見出し画像

例のアレにまたがることはひとつの革命である。

公園にあるアレの収集をはじめた。アレっていうのはパンダやら象やらゆるキャラやらにまたがってぐわんぐわんできる、アレである。

収集といっても引っこ抜いて持ち帰るわけにもいかないので、見つけては写真を撮って、インスタのストーリーにあげている。

僕は少し前から「総散歩時間をふやす」を人生のおおきな目標にして、平日だろうと休日だろうとストイックに散歩してるのだけど、まちをてくてく歩いていると、ふと視線を感じることがある。みると猫の額ほどの公園で、アレがまたがってほしそうにこちらを見ているじゃないか。

よしきたと、かけよってまたがりたい衝動に駆られる。けれども僕のなかの大人が「いやまて、こんな髭面のおっさんがこんなもんで遊んで、近所のひとに通報されたらどうする」ととめるものだから、仕方なく写真だけ撮って帰る。

そんなわけで、僕のインスタにはアレの写真がたまっていくのである。

辻信一さんは、著書『「ゆっくり」でいいんだよ』のなかで、現代人は人間らしく生きる時間がすくなくなっていると言っている。

効率や便利さをもとめる経済というシステムの中で、無駄や遊びは排除される。しかし愛するということはその人のために時間を無駄にすることだし、人生のたのしみの大きな部分は本来遊びがもらたしてくれるはずだ。つまり無駄や遊びのなかにこそ、人間らしく生きる時間があるのだ。

僕にとって、というか人類にとって、アレにまたがる時間は人間らしく生きる時間にほかならない。「やめとけよ」とささやく、経済というシステムに飼い慣らされたもうひとりの自分の声をふりはらって、アレにまたがることができたら、それはひとつの革命だとおもう。

公園を通りかかると、スーツを着たビジネスパーソンが、主婦が、参考書を持った大学生が、ランドセルを背負った小学生がアレにまたがってぐわんぐわんやっている。そんな光景をみることができたら、世の中捨てたもんじゃないなとおもうのだけれども。









サポートがきましたって通知、ドキドキします。