48、49、50....

やあ、書いてみることにした。

夕べはありがとうございました!

あの後、4まわしくらい泣いて笑って逡巡し、大涙にくれてから、そうだ、最近、発散的な書き物をしてない、と思い立った。

振り返りを書くだけで、心は放っておいてた。

初めの不思議なメッセージかもしれない話、愚痴って聞いてもらった事、電話を切ってくれた事によって、反芻出来て、また、気付きがあったよ。

ありがとうございました。、。!!

40年生きてきて未だに親のせいにするのは、と思われてるんじゃないかと思う。。私もややそう思う。

ただ、、自分が母親になって生活して来てた間、所々で自分の母親が自分にした事言った事、が度々フラッシュバックするようになって。反面教師はもちろん、自分が子どもだったときの気持ちが、改めてあふれて

恐怖、不快、とりわけ惨めさ、憎しみを感じて、坊にまつわる出来事もプラスされて、辛くて悔しくて。訥々と過去に触れると、謝られたりして、でももう遅いよ、って事もある。

むしろ、以前なら、当時は親も大変だった、とか母も苦労してきたから、と納得出来てた頃もちょっとはあったけど、最近になってまた、、、、

これもある種の、悲嘆、グリーフの感情の、いろんな出方の一つなのかもしれないけれど。

親になって親の生活を終えて、振り返るときに改めて怒りがこみ上げる現象。

大きな心になる段階まではなかなか行けてない。闘病前後のやりとりも含め、心底、不愉快にする言葉をかけてくるから、こんな軋轢がうまれるとは。。。そもそもうちの母親は不健全な自己愛が強すぎる。。。とか、、

学校も友達も父も姉も優しくて、母親だけが敵、難関、邪魔して評価して水を差す

困るのはあなただけで私は全く困らない、と言われ、惨めだった。そういうもんだと思ってたら、否、家族ってそういうもんじゃない、、そうあるべきではない、、と思う。そんな私も共感性がとても低い。。

怒鳴られて平手打ちされる、口を出される手を出される位で、食事がないとか数日ネグレクトとかはないし、父親はどこも連れてかないかわりにCDや本買ってくれたりお金くれたり、十分恵まれているんだから、納得する筋道をつけるなり、自分で努力して他の事に集中、、、、、ってなんで私はこんなに親の文句を言っているんだろう。

反出生主義に陥る始末。

今日も心は揺れている。

あなたの態度に触れていたら、なんだか本当に、カウンセリングのような感じで、信頼と一線というのを感じて。

坊の事を悼むこと、から、親きょうだいへの醜悪で辛辣な愚痴になって、情けないし、ついにきみに嫌われたのではないかと、心配してる。

姉に関しては、姉を尊重するべきで、イライラはお門違いだったと思う。。

大事な事は覚えてるから不要品は捨てる、というあなたの言葉をかみしめてみる。

スッキリして理性的で努力家で、他にも、あなたはすごく心理学の世界、カウンセリングの世界に向いているように感じる。私見ですが、本当に。

最近いつも聞いてもらうばかり、いただいてばかり、という感じがしてる。

借りがあるように感じるのが、、恥ずかしい。

堂々とするの難しい

あなたの話も聞きたいのに、自分の混乱の吐露で終わって申し訳ない。。。

おでん作って、音楽聴いて泣いて、YouTubeみて笑って、悩み悔やみ

悼んだり、泣いたり、超久々に写真を思い出すを許可したり

おっと、モラトリアムな躁鬱

ながくなりました。

そろそろここまで、いつもありがとう。

またね

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