見出し画像

いい文章とはウフフである。

いい文章とはなんなのだろう。

どんなに売れている小説でも、どんなに「いいね」がついているコラムでも、まったく心に残らない文章もある。逆に、言葉のプロでもなんでもない友達の何気ない言葉が、その後の人生を長いこと支えてくれたりもする。

じゃあ、すくなくともぼくにとってのいい文章の条件はなんだろう、と考えてみたところ、「人生の肯定」なんじゃないか、と思うようになった。……というとかっこよすぎてムズムズするので、「人生のウフフ」といいかえてみる。

つまり、文章はぼくにとって、ありのままだと無味乾燥で、ときには悲しくもあり寂しくもある人生を、「悪くないじゃん。ウフフ」って肯定するための手段なのである。

なので、読んだ方がその言葉に触れて、その日ちょっとだけ生きるのが楽しくなったり、心が軽くなったりする文章を書きたい、と思う。欲張れば向こう1年、3年、5年くらい、その言葉がどこかに残って、ふとしたときに「だれだったかが、こんなこと言ってたな」と思い出し、心がフッと軽くなったりしてくれたら最高だ。

たとえばぼくの言葉じゃないけれど、「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ」という茨木のり子さんの言葉は、「ああ、ばかものになってたな、おれ」とことあるごとに気づかせてくれるし、「髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」という星野源さんの言葉は、「ああ、髪の毛くんくんしたい!」とことあるごとに思わせてくれる。

どれだけたくさん売れるか、いいねがつくかが目的の、不特定多数の「だれか」に向けた文章に向けた文章ではなく、茨木のり子さんや星野源さんのように、「あなた」がウフフってなる文章が書きたいのである。

さて、あなたにとってのいい文章ってなんですか?

サポートがきましたって通知、ドキドキします。