「教える」って嬉しい、けどこわい【6/10-6/11の日記】

<6/10>
昨日買ったTシャツを着て下北沢へ。アーティストのsuper-KIKIさんがつくったやつで、胸には「FEMINIST(フェミニスト)」の文字があしらわれ、背中には「家父長制のお墓」がどーんと描かれてる(!)。

これ着て街を歩くの、おかしい社会に中指立ててるみたいでちょっと痛快である。コワーキングスペースついたら「バカンス感あるカッコですね」って言われたけど。ゴキゲンな感じで社会に中指立てていくのだ!

<6/11>
予定してたアポがなくなって、ひさしぶりの在宅作業Day。天気も晴れて、いい気持ち。散歩せずにはいられねぇ!ってことで1時間おきくらいに散歩を挟みつつ、作業を進める。家族連載の新しい記事もいったん書き切って、ふぃーっと一息。

夜はオンラインイベントの講師のお仕事。インタビューライター養成講座という連続講義の講師をおおせつかっていて、今夜はその特別講義ということで、「インタビュワーがふだん考えてることを探る」という会。

インタビューに関してはほとんど自己流でやってきてる。準備のためになにを意識してるか整理してみると、案外おれちゃんと考えてやってるんだなぁと、自分で感心してしまった。

たとえば、自分にとってインタビューは「物語をともにつくる」営みであって、「相手が持っている事実を引き出す」ではなくて、「ともに物語をつくる」という発想でやってる、などなど。

イベントには70人くらいの参加者が集まった。裏ではサッカー日本代表戦がやってるっていうのに! 質問も「事前準備どれくらい時間かけますか?」「ライターで食べていけるんですか?」など、具体的なものがバンバンときて、そのたびに全力で答えていく。そのプロセスで、自分でも言葉になってなかったことが言語化できる。教えることってなによりの学びなんだよなぁ。たぶん参加してくださった方の満足度も高くて嬉しい。

しかし、教える立場になるのってこわい、とずっと思ってる。教えをこわれて、なんかいい感じのこと言って、感謝されたりすると、「自分ってすごいのでは?」と錯覚しそうになる。それで調子に乗ると、いち実践者として成長しなくなる、って落とし穴が待っている。それに、調子乗ってるのださいし。だから、くれぐれも調子乗るなよ〜と自分に言い聞かせるのだ。

そういえば1ヶ月前に登録したchocoZAPにいまだに一回も行けてない。今週中…今週中にはかならず…



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