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Episode 07: ベルジャン・ヴィット〜存亡の歴史〜

前回扱ったヴァイツェンは、ドイツで伝統的に作られてきた小麦ビールであった。これに対し、ベルジャン・ヴィットビールは、ベルギーで伝統的に作られてきた小麦ビール、すなわち、ヴァイツェンのベルギー版である。

ベルギーには公用語が二つあり、北部のフランデレン地域ではオランダ語の一種であるフラマン語が、南部のワロン地域ではフランス語が主に使用されている。

ドイツのヴァイツェンはヴァイスビア(Weissbier)、すなわち「白ビール」という名で呼ばれることもある。ヴィットビール(Witbier)とは、フラマン語で「白ビール」という意味である。ちなみに、ヴィットビールはフランス語で「白」を表すブロンシュ(blanche)という名で呼ばれることもある。

ちなみに、ヴィットビールはタルヴェビール(Tarwebier)と呼ばれることもあるが、"Tarwe"とはフラマン語やオランダ語で「小麦」を意味する。「ヴァイツェン」がドイツ語で「小麦」を意味していたことを考えれば、両者は同じ名前を持つということになる。しかし、その香りや味わいは大きく異なっており、ビアスタイルとしてはまったく別物なのである。

名前だけでこんなに書いてしまった…この連載は言語学的な考察が目的ではないので、早速、ベルジャン・ヴィットビールの特徴から見てみよう。

さわやかな柑橘感

先にも述べたとおり、ヴィットビールは原料に小麦を用いたビールである。具体的には、麦芽にしない生の小麦を最大で50%まで使用している。一部オーツ麦などが使われることもある。このことから見た目は非常に濁って見える。

主な濁りの原因は小麦由来のタンパク質である。ヴァイツェンのときにも述べたとおり、小麦は大麦に加えてタンパク質の含有量が多い。加えて、発芽した後の麦芽よりも発芽していない麦の状態の方が多くのタンパク質が含まれている。したがって、原料として「生の小麦」を用いるヴィットビールは濁って見えるというわけである。

もう一つ、ヴィットビールの特徴としては、コリアンダーとオレンジの皮を加えることで、フルーティーかつスパイシーな風味やさわやかさが強調されている点である。実はコリアンダーはオレンジなどの柑橘類に似た香りをもっている。そのコリアンダーとオレンジの皮を同時に用いることで、柑橘系のフルーティーな香りがより強化されているというわけである。

ちなみにドイツではこのようなビールを作ることはご法度である。前回も紹介したビール純粋令があるからである。逆にベルギーでは、フルーツやスパイスなどの副原料を使っても何の問題もない。ベルギーの国土は九州より少し小さい程度の面積であるが、そこに100を超える醸造所があり、1000銘柄を有に超えるビールが定常的に作られている。その種類も多種多様で、フルーツなどの副原料を用いたものも非常に多いのである。

スタイルの起源

ヴァイツェンの回でも述べたとおり、小麦は重要な食料源であり、特にヨーロッパでは身近な穀物であったため、それが酒造りにも使われるのは極めて自然な流れであったと考えられる。

ちなみに、ヴィットビールには二つの故郷があり、一つはブラーバント州のルーヴェン(Leuven)の街、もう一つが同じブラバント州にありルーヴェンからもほど近いヒューガルデン村(Hoegaarden)である。

ルーヴェンを中心とするこの辺りの地域は非常に肥沃な土地であり、大麦やオーツ麦に加えて、小麦もさかんに栽培されていた。そのため、大麦に加えて、小麦やオーツ麦を用いたビールが作られたことは容易に想像できる。事実、6〜7世紀頃には、この地域で麦芽作りやビール醸造が行なわれていたようである。

ルーヴェンでは、伝統的にコリアンダーなどのスパイスを使用しない小麦ビールが作られてきたと伝えられている。一方、ヒューガルデン村ではスパイスを用いた小麦ビールが作られていたようで、これが現代のベルジャン・ヴィットビールの原形であると考えられる。

なお、ビール醸造にホップが使用されるようになったのは12世紀以降で、主たる原料として使われるようになったのは15世紀になってからと言われている。それ以前、特にヨーロッパではグルートと呼ばれる薬草などを配合した原料が風味づけに使われていた。その中にはヤチヤナギやアニス、コリアンダーなどが含まれていた。そういう意味では、ヴィットビールはホップ以前のビールの痕跡を現代に伝えているスタイルであると考えることもできる。

ビールにさわやかな風味を加えるためにコリアンダーとオレンジの皮が選択された理由についてはよくわかっていないが、隣国であるオランダの植民地で各種のスパイスやオレンジが栽培されていたということを考えれば、それらがベルギーで使用されたことも不思議ではないと考えられないだろうか?

