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話を聴いてくれるだけでホメオスタシス(1月18日)

きゅうきょ撮影の仕事が入って、目黒の自然教育園へ。はじめて訪れたんだけど、大きい木々があり、池があり、鳥たちの鳴き声もさわがしいくらいに聴こえてきて、「東京にもこんな場所があるんだなぁ」と、ちょっと感動してしまった。

「あっちに、カワセミいますよ」と、知らないおじいちゃん。その方向へ向かうと、たしかに池のまんなかからすこし顔を出した倒木に、ちいさい小鳥がとまっていた。それはそれは青く、あまりに鮮やかで、フィギュアスケートの選手みたいに、池っていうリンクの上でそこだけ輝いてるように見えた。一瞬、ここが東京の真ん中だってことを忘れそうになる。

無事撮影を終え、仕事仲間からうれしい相談もあり、ちょっと視界が晴れたような気持ちに。実はこのごろ、ぼんやりと閉塞感を感じていたのだ。なんだかうまくいかないなぁ、同じことのくりかえしをしちゃってるなぁと。だからといって状況を打開するうまい手立ても思いつかずにいたのだけど、こういうときって、誰かが縁を運んでくれて、おもいがけず道がひらけることってあるのだ。これからなにか動いていきそうな予感。

それから、電車で下北沢のボーナストラックに移動。夜にイベント登壇があるのだ。テーマは「働くと暮らす」。さて、困った。はずかしながら、おれは人に自慢できるような「暮らす」をしてない。けれども今回はどちらかというと「暮らす」を話してほしい、なんなら暮らしの写真をいれてほしい、という依頼だったので、ぐむむと悩んだ。

それで、苦しまぎれに、「ワークライフバランス、みたいに、「働く」と「暮らす」のバランスをどうするか、みたいなことを考えがちだけど、そもそもその問いを疑ってもいいのでは? 仕事にせよプライベートにせよ、「他人や環境に流されない“自分の時間”をどれだけ生きてるか」ってこと最近は考えてる」みたいなことを好き勝手しゃべった。案外ウケて安心。他のゲストの話もおもしろかった。

しかし、自分の話を聞いてくれるひとがいる、っていうことは本当にうれしいことだな。しかもメモをとって、しょうもないボケに笑ってくれ、「へぇ〜」とうなずいてくれた日には、もう自己肯定感爆上がり。

おれのなかに、「自分の話なんかしちゃってごめんなさい」精神がふかく根を張ってる。それは幼少期から、だれも自分の話を聞いてくれる家庭環境じゃなかったからだと思うんだけど、自分の話を聞きたいと思う人がいる、っていうのが、いまいち実感がわかないのだ。

だから、自分の話を「うんうん」「へぇ〜」と聞いてくれるひとをみたり、そもそもお金を払ってこういうイベントにわざわざ足を運んでくれることが、「なんだかもう、ありがとうございます!!!!」って、握手をしてまわりたいくらいうれしい。

ほめるBarっていう、来た人をひたすらほめるイベントをやってるけど、おれにとっては話を興味を持って聞いてくれるっていう、それだけでホメオスタシス。ホメオスタシスってなんだろう、よくわかんないで書いてるけど、ほめられてる気持ちになるってことです。


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