずと知れた、大阪生まれの
スポーツメーカーですね。



大学卒業後に知り合った方は、僕にMIZUNOの
イメージはほとんどないかもしれません。


僕の叔父が地元にあるMIZUNOの
別注グローブの工場に勤めていたのが
好きになるきっかけの1つでした。


MIZUNOを認識したのは小1の頃。


地元の小学校区では男子は半強制的に
地域のソフトボールのチームに入ります。


その時に初めて使ったグローブが叔父から
もらったMIZUNO社製のもので、
下手くそながらも6年間使い続けました。


今もあるかは定かではないですが、当時兵庫県の
小学生は毎年オリックス(当時ブルーウェーブ)の
試合に無料で行ける観戦チケットをもらえました。


もらえるのは基本は外野席のチケットで
当時は田口壮、谷佳知、そしてイチローが
外野を固めていた時代のオリックスです。
中でもイチローが断トツに好きでした。


イチローはシューズ以外のグローブやバットは
全てMIZUNOを使っていたこともあり、
イチローとともにメーカー自体もどんどん好きに
なっていきました。


また、地元には別注グローブの工場の他にも
別注シューズの工場もあるんです。


そこでは契約するプロ野球選手のスパイクや
日本トップ層の陸上選手のシューズを
職人の方たちが丹精込めて作っています。


僕はと言えば中学生になり陸上部に入りまして、
本格的に長距離種目を走り始めます。


色んな縁があり、高校生卒業時まで
ずっとMIZUNOのシューズを履いていました。


いつからか自分が作ったシューズを
誰もが知る有名選手たちに履いてもらって
活躍してほしい。


ぼんやりとですがユーザーとしてだけでなく、MIZUNOで働きたいと思い始めました。


「作る」というのは商品企画のそれではなく、
工場で職人として作りたいと思っていたので
本社ではなく中学卒業して工場に就職したいなと
密かに思っていました。


シューズ工場の責任者が僕の母親と叔父の
お知り合いでしたので、その思いを
日々伝えてもらっていました。


ただ、それだけMIZUNOが好きな気持ちが
あるなら本社を受けてみては?と責任者の方に
言われたことをきっかけに高校、そして大学へ
進学しようと考えを改めました。


高校は県内の強豪校も少し頭をよぎりましたが、
尊敬していた陸上部の先輩ともう一度駅伝を
走りたい思いで、隣の市の学校へ進学しました。

写真は高校3年時の兵庫県高校駅伝にて。
4区ラスト1km地点。
シューズはWAVE EKIDEN(ウェーブエキデン)。


高校でもJogやペース走はウェーブスペーサー、
スピード練習、レースはウェーブエキデン。
そして、スパイクはジオスプラッシュと
全てMIZUNO社製でした。


たまたまですが部のジャージやユニフォームも
MIZUNO製で本当に最初から最後まで
MIZUNOをまとい続けた学生時代でした。


違うエピソードで追い追い話したいので
中学、高校時代の詳細ははしょりますが、
MIZUNOで働きたいという思いを胸に
僕は近畿大学へ進学します。


月刊おつゆは僕の備忘録という特性上、
笑い少なめになりそうな気がしてきました。


次回、6月10日更新予定です。

6月号はMIZUNO(後編)をお送りします。

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