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1人ぼっちのフライデーナイト

華金。

華の金曜日。まったくもって誰が言い出したかわからないが、とにかく今日は金曜日の夜である。

来たる週末に向けて、よぉし無礼講だぁ酒を出せ!可愛いおねーちゃんとこ行って、羽目を外して乱痴気騒ぎ、とにもかくにも騒ぐんだぁ!

まぁ華金と言うと僕はやっぱりこんなイメージで、実にそのイメージに忠実な40絡みの中年親父4人組が、酒臭い息を吐きながら肩を掠めてすれ違っていった。

心で舌打ちしながらぼんやりと繁華街の夜を見上げる。星は見えない。

僕は今年で30になるまぁごく普通の所謂サラリーマンだ。

あっちへ行ったりこっちへ来たり、色々ふらふら仕事を変えて、辿り着いた先はごくごく小さな広告代理店だった。

社の方針として来週からは光回線を売り出していくらしい。10年くらい前の流行りである。

手取り17万、ボーナスが年2回のそれぞれ1ヶ月半分。

首都圏から少し離れたこの地で、男1人が暮らしていくには、まぁ十分なお金とも言えるし、もちろん少ないとも言える。
結婚なんて考えようもない、さっきお昼休みにコンビニのATMでお金を下ろした時に表示された残額は¥106,000也。

諦めている、色々と。

酒を飲むのも嫌いでないし、人間関係構築が苦手なわけでもないが、僕の世界はいつもそこから少し離れたところにあった。
読書家なわけでもなく、映画評論をするでもなく、絵画なんか見てため息をつくわけでもなかったけれどそれでも、周りのみんなとは少し違う景色を子供の頃から見ていた。見ていたと信じたいしずっとそう思っていたい。

少なくとも。少なくともたまに見上げた空に、なんだか吸い込まれるような感覚を覚えて、口を半開きにしてボケーっと20分も空を見続けている子供は僕の他にはいなかった。

少なくとも、親と出かけた遊園地で、ジェットコースターにも観覧車にもコーヒーカップにも乗らず、隣接したペットコーナーでパグを30分眺めている子も、僕以外に見たことはなかった。
ペットに興味などないし、パグなんて普段顔も出てこないけど、なぜかその時のパグには、なぜかその時の空には、僕を魅了する何かがあったのだろう。

僕は何も、自分が人とは違う世界観を持ってるんだ、なんて言いたいわけではない。
ただ少し、変なのだ。
子供の頃も大人になってからも。

恋愛とか出世とか人生の意味とか義務とかそう言ったものに向けられる興味よりも、強い何かがいつもあった。

でもそれは共通したものでも確かなものでもなくて、その時目に留まるサボテンの棘だったり、ピスタチオの殻であったり、牛の尻尾だったりした。何が何やら。

そこで迷い込む思考の世界だってぜんぜん深いもんじゃない。こうなってくるといよいよ僕の存在意義を考えてしまうが、存在意義なんてもんはそもそもない。

そう、本当にそう思う、存在意義なんて誰にもない。意義がなくたって存在しているし生きているし、迷惑をかけようがかけまいが何だろうが、今僕は生きていて明日も多分生きているのだ。

ヤドカリのように興味の殻を変えながら、少しずつ歳を取って。
そしていつか死んでまた新たな命が生まれて。そんなもんだ。

華の金曜日。僕は帰って部屋に電気をつけると、熱帯魚用の、水を入れてない水槽に入ったカメムシをボケっと見つめながら冷蔵庫の中のビールを取り出す。

チン、と缶と水槽がぶつかる音。
動かないカメムシとビールを流し込む僕。

フライデーナイトに、乾杯。

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