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青春

いきなりだけど僕は20年以上前からセツナブルースターというバンドが好きです。
全楽曲を製作しているヴォーカルギターの倉島大輔さんは実家が近く、年も一つ上ということで高校時代から注目していた。インディーズの頃から好きでしたが、それはあくまで地元枠としての好きでした。しかし、メジャーデビューアルバムの「キセキ」からはドハマりし、推しバンドとなりました。(当時推しという言い方はなかったけど)

2008年に活動休止期間に入ってしまいましたが最近本格的な活動が始まりました。

活動休止中もときどき楽曲を聞いてはいましたが、それでもライブもなく、新譜もない状態では熱が下がるのは当然のことで、その間に他の様々なアーティストを聞くようになりました。
それが今年の4月21日のライブを見て、当時の熱が一気に蘇りました。むしろ当時より増したくらいです。

そんなわけで今日はセツナブースターについて書こうと思う。このnoteは創作ネタしか書いてきていないのですが、セツナは僕の創作に大きな影響を与えたような気がするので書いてみようと思います。多分、気持ちのまま書くから読みづらいと思います。そこはご了承ください。

まず、セツナブルースターを知らない人はWikipediaを見てください。


セツナブルースターと僕との歴史はけっこう古く、上にも書いたように初めて触れたのが高校時代ですから25年くらい前のことになります。ちなみに当時のバンド名はセツナブルースターではなく、上海PIZZA(シャンピ)という名前でした。

シャンピを初めて見たのは、ティーンズミュージックフェスティバルという全国規模で行われていたバンドのコンテストでした。
なんとそのコンテストには僕がボーカルを務めていたバンドも出場していました。残念ながら僕らのバンドは上の大会に進めなかったのですが、シャンピは通過していました。でも、演奏の記憶はほとんどありません。僕も僕で緊張していたからでしょう。

このコンテストとは関係なく、シャンピは長野のアマチュアのバンドシーンでは有名でした。高校時代のクラスメイトにも好きな人がいて、一緒にライブハウスJに見に行ったこともありました。ただ、当時、ファンだったかというとそうでもなく、というのもジャンルは違えど僕もバンドをやっていたので同世代のバンドに対してはちょっとしたライバル心もあり、「ふーん」みたいな冷めた見方をしていたかもしれません。

その後、シャンピはセツナブルースターに改名し、どんどん有名になっていきます。僕が一番すげえと思ったのは、当時の愛読書「BANDやろうぜ(通称バンヤロ)」という雑誌に注目のアーティストとして紹介されていたことです。

そこまでいくともうお手上げで、ライバル心もなくなり応援したい気持ちに変わっていきました。
そこで買ったのは2001年セツナ初のアルバム「エヅラ・ガラ・セツナ」です。これはとにかく一曲目の「帰り道」がものすごくカッコイイ。もうここで軽くファンになりました。
そのあと、同じ2001年に「二十歳より」というアルバムをリリース。(なんですかこのハイペースリリースは笑)
このアルバムももちろん買いました。

そしてそして、2002年。メジャーデビューアルバム「キセキ」が発売。

インディーズの作品も好きでしたが、このアルバムは本当に好きで、自分の人生の中で一番聞いたアルバムかもしれません。

このアルバムの何が良いかというと、とにかく心に迫ってくるんです。それ以前の作品はバンドサウンドのカッコよさを気に入っていた節があるのですが、このアルバムはなんというか音楽を聴いているだけはなく、物語を見ている感覚、映画を観ている感覚、ポエムを見ている感覚、短編小説を読んでいる感覚、それでもやっぱり歌を聞いている感覚がありました。(何を書いているのか自分でもわかりません)

詞が等身大なんです。青春の悩みとか、葛藤が曲に込められていて胸がざわつくんです。ヒリヒリするんです。

セツナブルースターは「青春」というテーマを大切にしているのですが、いわゆるキラキラした青春ではありません。正直明るい曲はほとんどありません。どちらかといえば暗いです。でも、それが当時の自分には刺さったのです。

