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「君と夏が、鉄塔の上」を読んで

 今年の夏は特殊だから、このまま何もしないうちに終わってしまいそう。そんなときに、読書感想文コンテストがあると知りました。本のタイトルは、「君と夏が、鉄塔の上」。以前から読んでみたいと思っていたものでした。


 このお話の主人公は伊達くん。思春期にありがちな人間関係の難しさや気恥ずかしさ、そんなものでほんのりネガティブになっているような、ちょっと内気な少年。でも、鉄塔マニアなんていう一風変わったところがあり、物語が走り出すきっかけになっていきます。

 そんな彼をお構いなしに引っ張っていく、破天荒な帆月という「なにか」が見える少女。さらには「幽霊が見える」という少年、比奈山まで巻き込んで、「なにか」を探る彼らの夏休みは退屈なものから変化してしていきました。


 94号鉄塔の天辺には「なにか」がいて、帆月には見えるのに、幽霊が見えるはずの比奈山には見えない。伊達くんだって、当然見えない。でも、二人に帆月が触れれば……比奈山にも伊達くんにも、彼女と同じように「鉄塔の上にいる着物を着た男の子」が見えました。そうしていくうちにいくつかの不思議を追いかける3人。心にそれぞれの思いをのせて、ストーリーは進んでいきます。

  毎日のように、94号鉄塔の足元の公園で顔を会わせて、「なにか」について話したり、近くの心霊スポットに足を運んだりしているうちに、3人の仲はだんだん縮まっていくようでした。

 お祭りに向かうシーンの伊達くんは、初めてデートにいく少年そのもので、甘酸っぱいような可愛らしさを感じました。もしものためにお金を靴下に隠す、というのも、そういえば昔、母もそんなことを言っていたなぁとノスタルジー。

しかし、そんなほのぼのとした気持ちも吹き飛ばすように、伊達くんと帆月は不思議な世界に誘われます。日常から離れたお祭り、そこからさらにかけ離れた、狐と兎のお面の男たち。

 男たちの会話から、伊達くんは帆月の、思わぬ心のうちを知ることになります。いつも明るい彼女が自分のことを打ち明けたときは、なんとも言えない切なさを感じました。

好奇心旺盛で、学校では自転車で空を飛ぼうと屋上から派手に飛び降り、リバーサイド荒川では、伊達くんに怪我を負わせたヤナハラミツルに勇敢に飛び掛かる。そんな彼女が、この思春期に、実母からひどく悲しい思いをさせられて、そしてもう間もなく引っ越していくというのです。伊達くんは後に気付くのですが、破天荒なの行動の裏には、忘れられたくないという彼女の必死な思いがありました。

しかし、それを聞いた伊達くんも、また思春期。忘れられることは死ぬこと、と思い詰めたような帆月の言葉は、コミュニケーションが得意ではないが故に他人と積極的に関わってこなかった彼には、少し重かったのではないでしょうか。自分の所属する地理歴史部の、「忘れられた時、街は死ぬ」というテーマとの重なりを感じたけれど、その主語が人間となってしまうと、想像もつかなかったよう。上手に慰めることも励ますことも、ましてや引き留めるようなことも、今はまだできませんでした。

 そんな伊達くんが、物語のクライマックスで帆月を追いかけたとき、思わず「おおっ」と声が漏れました。恋心なのか、友情なのか、本人もわかっていない様子でしたが、彼の焦りが私にも伝わって、ページをめくる手が早くなってしまう。そして、いよいよ空を飛んだとき、物語の序盤に、訳のわからないまま言われた帆月の言葉が甦ります。

「伊達くんが今出来ることは、自転車で空を飛ぶことでしょ」

思わず胸が熱くなりました。伊達くんは神様のところに吸い寄せられた帆月を取り戻すと同時に、彼女の夢をひとつ叶えたのです。そして、内向的だった彼が、自分の意思で他人に踏み込む様には、1人の少年の大きな成長を感じさせられました。

 物語の展開上、どうしても伊達くんと帆月に焦点がいきがちですが、比奈山の心の機微もとても良かったです。幽霊騒ぎで登校拒否のようになってしまった彼が、帆月の強引さもあいまってまた他人と交流を持つようになり、それを通じて自分とも向き合っていく。そして、どこか折り合いをつけられたように感じました。本編と共に収録されていた短編で、伊達くんを通じて同級生と関わりを持つ彼の姿に、なんとなくホッとしてしまったのは、私が大人になってしまった故の親心のようなものなのでしょうか。

 もうひとつ気になったところがあります。唐突に出てきて、そして消えたように触れられなくなった少年、明比古のことです。実は彼はお面の男たちの仲間で、やがて正体を明かされるのではないかとそわそわしていましたが、伊達くんに意味深い話をした後、再び登場することはありませんでした。短編ならば彼の出番があるかもしれないと読み進めたのですが、やはりそこにも明比古の姿はありません。

作者から忘れられてしまったんだろうか……などと余計な心配もしたものですが、物語が伊達くんの一人称で進められていたことを考えると、なるほど敢えて明らかにすることもないのかな、と思いました。

伊達くんは初めて明比古と会話をしたとき、同じ学校だというのに、彼のことを思い出せませんでした。名前を聞いて初めて、どこかで見たかもしれない、と考える程度。帆月と比奈山に至っては、全く知らなかった様子です。不自然なほど白い肌や、今やなくなってしまった土地のものに詳しいところ、これからなくなる93号鉄塔が全く消え失せるのではなく、他の鉄塔へ役目を引き継いでもらうことに安心するところ等を考えると、お面の男たちや「おみおくりのぎ」に繋がっていくのではないかと思います。もし明比古が人ならざる者であったなら、役目を終えてなお人間の前に姿を現すことはない。そうであれば、伊達くんの記憶からそっと抜け落ちても無理はないなぁと思いました。何にしろ、明比古の存在は物語への余韻を残すもので、そして彼自身も作中の不思議のひとつだったのではないでしょうか。


 私は、作中で彼らが眺める夏の空の表現が、とても好きでした。特に今年は、思いっきり外に出て、空を見上げてみることもなかったからでしょう。読みながら想像する、賽助先生の書く空は、青くて、高くて、澄んでいました。


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