強い自分と再会する【6/24-6/26】

<6/24の続き>
日記を書き終わったあと、久しぶりにオンラインでコーチングを受けた。

目標や、自分への約束みたいなものに対して、ついつい「まぁいっか」となってしまう自分がいる。それでもそれなりに成果は出せるのだけど、「お前、そんなもんじゃないじゃん?」と、もうひとりの自分の声がするんである。

そう、おれはこんなもんじゃない。もっとすげー可能性を秘めている。でも自分でストッパーをかけて、安全な場所に留まってる。それをなんとかしたい。

という悩みをつらつらと相談。

話しながら、そういえば、10代のころはストイックな自分が好きだったなぁと思い出した。まわりが校庭でサッカーで遊んでても、ひとりで英単語をコツコツと覚えてる、そんな自分が、かっこいいな、と思ってた。そういうかっこいい自分と、ここ15年くらい会えてない。なぜか、その自分をひっこめてしまったのだ。

「やりたいことの話をしてるときの山中さん、地に足がついてる感じがしました」と、コーチの方がいう。たしかに、今日はあの頃の自分がひさしぶりに顔を出した気がする。自分を大きく見せることもなく、卑下することも、ちょけて笑いをとることもせず、ただどっしりと今ここを生きて、希望を語る自分。

しかしたら、弱さを開示して人とつながることを覚えて、そうした強さを出すことを避けてたのかもしれないな、と思う。

弱さをさらけ出すことも大事だけど、強さを出すことだって大事だ。たしかに、強さを出すことは、ときには有毒さをはらむこともある(たとえば男性同士でホモソーシャルな絆を確かめ合うために収入の多さや経験人数をひけらかすような)。でも、支配のための道具としてではなく、ただそこにあるものとして出すのはきっと自然なこと。強さだって僕の中の一部なのだから。

僕は強さという自分のなかの大事な一部を、狭い部屋に押し込めてたのかもしれない。なぜだろう?もうちょっと考えてみたい。

<6/25>
やばい、伏線がすごすぎてひさしぶりに夢中で読み進める本に出会ったわ!と思って一気読みしたら、ほとんど伏線が回収されずに終幕した。おおおおい!!この気持ちどこにもってけばいいんだ!!

夕飯でつくった生姜焼きが自分史上いちばん美味かった。肉がやらかく、旨味が◎。下味つけたのがいい感じだったんだな〜。しかしキャベツの千切りがへたすぎて。これは千切りじゃないな、百切り、いや、十切りだわ。練習しよ。

<6/26>
昨日の夜、ひさしぶりに『プロフェッショナル仕事の流儀』をみたから「仕事やるぜ!」って気持ちになってる。めずらしく。そんで原稿書く。

夕方になったらあんま元気なくなった。気持ちも落ちてるし、ちょっとしたことでイライラする。いつも下北沢で歩く散歩道があるんだけど、ある路地だけやたら犬のうんこ落ちてる。たぶんぜったい片付けない人がいるんだろうな。ちゃんとしようぜ!とか思う。

上がったり下がったり、せわしない1日。今日あんまいいことなかったなぁと思って、夕飯は「どどど」で定食を食う。うまいんだこれが。退屈な1日へのせめてもの抵抗。

帰り際、下北沢の駅前のベンチに座って友だちと電話。日中は暑かったけど夜は涼しくて気持ちがいい。駅前のロータリーはだいぶ工事が進んで、すっかりきれいになったけど、地べたに座って酒飲んでる若者がたくさんいるのは変わらない。再開発が進んでもこの景色はずっと残り続けてほしいもんだなぁ、と思った。


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