forget me not
星野道夫さんの著書『旅をする木』に「ワスレナグサ」というエッセイが収められている。
吹雪の北極圏で、子どもの誕生の知らせを受け、まだ見ぬ新たな命を想う、そんな特別なストーリーだ。
ワスレナグサはアラスカ州の州花で、英語で書くと「forget me not(私を忘れないで)」。
道夫さんは、アリューシャン列島でこの花を見たそうだ。
ぼくが特に好きな一節を引用する。
”頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・・・・ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
そんなことを、いつの日か、自分の子どもに伝えてゆけるだろうか。”
バンドメンバーの結婚式が、神戸で執り行われることになった。
本当だったら3年前に行われるはずだったが、コロナの感染拡大により延期。
コロナ禍は、幸せな二人の門出にも大きな影響を与えた。
神戸出発の日、ぼくは実家の庭先に咲く小さなワスレナグサを見ていた。
結婚式で、ぼくは乾杯の発声をお願いされた。
忘れてはいけないことを、伝えようと思った。
来る5月21日、突き抜けるような青空と、初夏を感じさせる陽気。
素晴らしいコンディションのもと、結婚式は無事に執り行われた。
乾杯の発声で、ぼくは昨年亡くなった大学院時代の恩師の話をした。
祝賀の場で、もしかすると不謹慎かもしれないと思ったが、どうしても伝えたいことがあった。
ぼく自身、10年前の5月25日に結婚式を挙げた。
新郎にも参列してもらったので、彼も覚えているだろう。
その時、乾杯の発声をお願いしたのが、亡き恩師だった。
恩師は、奇しくも昨年5月22日に天国へと旅立った。
あの結婚式から10年後。
今度はぼくが乾杯の発声を賜り、2人の門出を祝福するメッセージを送る側に立った。
亡き恩師から、何かのバトンを渡された気がした。
コロナ禍がなければ、この結婚式はそもそも3年前に執り行われるはずだった。
もちろん恩師も存命だったから、こんな気持ちには至らなかっただろう。
恩師がぼくら夫婦にくれたメッセージを思い出しながら、ぼくも一言ずつ、ていねいに祝辞を述べた。
ゆうきくん、ゆうこさん、ご結婚おめでとう。
地平線の先に満ち溢れる光に向かって、まっすぐに進んでいってください、と。
北海道のどこかで。
アラスカのどこかで。
アリューシャン列島のどこかで。
小さなワスレナグサは、毎年花を咲かせている。
何か大切なものを、次へと繋いでいる。
忘れないように。
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