梅野源治-02

「日本の至宝」梅野源治インタビュー「もう一度、本物が競い合うあの舞台へ」(2017.8.17公開)

<プロフィール>梅野源治(うめの・げんじ) PHENIX所属。1988年12月13日、東京都出身。180cm、61㎏(試合時)。戦績:53戦41勝(19KO)9敗3分(2017年12月現在)
タイトル:元ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者、WBCムエタイ世界スーパーフェザー級王者、初代WPMF日本スーパーバンタム級王者。

梅野源治インタビュー

「もう一度、本物が競い合うあの舞台へ」

聞き手・撮影 茂田浩司

 「日本の至宝」梅野源治がREBELSに帰ってくる。
 9月6日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.52」でスアレック・ルークカムイ(スタージス新宿ジム/元ラジャダムナンスタジアムフェザー級7位)と対戦する梅野源治(PHOENIX)。昨年10月23日、「REBELS.46」でラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座を奪取し、ムエタイ史上7人目の外国人王者となって以来の、約11か月ぶりのREBELS凱旋である。
 梅野は現在、プロ初の2連敗中。だが、ただの負けではない。今年4月のKNOCKOUTvol.2では、強豪ロートレック・ジャオタライトーン(元BBTVスーパーフェザー級王者)と壮絶な削り合いを展開。惜しくも判定負けを喫したものの、関係者の間では「日本人でロートレックとあそこまで競った試合を出来るのは梅野だけ」と高い評価を得た。だが、その代償は大きく、5月のタイ国ラジャダムナンスタジアムでの初防衛戦ではダメージを引きずったまま臨み、ダウンを奪われた末に判定負けを喫した。
 王座陥落から3か月、「日本の至宝」は復活の舞台にREBELSを選んだ。なぜREBELSに戻ってきたのか。そして、これから何を目指して戦っていくのか。
 梅野源治の胸中に迫った。

<異様なプレッシャーの中での初防衛戦>

「あんなプレッシャーは初めてでした。いきなりリングに放り込まれて『はい、戦え!』と言われてるぐらいの緊張感と重圧で、鳥肌が立ち、寒気もしてきた。自分の中に色々な不安を抱えてて、動きも正直良くなかった。だけど、力を出せなかったのも自分の実力。改めて、自分の心の弱さを感じました」
 2017年5月17日、タイ国ラジャダムナンスタジアムにおいて、ライト級王者として初防衛戦に臨んだ梅野を待っていたのは、強烈なアウェーの洗礼だった。かつて、ラジャダムナンスタジアム創立記念興行で現役王者と対戦するなどタイでのビッグマッチは経験済みの梅野にとっても、防衛戦は初めて味わう異様な空気の中での試合だったという。
「対戦相手のサックモンコンはソーソンマイというジムの選手で、控え室からセクサンとかチャンピオンが勢ぞろいしていて『今日はサックモンコンがベルトを獲る日だ!』とかずっと掛け声を掛けているんです(苦笑)。次の試合の選手が入場前に座る椅子があるんですが、そこでも応援団の掛け声は止まなかった。少しでも僕にプレッシャーを掛けたかったのでしょう。そんな光景は今まで見たこともないですし、入場前まで大声で掛け声を掛けてるなんて聞いたこともなかったです(苦笑)」
 好調時であれば、そんなプレッシャーも跳ね返せたかもしれない。だが、梅野は怪我を抱え、不安な気持ちで試合に臨んでいた。
「4月のロートレック戦で上腕二頭筋を断裂して、眼窩底と鼓膜も痛めて、それがなかなか治らなくて。計量前に水分で2キロ以上抜いているのに、試合まで体重が2キロしか戻らなかった。そんなことは初めてでした。初防衛戦だからプレッシャーが掛かってくるのは分かっていましたけど、自分で勝手に不安を募らせてしまったかもしれない。もっと自分を信じ切って、自分の可能性を感じながら戦えていたら、と……」
 対戦相手のサックモンコンは身長185cm。この階級では長身(180cm)の梅野も「あそこまで背が高い選手は初めて」。初回にサックモンコンのパンチでダウンを喫し、ペースを掴めぬまま判定負けを喫した。
「いろんな人が協力してくれて獲れたベルトだったのに、期待に応えられず、しかも大差の判定でベルトを奪われてしまった。その結果に対しても、プロになって初めての2連敗というのもショックでした。怪我も試合でさらに悪化させてしまって、練習を再開しても動きが明らかに悪くなっていた。これで怪我が治らなくて、トップ選手としのぎを削る状態まで持っていけないなら、とも考えましたね……」
 どん底に突き落とされて、梅野は改めて自身の「原点」を見つめ直した。
「格闘技を始める時『一番になりたい』と思ったんです。一番になって、みんなに認めて貰いたかった、誇れるものが欲しかった。そういう理由で始めたのに、ラジャで味わったあの凄いプレッシャーから逃げてやるのは嫌なんです。ラジャでもやる、日本でもやる、海外でもやって、どこでも結果が残せるのが自分の中の『本物』。よく『ムエタイはギャンブルでお金が掛かってて、本当に強い選手を決めるのは難しい』と言われて、それは一理あると思いますけど、実際にムエタイのチャンピオンは世界中で認められますし、ムエタイのトップクラスはあの凄まじいプレッシャーの中で結果を残している。僕はそんな本物を目指したい」

