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ご飯よりメシが好き。

ご飯のことを「メシ」って呼んでる人と出会ったとき、このひととは気が合うかもしれないな、という気持ちになる。

「メシ」。この2文字がはらんでいる意味のふくらみを感じとっていただけるだろうか。というか、そんな意味のふくらみは、ぼくが勝手に感じとってるだけのものなのかしら。

「ごはん」という言葉は、その対象だけを指している印象がある。けれども「メシ」という言葉には、なにかぼくやあなたがそのごはんにたどり着くためのちょっとした苦労までが含まれている感じがする。

今日もひと仕事終えて心身疲れ果てたこと、空白のなか店を探して街をあっちにこっちにさまよったこと、彼女にフラれたこと、上司におこられたこと。そんな苦労が調味料となって、「メシ」はごはん以上の喜びをぼくらに味あわせてくれる。

だからぼくは、食べログにたよらずに、街を歩いてうまそうなメシ屋を探すのが好きだ。あちゃー不味かった、お、ここはうまいぞ、というトライアンドエラーを繰り返す。効率をかんがえたらムダなのだけど、しかしこのムダが、「メシ」をおいしくしてくれるのだ。

ご飯のことを「メシ」と呼ぶひとは、そこらへんの感覚をこの人も持ってるんじゃないか、という気がするけど、どうなんだろうか。聞いてみたことがないからわからないけれど。あぁ、書いてたらお腹が空いていた。今日もぼくは「メシ」をさがしている。

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