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人類には瑣末だが、僕にとっては偉大な飛躍。それが「心の安全基地をつくる」。

そういえば、かつて感じていたような孤独感、不安定さがなくなってきた気がする。

今年の年始に立てた目標のひとつが、「心の安全基地をつくる」だった。

「心の安全基地」は、アメリカ合衆国の心理学者であるメアリー・エインスワースが1982年に提唱した概念で、不安や恐怖、孤独を感じる時に逃げ帰れる場のこと。

去年までの僕は、なにかあたらしいことを始めても続かなかったり、不安なことがあると折れてしまったりして、それは自分が意志がよわいからだと思っていたのだけど、いくら「今度こそ!!」と気合を入れても、ぜんぜんやりきれない。

これはなにか別の原因があるのでは、と思っていたら、「愛着障害」という言葉と出会い、幼少期の愛着関係からきているのでは、と思うようになった。

タイムスリップして、親との関係をやり直すわけにもいかないので、あらためて愛着関係をつくりなおそう、「心の安全基地」をつくろうと思い立ったのだった。33歳にして。

それから1年。いろんなコミュニティに顔を出したり、この人は大丈夫だなという人には自分のよわさも曝け出したり、ときには誰かの安全基地になったりと、工夫をくりかえすうちに、何人か、両手で数えるほどだけれど「この人がいるから、安心して生きていられるな」という存在ができた。

これは我が33年の人生を振り返っても、そうとうのことだ。かの宇宙飛行士にならっていえば、これは人類にとっては小さな一歩だが、僕という一人の人間にとっては偉大なる飛躍である。

ただ、ここが僕の偉大じゃなさ、ちっぽけさなのだけど、「心の安全基地」という、もうめちゃくちゃ尊い存在の、その尊さを忘れてしまうことがある。安全基地がないときは切実にそれを求めるけど、できてしまうと当たり前になって、その存在に気づけないのだ。熊が酸素の存在に気づけなかったり、マグロが海の存在に気づけなかったりするみたいに。嗚呼、なんてちっぽけでなんて傲慢な俺という存在…

だからたまに「そういえば」と気づいて、その存在に心から感謝する習慣をつくりたい。ご飯食べる前に「いただきます」っていうのと同じような具合に、なにかその存在のありがたさを思い出すおまじない的なものがあるといいのかもしれない。

とりあえず、毎晩手を合わせてお世話になった人のことを思い浮かべて「ありがとうな〜」って、心の中で唱えるようにしてみた。これも僕的には瑣末だけど偉大な一歩だ。


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