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君と夏が、鉄塔の上 感想


最初に書いた読書感想文に入れられなかった感想を書くのである。

なにかに応募するような形式では書けないやつである。そして新たになにか感じたら、その都度追記していくものである。

なおまず最初に、わたしが作者の賽助氏のいちファンであり、一般的な読書感想文とは違った、ファン故のフィルターがとても濃くかかっているものであることをお伝えしておく。


・伊達くんが鉄塔に関しての説明をするところ全般が、めちゃくちゃ早口で言っていそうで笑った。オタクにありがちの、得意分野の話になると急に早口になる話しぶり。その様を「ちょっと気持ち悪いよね」って言っちゃう帆月も、ちょっとは遠慮してやれよと思ってまた笑った。

・比奈山は序盤で帆月になにかあったのかと尋ねている、きっとこいつはモテる。幽霊騒ぎがなかったらモテ続けているであろう。2人が公園にいるのを見て伊達くんは逃げ出したわけだが、劣等感あいまって入り込めない気持ちがとてもわかる。

・リバーサイド荒川でこれは霊の仕業じゃないと断定した比奈山は、物語のカテゴリーが違うんじゃないかってくらいかっこいい。見える自分が見えてないのだから幽霊はいない。経験上、これは幽霊ではない。……なんとも頼りになる。きっとこいつはモテる。

・木島の物言いがちょいちょいかっこいい。「自転車の2人乗りだろ」「工事は、一瞬のきらめきだ」決め台詞がとてもかっこいい。伊達くんの返しが一律なのもまた、良い。

・鉄塔の雌雄や形状が全くわからない上に想像もつかないので、めちゃくちゃググった。検索履歴が訳のわからないことになった。その代わり、近所の鉄塔に目がいくようになり、なんとなく知ったような顔で形を見られるようになった。

・調神社もググった。思った以上にうさぎだった。地元がそう遠くないので、コロナが収束した際には帰省ついでに見に行ってみるのもいいなと思った。かっこよくいえば聖地巡礼である。

・人に物を奢るには理由が必要。作者のエッセイで読んで、個人的にとても面白かったエピソードが落としこまれている。伊達くんのキャラクターは作者に寄ってるなぁと思ってはいたが、話がリンクした瞬間に「伊達くん=賽助」になってしまった。申し訳ないがなってしまったのである。

・じゃんけんではわたしも次から「最初はグー」でパーを出そうと思う。職業柄、一般的な大人よりじゃんけんをする機会は多いはずなので、なかなかいい結果が得られると思う。木島に感謝する。

・全体を通して、地の文に作者の口調を感じる。読書というより、語りかけられているといったテンションで読んだ。脳内再生余裕、というやつだ。ちょっと気持ち悪いと思うかもしれないが、得てしてファンとはそういうものである。

・短編にて。クラスメイトに比奈山と仲がいいと言われ、仲がいいと表現していいのか悩む伊達くんは、やはり「=賽助」だった。帆月と付き合っていると言われ、境目もわからないしそんな契約は結んでいない、したがって交際に至ってはいない、と考える伊達くんもまた、「=賽助」だった。思わず顔がにやついた。

・短編にて。「だとしたら、僕の目はとんだ節穴ということになる。伊達眼鏡と言われても仕方がない」「僕の目は節穴だった」この流れがとても好きである。これもまた脳内再生余裕であった。やっぱりちょっと気持ち悪いと思うだろうが、ファンとはそういうものである。


 ここから先が本当に書きたかったことなので、作者に届け!と思いながら打ち込むことにする。私事の上に文章量が多くなるとは思うが、その分の熱意だと思っていただければ幸いである。

・いざ本を買おう、読もう、という段階になり問い合わせたところ、書店では取り寄せで1週間ほど、ネットでは文庫版が1~2週間ほど待つということで、初めて電子書籍で小説を購入した。そんなに待っていては読書感想文が締め切りに間に合わないからである。文庫版にこだわっていたのは、どうやらキャンペーンかなにかで先生のブロマイドがついてくるらしく、要するにファン心からであった。残念ながら電子書籍にそんなおまけはついてこなかったが、まぁ、ないならないで、仕方ない。今回の最終目標は、先生に感想文を読んでもらうことなのだ。

ところが、個人的に電子書籍というものがお世辞にも読みやすいとは思えなかったので、結局2日ほどで届くという、ソフトカバー版をネットで買い直した。ついでに、いいきっかけなので前作「はるなつふゆと七福神」も一緒に購入しておいた。電子書籍は文庫版だったので、4冊出版されたうちの3冊分が手元にあるということになる。これはもう、賽助先生の大ファンだといっても過言ではないはずだ。ここは是非、先生への重大なアピールポイントだと思っていただきたいものである。

・結局、始めに読み終えたのは電子書籍版だったのだが、あとがきが非常に面白かった。本編、短編は楽しい物語だったなぁと思ったのだが、ことあとがきに関しては、愉快なエッセイをおまけに1本読ませていただいた気分である。わたしの好きな、賽助先生のひねくれた物言いがとても心に刺さった。ここだけで、気の合う友人に本作を薦めたほどである。そして知らず知らずのうちに、わたしはまんまと錬金術の罠にはまってしまっていたらしい。なんとわたしの手元にはソフトカバー版があり、すなわち原材料のあとがきも読むことができるのだ。

・最初に書かれたあとがきも、やはり面白かった。文庫版のあとがきで「なんとも馬鹿げた文章が羅列されている」と自虐なされていたが、それを踏まえて読むとさらに面白かった。当時の賽助先生が、2年後にそんなことを言うことになるとはつゆ知らず……わたしは大いにニヤニヤした。最後に、「次はもっと立派な『あとがき書き』になっているはず」といったことが記されていたので、もう一度文庫版のあとがきを読んで、また笑った。

あとがきという名のエッセイを2本読んで、ふとまだ開いたことのない1作目を眺める。これもきっと、あとがきまで面白いのだろう。わたしが購入したのは、文庫版。こちらもソフトカバー版も読まずにはいられなくなるだろう。そうなると、4冊中の4冊、なんとコンプリートしてしまうことになる。その暁には、ファン、そして大ファンから、全ての作品を所持した信者へと進化しているはずなので、ファンレターのひとつでも送ってみようと思う。この感想文自体が、そもそもファンレター、あるいはラブレターのようなものなのだけれども。







・全く作品とは関係のないことなのだが、「(笑)」「ワロタ」「w」などを封じて冗談めいた文章を書くのは難しいということを知った。真剣に読まれては妙な誤解を生むかもしれない。どうぞ軽いテンションで読んでいただけたら幸いでございます。

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