シェア読書「なまけ者のさとり方②」
人は収縮しきっていると、かたまりとなり、完全に内にこもってしまいます。収縮すればするほど、他の人と同じスペースを共有することができなくなります。そして、恐れ、痛み、無感動、憎しみ、悪意、その他ありとあらゆる否定的な感情を経験するのです。極端な場合は、完全に気が狂ったように感じ、あらゆる人、あらゆるものに抵抗し、自分の意識をまったくコントロールできないような気持ちになってしまいます。
もちろん、こうした感情は、かたまりのレベルのバイブレーション特有のもので、彼がそこから広がり、自分の考えや、見たり感じたりしていることにさからうのをやめさえすれば、いつでもその状態から抜け出せるのです。
収縮しているから、閉じているから、他人に疎外されているように感じるんだなぁと思ういます。ただ開く、広がるだけで、否定的な感情は減っていく。
人が拡張と収縮を繰り返しているとき、エネルギー状態にあります。私の想像では、中間の地点、つまり、50パーセント拡張し、50パーセント収縮している状態にいると、人は論理で自己中心できでない、いわばエゴのない状態で、予測可能な行動の仕方をします。これは物理学でいうエネルギーのゼロ・ポイントであり、私たちが広がって、より高い意識のレベルに昇ってゆくときに通過する、エゴがなくなる点でもあります。
エゴのないエネルギー状態のわたしたちは、ある種「もの」のようなもので、物理法則にのっとったような動きをする=予測可能、ということでしょうか。
この場合の「エネルギー」とは、客観的に測定できる量的なものではありません。スペースとか、かたまりというのと同じように、生命ある個体の一つの状態を現しているのです。エネルギー状態にいる人は、周囲の人々に対して、ドミノゲームのように、ある一定の反応の仕方を示します。
スペース状態の人に会うとエネルギー状態にいる人は高揚感を覚え、バイブレーションが細やかになり、自分が自由になったように感じます。一方、かたまり状態の人に会うと、エネルギーがなくなったように感じ、バイブレーションが粗くなり、圧迫感や混乱を感じ始めます。
これはまさにそうだと感じました。エネルギー状態のわたしは、会うひとによって、バイブレーションが変わる。だから「わたし」というものは、あってないようなもの、かなぁと思う。
この宇宙は、拡張と収縮の数限りない組み合わせと、あらゆる振動数で振動している無数の個体が作り出している、壮大な調和そのものなのです。それぞれの振動数、拡張と収縮の組み合わせには、それに固有な感情や思想が存在しています。またそれぞれのレベルによって人間同士がどのように関わり合っているかについても、違って見えてくるのです。
(中略)
この宇宙全体、私たちと同じものから成立しているのです。原子を作っている粒子は、みんな生きています。分子や細胞は、そうした生きているものの集合体です。エネルギーとは、いっせいに振動している私たちの集まり全体のことです。スペースとは、完全な幸福感に浸りきっている、私たちの仲間の集まりなのです。
しあわせなときは、解放感を感じますよね。まさにスペース。
生命あるものとないものとの間にも、まったく何の違いもありません。両方とも、同じ生命を持った粒子からできているからです。両方とも「かたまり」から「エネルギー」に変わることができますし、「エネルギー」は「スペース」に変わることができます。そして、その逆も可能なのです。
自分の仲間がかたまりとしてものに見えたり、エネルギーに見えたり、スペースに見えたりするのは、自分がどれだけ意識を縮こませて、かたまりの状態にいるかによって決まってくるのです。私たちは必ず、自分のバイブレーションのレベルに応じた、ものの見え方や体験をしているのです。
バイブレーションは人それぞれ、世界の見え方も人それぞれ。
見える世界で、いまの自分の状態がわかるのかなと思ったけど、自分より上の状態のことをするのは難しい、のかもしれないですね。2次元からは3次元が見えない、みたいな。
今日はこの辺で。
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