僕自身、今振り返っても高校時代は暗黒期でした。本来、映画やドラマでは高校時代が一番キラキラしているはずなのに、当時の僕は常につまらなかった。といっても友達がいないわけではなく、傍から見れば楽しそうに写ったでしょう。実際、高校の担任の先生に、「学校がつまらない」と言うと「楽しそうにしてるじゃないか」と返されました。

思えば、あの頃の自分は何かと戦い、何かに悩んでいました。別に環境に不満はありません。家族からも愛されて育ってきたと自覚していたし、親友と呼べる友達もいたし、バンドも楽しかった。だけど、どこか自分自身に納得していなかった。だけど、その気持ちを当時の僕は理解していないし、ましてや言語化など到底できませんでした。常に得体の知れない何かにモヤモヤしていたような気がします。

そんな暗黒期を経て、調理の専門学校在籍時に「キセキ」が発売されました。
聞いた瞬間、「これは俺の曲だ」と思いました。俺が抱えていたモヤモヤをこの人は歌っている。そう思ったのです。これは倉島さんが同世代で地元の人だというのも、より楽曲と自分を密接にさせたのではと思っています。

倉島さんの詞をすべて理解しているとは思いません。そんな単純な詞ではありません。それに、倉島さんの詞に出てくるような中学生でタバコ吸ったりとか悪いこともしていません(笑) 
それなのに、曲を聴きながら、まるで自分のことを歌っているような感覚になりました。これは太宰の「人間失格」を読んだ感覚だと言えば、小説を書く方にはわかりやすいと思います。実際倉島さんの歌詞は文学的だと音楽ライターも評価しています。

キセキに収録されている曲は、一貫して自分自身と向き合っていて、共感を求めたり、聴く人を応援しようだなんて意図はまるでありません。だからこそ響くのかと思います。僕は捻くれているので「みんな頑張れ、応援するよ」みたいな曲では白けてしまいます。

青春をテーマにしているとはいえ、倉島さんは、その悩み葛藤を誰かのせいにしているわけではありません。この手の歌詞だと普通、自らの苦悩を社会のせいとか大人のせいとかに置き換える印象で、そういう歌詞もそれはそれで僕は好きですが、倉島さんの詞の中には、ちゃんと人からもらった愛についても書かれており、上記のような「誰か」や「何か」に対しての不満は書かれておらず、あくまで自分自身の問題として書かれているように感じました。

とりあえず「キセキ」収録から二曲貼っておきます。

少年季の中で好きな歌詞があります。

僕が子供の頃は自転車が流行っていて
それをプレゼントしたときの顔が忘れられないと父が言う

何気ない一節ですがこういう温かさが好きです。

「キセキ」が僕の中で大切なのは間違いありませんが、そのあとにリリースされた「青写真」と「イツカ・トワ・セツナ」もとても好きなアルバムです。
この二枚が発売されたとき、僕は長野駅前でスシバーを営んでいました。

スタッフの運転で実家から店まで三十分以上かけて通っていたのですが、車の中で繰り返し繰り返しこれらのアルバムを聞いていました。当時はスマホもなく、移動中、助手席に座っているだけの僕はやることもないので、ひたすら曲を聴いていました。そのためかセツナの曲って歌詞を覚えているんですよね。
そーいえば当時のスタッフは苗字も年齢も倉島さんと一緒だ。

あと急に思い出しのですが「イツカ・トワ・セツナ」に同封されていたステッカーをスシバーの店内に貼っていました。いつかメンバーが来たらいいなと思いながら(叶いませんでしたが)

