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尊敬の中には嫉妬が隠れている

悟りへは、男性はひとりあること、瞑想の道。女性はだれかを愛すること、愛の道が合っている。

そう話すOSHOが、愛の道について語っている本です。ぼくの好きな本の中でも、五本の指に入る大好きな本です。なので、こんなにも付箋が↓

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過去最高記録、かもしれない(笑)

ぼくは男性ですが、瞑想よりは愛の道が合ってる気がするので、そういう意味でも「女性っぽい」のかもしれません。

ひさしぶりにに読み返してみて「おっ!」と思ったところがあったので、深夜にもかかわらず、書き写してみました。

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響いた文章は書き写す。それがぼくの生き方(笑)

愛に関する部分ではないですが、シェアしますね。もし響くところがあれば幸いです。

以下引用↓

人を尊敬するときは常に、自分にないものをその人に見るがゆえに尊敬する。自分もそうなりたいものを、その人の中に見るから尊敬するのだ。
尊敬の中には嫉妬が隠れている。
尊敬は偉大な質などではない。尊敬は嫉妬のひとつの側面だ。あなたは尊敬の背後に、隠れた嫉妬を抱いている。


とてもドキッとする言葉。でもそういう部分が、自分の中にあると思う。


だから、尊敬と畏敬は大きく異なる。
尊敬とは嫉妬の入り混じった畏敬であり、畏敬は嫉妬が含まれない尊敬だ。あなたはその人の中に自分の欲望の成就を見ると、その人を尊敬する。それはあなたには起こらなかったが、彼には起こった。
光明を得た人のもとに行くと、あなたの中に畏敬の念が湧き起こる。畏敬とは、光明を得た人があなたの本来の姿を見せてくれたという意味だ。もはやその成就に疑いはないから、嫉妬の問題もない。


幸運なことに、光明を得た人といられることがあったので、この感覚はわかる気がします。嫉妬よりも「わたしにもできる」と思わせてくれる人。


尊敬とは、剥奪できるものを持っている人に対するものだ。畏敬の念は、学ぶことはできても剥奪できないものを持っている人に対して湧き起こるものだ。
尊敬の中には根深い敵意がある。
所有していると、あなたは分かち合おうとしない。所有していないと、分かち合うことを強く切望する。
あなたは嫉妬を感じている人を尊敬する。そして嫉妬とは、嫉妬の対象になるものが分配できるものであるということだ。
畏敬は人の実存を指向しており、尊敬は富を指向している。


尊敬はその人の所有しているものに対して、畏敬はその人そのものに対するもの。


尊敬があるなら、あなたは間違った関係性を築いている。畏敬の念があるなら、正しい一歩を踏み出している。
寺院は近づいており、あなたはすでに寺院の中にいる。畏敬の念は、この瞬間に成果を授けてくれる。尊敬は未来に対する欲望だ。
尊敬を避けなさい。軽蔑は確かに畏敬の反対だが、尊敬もまたその反対なのだ。尊敬はマインドの策略であり、畏敬はハートの体験だ。




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シャワリング・ウィズアウト・クラウズ/OSHO

市民出版社
http://www.shimin.com/books/OshoBooks.html

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