<KNOCKOUTでは「判定ばかり」の批判>

 梅野が昨年12月にスタートしたKNOCKOUTに参戦した理由は「本物」というコンセプトに共感したからだった。
「『本物が集まるリング。強い選手を呼ぼう』と言われて、共感しましたし、どんどん強い選手とやれて、ヒジありを盛り上げられるかもしれない、と考えて契約しました。契約した以上、KNOCKOUTを少しでも広めたいと思って、色々と努力したつもりです。だけど、現実的には僕がやった試合は全部判定で、盛り上げようと思った発言は身内からも批判されましたし(苦笑)。自分では『嫌われ役』を買って出て、KNOCKOUTを知って貰うきっかけになれば、と思ったんですけどね。『こう言えば、取材に来るだろう』と思って発言して、実際に『ゴング格闘技』で何ページにも渡って特集されましたし。頑張ります、いい試合します、っていういい子ちゃん発言なら誰でも出来ると思ったんですけど、やはり叩かれることが多くなりました。難しいです(苦笑)」
 確かに、梅野の発言は刺激的だった。
 KNOCKOUTに出場している選手たちの「KOしてこそ」とのKO至上主義に対して『判定でもいい試合はある』と異議を唱え、日本人選手によるライト級トーナメントは『日本人同士で戦って、倒れたり倒されたりしているドングリの背比べ』と評して出場せず。『僕はホンモノ同士の闘いで、打ち合いの中にテクニックもある世界最高峰の闘いをする』(KNOCKOUT公式HP。KNOCKOUTvol.2、KING梅野源治インタビューより)。
 実際に、梅野はロートレック戦で凄まじい死闘を繰り広げた。関係者の間では「さすが梅野」と高く評価されたものの、観客の反応は「また梅野は判定か」だった。互いに細かいテクニックを駆使しながら、攻守がめまぐるしく変わる「凄まじい死闘」は観客席まで届いていなかった。
 そうした反応を、梅野は「残念なことだけど、仕方がない」と受け止めている。
「KNOCKOUTの煽りは『KOしなきゃダメでしょ、このリングは』ばかりで、今は判定だとブーイング、KOしたら拍手。お客さんは一つの楽しみ方だけになってしまっていますけど、中身があれば楽しめるんで、KOも素晴らしい、判定でもドローでも楽しめる、となればいいんですけどね」
 そんな時、REBELSから「9月6日、後楽園ホール」出場のオファーが届く。
「REBELSは、ラジャダムナンスタジアムのタイトルマッチを組んで貰って、ベルトを獲らせて貰ったリング。恩返しにもなりますし、第一歩を踏み出すのにふさわしい場だと思いました」

<REBELS.52、スアレック戦で「激しいムエタイ」を見せて、二大殿堂のタイトルへの第一歩にする>

 梅野にオファーした理由を、山口代表はこう明かす。
「REBELSを始める時に『キックはKOだけが魅力じゃない。90年代のスックワンソンチャイのような、激しくて、面白いせめぎ合いを見せたい』と言いましたけど、今回は原点回帰です。梅野選手にはKOどうこうじゃなくて、自分の好きなように戦ってほしい。そうしたら『激しくて、面白いせめぎ合い』を見せてくれますから。あのロートレックを相手に、あそこまで競り合える日本人は梅野選手しかいないですから」

