2021.09.03,そして2021.09.04


高校生の時だった。
その日は凄く落ち込んでいた。久しぶりに、第三者から叱られた。
小雨の中、前なんて向けずに、とぼとぼと、帰っていた。


そんな時に、
「傘に入りませんか?」と声をかけてくださった女性がいた。
同性で、本当に善意で声をかけたであろうことが伝わったこともあり、快く受け入れた。


近くにあった大きな建物の中までおくっていただいて、嬉しくて、涙が溢れそうだった。
優しさって、本当にこの世界に存在しているんだと思った。
普段から関わっている人ならともかく、こんな見ず知らずの私のために、小雨に濡れないようにしてあげたいと思ってくれたことが嬉しかったし、驚いた。


その日から、なるべく、傘を持っていない友達がいたら、傘を差すようにしている。
さすがに、見ず知らずの人に声はかけられない。色々あるこの時代だし、冷たくされることに恐怖を感じてしまう。


昨日も、そうだった。
雨が降っていて、傘を持っていない人がいたから、傘を差した。
年下の方だったから、良いかっこしたかったのもある。元々知り合いだし、高校生の時出会ったあの女性のように、100%の善意で動けなんかしない。
人間的にまだまだだなぁ、と思う。傘を差してくれた方のことも、何から何まで全て忘れて、エピソードだけが残っている。それも悲しいし、なんで覚えていないんだ、と思う。


今日、「傘を差してくれてありがとうございました!」なんてお礼が来たけれど、私の善意はまだまだ綺麗じゃないから、もっとちゃんと力になりたいから、と思う。
傘を差してあげるなんて、きっとその気になったら出来ることだ。傘を差すことが出来ない日も、傘を差すくらいの優しい行動は、誰にでも出来る。出来ないと思っている人もいると思うけど、本当は出来るって思っている。これは、押しつけではない。


むしろ、純粋に感謝してくれたことがありがたい。と感じた。
もう、純粋な感謝を受け取るだけで嬉しい。純粋な感謝だな、と感じられることが嬉しい。
本来どれもちゃんと純粋に感謝しているだろうに、ひねくれているせいで、素直に受け取れない自分がいる。素直に感謝できない自分もいる。現に、そのお礼に対して、全然たいしたことでもないかのように振る舞ってしまった。子どもだなあ、と思う。
今日、感謝を受け取れる自分に気づけたから、明日は、感謝を返せる自分に、なってみたい。


そして、嫉妬深さは変えなくて良いけど、感謝されるような行動をとる人には嫉妬しない自分でありたい。なんて思った。

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