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(2020/6/5)「Ryuichi Sakamoto: CODA」を観る

以前観る機会を逃していた、坂本龍一さんのドキュメンタリー映画がYouTubeで期間限定で配信されていたので、家で鑑賞しました。
坂本龍一のファン、という意識はないのですが、YMOの時代から、作品は大雑把ではありますが追いかけていて、手掛けた映画音楽もとても好きなので、活動はちょこちょことチェックしています。(十分ファンなのかも。笑)。そして、坂本さんの自伝エッセイも読んでいたので、より興味深く、内容を掘り下げて見ることができました。
東日本大震災後の活動と生活を追ったもので、アルバム制作の作業とリンクしながら、過去を振り返りつつ、今感じていることを見事に浮き出しているなと思いました。
インタビューの中で、印象に残ったことがあって、ピアノは、人間によって生み出されたもので、グランドピアノなどは、ものすごい力をかけて曲げて何ヶ月も置いたものを響板として用いていたり、ピアノの弦に至っては何トンもの力をかけてピンと張られ調弦されていて、そこから鳴る音というものは自然というよりは、むしろ人間によって生成された、人間にとって気持ちよく聞こえる音で、自然界から見ると、これはある意味不自然な形とも言えるのではないか。力を加えられたピアノの弦は、常に元に戻ろうとする力が働いていて、だんだんと弦が緩んでいくが、つまりどうあがいても自然に戻っていこうとする力には抗えないということを知るべし、というようなことを話していて、これはかなり示唆的だなと感じました。

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音の捉え方として、なるほどそう捉えると色々なものが違った見え方聞こえ方をしてきます。
自然界に存在する様々な音やノイズは、いわば様々な不自由から解き放たれた、最も自由な存在なのかもしれないなと思うと、音楽そのものの概念がとてつもなく拡張されるよなあ、と、わくわくしてきます(が、その音楽そのものも、人間が作り上げるいわば自然ではない存在とも言える)。

そういった考えを際立たせるかのように描写される、福島県の帰宅困難区域や、廃墟となった原子力発電所、津波にのまれてしまった街、そして津波にのまれて壊れてしまったピアノの映像。
映像の中で坂本さんが「壊れてしまったピアノの音は、死んでしまった音のようにも聞こえるが、とても美しい音だと感じる」と話していたのがとても象徴的だなと思いました。

そんな自然界から生み出されるもので生成される音楽であったり、はたまた自然なものと不自然なものがうまく調和しながら均衡を保つような音楽というものに、とても惹かれます。
もう少し考え方を拡張してみると、どんな新しいものも様々な環境にさらされる中でどんどんと古くなっていくことも、自然に還っていくこととよく似たものを感じます。生物にとっても、「死」とは元あった自然界の元へ還っていくことでもあります。
つまり、自然という巨大な力や流れは、人間の力ほどでは到底抗ったりコントロールできるような代物ではないという謙虚さを持つ必要があるなと思ったんです。

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翻って、日常生活に寄り添うような音楽をテーマに作品をつくる自分にとって、「日常生活に寄り添う音」とは果たしてなんなのか、ということを考えたときに、ただ心地よいスムースな、人間が体系立てることによって生み出された音楽のみならず、体系だったものから徐々に解き放たれていくような、そんな音なり音楽を作ってみたいなあと感じました。
そんなアプローチで、自分なりの「日常」を表現できたら、面白いかもしれないなと思っています。

いい映画に刺激を受けました。
録音マイクを持って、いろんな音を録ってみたくなった(笑)。

さて、いよいよ明日(6/6)は第1回のインスタライブです。
19時30分開演です。どうぞお待ちしております!


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