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無が生じるとき
無は、打ち砕かれた希望や挫かれた期待を通じて世界に侵入する
無は何かと同時に生じるような気がする。何かがあるから、それがなくなった時に(または無くなることが)無であることな気がする。
無はそれだけで存在しうるのだろうか。
希望や期待の喪失こそが無なのに。
ああ、生きることは何か、人生というものは積み重ねたり、綴る一つの生産的な行動に見えるのに、それは無も同時に生み出しているのだろうか。無を生み出すということ、それは何も生み出しえないということだろうか。
感情や人が存在することは、感情が無いことを抱えるのか。それとも、感情や人が無いということは無いのだろうか。
何も無いということはあるのか。
なぜ何も無いのではなくて、何かあるのか。
以上
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