そのスシバーは一世を風靡する気概で始めたお店でしたが、経営的に上手くいかず2年くらいで閉店。僕にとっては大きな挫折でした。

だいたいその頃でした。セツナブルースターも無期限活動休止してしまいました。
これには相当ショックだったと記憶しています。
どちらかといえば活動休止に対して怒っていたかもしれません。というのも、先日ふと、倉島大輔さんのブログを読み返しました。何故かというと、たしか活動休止後にブログにコメントしたことがあったと思い出したからです。そのコメントがみつかりました。見た瞬間、青ざめました。いや赤らめたかも。
俺、めちゃくちゃ怒っているじゃん、と。書いた本人だからわかる程度ですがコメントに怒りが滲んでいたのです。
活動を休止するというのはメンバーにとって相当な苦悩があった故の決断だと思います。しかし、僕にはそこまで考える余裕はなかったようです。今、十五年の時を経て、自分の描いたコメントを見たとき、ファンの想いというのは本当に理不尽だなと思いました。はあ、、、恥ずかしい。

話は変わって活動休止してわりとすぐだったのですが、ラジオに出演させていただく機会がありました。当時、うちの店はリニューアルしたばかりで、そのことについてお話しさせて頂いたのですが、最後に好きな曲をリクエストするというコーナーがあって、そこで僕はセツナブルースターの「はるか」という曲を選びました。多分この曲を選んだのは、好きだったからという理由もありますが、多くの人に響くと思ったからです。

放送後、嬉しかったのは、普段それほど会話をしない妹から「あれ、いい曲だったね」と「はるか」を褒めてもらえたことでした。あれは嬉しかったな。

はるかのMVが最近アップされたので貼っておきます。

「はるか」の歌詞の中でとても好きなフレーズがあります。これはXでも投稿しているので知っている人いるかも。


なぜか自分だけに特別な何かがあると胸のどこかでいつも信じてたから そんな簡単に今までの自分に見下ろされたくなくて

この歌詞は僕にとって特別です。初めて聴いたときから響きましたが、年をとる度に特別な言葉になっています。
僕も自分には特別な何かがあると思っています。こういう考えは若い時は多くの人にはあると思います。だけど、年齢を重ねるとこういう気持ちはなくなっていくのです。
若い時、夢を語り合う友人がいました。しかしその友人も今はただの良い父親になっています。もちろん否定はできませんし、それも幸せの形だと思います。もしかしたらそれがオトナになるということかもしれません。夢の話を出来なくなった寂しさはありましたが。

僕はこの曲を聴くたびに意識せずとも自問自答するのです。この歌詞の気持ちを今も持ち続けているのかと。
この文章を書いている今日、僕は41歳になりました。
でも、今日の自分もこの曲を初めて聴いた二十代前半と同じで、まだこの気持ちを持ち続けています。自分だけに特別な何かがあると今も僕は信じています。だから前を向けるのです。

長くなってきているのでいい加減そろそろ話をまとめようと思います。とにかくセツナブルースターは最高です。
ここでは主に詩についてしか言及していませんが、倉島さんの書くメロディーは素晴らしい。バンドサウンドはかっこいいけど歌メロはフォークとか歌謡曲に通じる日本人に響く哀愁があります。それでいて激しくスリリング。
あと、ライブに行くと感じるのですがメンバー3人全員が主役なんです。音源ではわかりづらいかもですが、ベースはいわゆる動くタイプのベースライン、ドラマはとても激しくパワフル。何より高校の同級生ならではのシナジーを強く感じるんです。このバンドはライブバンドだなと強く思います。そして何より倉島大輔の声。この声がとにかく僕の胸を打つのです。
セツナの初期の声はどこか変声期の少年を思わせる歌声で、まさに若者の叫びを表現していたと思います。そして今の歌声はもっといいんです。声が太くなって説得力が増したのかなあ。沁みるんです。

そして今年の4月21日。僕はライブハウスJに約18年ぶりにライブを観に行きました。一曲目から掴まれました。そしてライブ中、あることを思いました。
「ああ、青春だ」と。