流転の歴史

さて、上で書いたとおり、ブラーバント州では古来からビール作りが行なわれていた上、現在のベルジャン・ヴィットビールに近い小麦ビールも14世紀頃には作られていたようである。16世紀頃にはビール醸造家のギルドまで存在していたようである。19世紀末頃には、ヴィットビールを作る醸造所の数も30を超えていたと伝えられている。

ところが、第2次世界大戦以後の1950年代に、このビアスタイルは絶滅の憂き目を見ることとなる。その原因は、19世紀から世界を席巻した淡色ラガー、ピルスナーの大波に飲まれてしまったからである。1957年にはヴィットビールを作っていた最後の醸造所が閉鎖に追い込まれてしまった。

ところが、現代では世界中で、そして日本でもこのスタイルのビールは作られている。なぜか?絶滅から約10年後の1966年、ヒューガルデン村に住んでいたピエール・セリスなる人物によって復活を遂げたからである。

セリスは、地元の名産品であったヴィットビールが姿を消してしまったことを憂い、レシピ復活のための試験醸造などを繰り返して、1966年、ついに醸造所を立ち上げるに至った。彼の作ったヴィットビールは、地元のヒューガルデン村だけでなく、国中へ、ひいては隣国オランダなどでも大評判となり、急激に生産量を伸ばしていった。これが、現在も世界中で飲まれているヒューガルデン・ホワイトである。

これでハッピーエンドならいいのだが、話はこれで終わらない。順調な生産を続けていたセリスの醸造所は1985年に火事のため、大きな損失を負うことになる。損害は非常に大きく、セリスは自力での再建をあきらめ、1989年に醸造所をインターブリュー社(現在のアンハイザー・ブッシュ・インベブ)に売却する。

よくある話であるが、大手の食品会社は安定した味の製品を安定供給することを目指す。ヴィットビールも同様で、インターブリューが作る製品は、風味が平均化され、本来の特徴であった弾けるようなフルーティーさを失ってしまった。

その後、セリスは米国へと移り住み、テキサス州オースティンでビール醸造を再開する。彼はヒューガルデン・ホワイトのレシピに従って、ヴィットビールを作り、セリス・ホワイトと名付けた。ところがこの醸造所もわずか3年でミラー社に買収されてしまう。

ちなみに、ミラー社はその後南アフリカ醸造社(SAB)に買収されてSABミラーとなり、SABミラーも現在では、ヒューガルデン・ホワイトと同じアンハイザー・ブッシュ・インベブの傘下に入ることとなる。何とも皮肉な話である。

ベルジャン・ヴィットビールは、現在ではさまざまな国のクラフトブルワリーによって醸造されている。特に日本や韓国では、オレンジの皮の代わりに地元産の柚子の皮を用いたバリエーションなども生まれている。セリスの遺伝子は絶滅することなく、確かに息づいているのだ。

代表的銘柄

Hoegaarden White(ベルギー)
Celis White(米国)
Vedett Extra White(ベルギー)
城山ブルワリー・ベルギーホワイト(IBC2021金賞*)
DHCビール・DHCベルジャンホワイト(IBC2021銅賞*/JGBA2021銅賞**)
平和酒造・平和クラフト White Ale(JGBA2021銅賞**)
桷志田ブルワリー・桷志田ベルジャンホワイト(JGBA2021銅賞**)
小西酒造・Konishi Itami Beer ジャパンエール・ホワイト(JGBA2021銅賞**)
常陸野ネストビール・ホワイトエール(茨城県)
こぶし花ビール・ベルギーホワイト(埼玉県)
伊勢角屋麦酒・ヒメホワイト(三重県)
箕面ビール・ゆずホ和イト(大阪府)
梅錦ビール・ブロンシュ(愛媛県)

* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

ヨーロッパの小国の小さな村で生まれたビールが、世界に伝わり、アジアでどのような姿を見せているか、古き時代に思いをはせながら、国産のヴィットビールも楽しんでみようじゃないか。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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