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明日は今日よりちょっといいものつくろう(12/18)

うしなって、はじめてわかるありがたさ。それは健康のことだよ。

ということで、無事退院しました。昨日の朝。いや〜、お腹が痛くない世界ってこんなにもすばらしいのか。ちゃんと歩ける!メシくえる(まだやわいものだけだが)!

お腹はほとんど痛くないのだけど、体力が落ちたのか(1日入院するだけでえらい落ちるものだな)日曜はなんにもできず、今日から仕事復帰。たっぷり休んだおかげかそこまで週末のダウンを感じさせないくらい、作業を進めることができた。

昨日宮崎駿さんの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観たのがよかったのかもしれない。創作をするということの狂気。まるでタタリにとりつかれたオッコトヌシのように、向こう側の世界まで足を踏み入れて作品を創る宮崎さん。

登山家に「なぜ山に登るんですか?」と聞くのが意味をなさないように、ほんとうの創り手に「なぜ創るんですか?」と聞くのもまた、意味をなさないんだと思う。それはもうそのひとの存在とふかく結びついてるから、その営みがないそのひとは存在し得ない、自分も想像できないんじゃないか。それはもはや呪いとかカルマとかいってもいい気さえする。

そういう創り手に畏敬の念を抱くのは僕がそうなれていないからで、べつに書かなくても、撮らなくてもそれなりにしあわせに生きていけるんだろうなあと思う。呪われなかった凡人の悲哀。

でも凡人は凡人なりに、かじりついていきたいなあと思う。神様のようなあのひとたちには遠く及ばないが、「創る」という営みの末席に加えさせてもらってることはほんとうにありがたいことだ。だってこの前の、アニキサスの件も、ただ腹痛くてうめいてる話だけど文章にしたらそこそこの人が読んでくれるわけだし。

創作の営みのなかでは、怒りも、悲しみも、嫉妬も、恐れも、腹痛だって肥やしになる。こんなありがたいことってある?

今日も人生を肥やしに文章を書いて、それをたった一人でも読んでくれるひとがいるということ。僕は神にも、オッコトヌシにもなれないが、それだけで嬉しいし、でもそれに甘んじることなく、明日は今日よりちょっといいものつくろう、と思ったり、誓ったりするのであった。


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