ライブ中、演奏しているメンバーを見て、昔より好きだなあと思いました。それは倉島さんの歌声もそうですが、メンバー全員の雰囲気とか観客の温かさとかすべてがです。とにかく涙が出るくらい素晴らしいライブでした。そして、僕は三人に青春を感じました。それはセツナブルースターが大切にしているテーマです。
だいぶ時が経っています。仮に枯れていてもそれはそれなりの魅力もあると思います。しかし彼らは枯れていませんでした。それどころか僕は三人に青春を感じたのです。

特に倉島さんのボーカルには危険な雰囲気が漂っていました。それは怖いくらいでした。僕の一つ上なので、丸くなってもおかしくない。しかしステージ上の彼らはまったく丸くなかったのです。それが無性に嬉しかった。

このライブに僕は大きな感動をもらいました。こんな感動は令和にあったかな。ないと思う。令和一の感動でした。

ステージ上の三人に青春を感じたとき僕は思いました。

「俺も青春」だと。

僕も四十代ですが、今も変わらず、料理も小説も高みを目指していて、より遠くに届けたいと思っていますし、届くと信じています。
この感じは、暗黒期の高校時代よりよっぽど青春なのではないかと思うのです。今の僕は結婚し、子供は3人。白髪も多いし、腹も出ているし、首は痛いし、腰はヘルニア気味だし、顔にはシミも増えたし、なぜか最近イボが異常に増えた。とにかくとても老いを感じています。だけど、気持ちは若いつもりだし、高校の頃より、確実に僕は前を向いています。

セツナブルースターのライブを見て青春が蘇りました。というより、今が青春だと強く感じました。

いい加減本当にそろそろ閉めようかと思うのですが、最後にセツナブルースターの17年ぶりの新曲を貼ります。

この曲はバンドの現状について書いたとインタビュー記事にありましたが、僕は自分に当てはめて聴いています。
それはここで僕が書いてきたことそのもので、年は取ったけど、若い時の気持ちはまだ失っていない。変わったようであまり変わっていないという、そんなことを感じました。こういう感じはちょっとオトナバーに通じるものがあるのではと思います。あれは大人も子供も悩みはあまり変わらないという気づきから着想したので。

オトナバーといえば、僕は色んなものの影響を受けて小説を書いています。それは、朝井リョウさんだったり、綿矢りささんだったり、藤子F不二雄だったり、スラムダンクだったり、越ちひろさんだったり色々ありますが、セツナブルースターはかなり影響が大きかったような気がします。僕の作品には青春が多く、さらには切なかったり、どうしようもない感情だったり、ノスタルジックだったり。これは倉島さんに通じるかと思うのです。これが倉島さんの影響なのか、それとも自分がそういう思考、嗜好だからセツナの音楽に惹かれたのかわかりませんが、勝手に近いものを感じています。

まとめると、推しを推せる幸せを今すごく感じています。
セツナブルスターは新曲を出すたびに、今までにない言葉選びやメロディーを持ってきます。倉島さんの引き出しの多さは相当で、今後その引き出しの中身を覗けると思うと楽しみです。そして、それを待ち遠しいと感じることができる今日をとても尊いと感じています。

今僕は玉置浩二さんやBE:FIRSTなど好きなアーテストはたくさんいます。それに、おそらく僕はここから40年くらい生きる予定なので、好きなバンドやアーティストは増えていくでしょう。だけど、「大切なバンド」となるとセツナブースター以外にはないような気がします。

そんな大切なバンドのセツナブースターは8月にワンマンライブを東京で行います。ワンマンは21年ぶりです。すでにチケットを取ってしまいました。
飲食業をやっていると中々遠征できず、ライブのために東京に行くのはこれが初めてです。今から楽しみです。
結局長くなったけど今度こそ本当にまとめます。最後に一言。

俺は青春真っ只中です。

               塚田浩司


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