 梅野も「山口代表の言葉に共感する」という。
「すごく言っていることがしっくりきます。激しいせめぎ合いの中にテクニックもある、防御もある、美しさもある。それはお客さんも見ていて面白いし、後楽園ホールだから細かいテクニックの攻防も伝わりやすいと思いますし。次の対戦相手(スアレック)も激しく来る選手だから盛り上がりますよ。ただKOを狙うだけではなくて、テクニックも持っている選手だから『激しいムエタイ』が見せられると思いますね」
 観客の応援も梅野を力強く後押しする。
 梅野は以前からムエタイを広める活動を続けており、今回のREBELSの客席にも様々な企業の社長やインフルエンサーなど、200人以上の応援団が詰めかけるという。
「今、モデル事務所に入れて貰って、格闘技とは関係ない雑誌に出たり、色々なジャンルの人たちを紹介して貰って、ムエタイという競技を広めるための活動やアピールを続けています。ムエタイは難しいですけど『どうせ一般の人には分からない』ではなくて、少しでも広めていきたい。僕の試合を見て『あの首相撲でポイントになるのはどうして?』とか、色々と聞かれるのでテクニックを説明したり。小さいですけど、僕の周りではムエタイの知識を持つ人が増えていますし、ムエタイは知らないけど、僕の名前は知っている人もどんどん増えています。やはり僕に付いてきている後輩や、ムエタイを目指す若い選手たちのために、道をつけていきたいですし、いい思いもさせてあげたいので」

 再起するにあたり、梅野は一つの試合を思い出すという。2011年のウティデート戦。梅野のキャリアのターニングポイントとなった試合だ。
「ウティデートはセンチャイに勝っている選手で、当時は『絶対に梅野は負ける』と言われてました。僕は強い決意を固めて、その試合に向かってひたすら努力して、結果勝ったんです。あの試合で僕は強くなったし、強い相手を乗り越えるには強い決意が必要だと分かった。同時に、あれだけ練習できたのはミットを持ってくれた人たちのおかげで、周りへの感謝の気持ちに繋がりました。そういう経験が強さだけじゃない、人としての『人間力』にもなるんです。
 5月のラジャの防衛戦では鳥肌の立つほどのプレッシャーを経験しました。『また経験したいか?』と言われたらしたくないですけど(苦笑)、そのプレッシャーから逃げて、妥協して『俺は強い、強い』なんて言うのは、僕の中で一番ダサくて、カッコ悪いことなんですよ。お金を稼ぐことと、知名度を上げることが第一の『作られたスター』になったら、僕は選手としては終わりだと思っています。そんな気持ちでは第一線で、本物の相手とは戦えないです。
 楽なところにいると、どんどん逃げ道を作ってしまう。でも、決意が必要な場に挑むからそこに成長があるんで、僕はこれからまた二大殿堂のタイトルを目指していきますし、それには強い決意が必要になると思っています。だから、今回のスアレック戦はいい一歩。無理にKOを狙っていくのではなく、自分の試合をして、また二大殿堂のタイトルを目指す上での足掛かりにしたい。大変な道ですけど、僕はまたそこにたどり着く決意をしていますから。ぜひ、スアレック戦を見に来てほしいです」
 9月6日、日本の至宝が復活する。

<インタビュー後の梅野源治>「超攻撃型ムエタイ」スアレックの強打を持ち前のテクニックで完封して判定勝ち。続く、REBELS.53(11月24日、後楽園ホール)ではルンピニースタジアム認定ライト級4位の強豪インディトーンと対戦。序盤から力強い攻撃を浴びせた梅野は、4Rにタテヒジ一撃でインディトーンを失神KO。この劇的な勝利を受けて、REBELS山口元気代表は12月にタイに渡り、来年2月18日のREBELS.54(後楽園ホール)にて梅野のルンピニー王座挑戦を交渉。外国人初のWBCムエタイ、ラジャダムナンスタジアム王座に続く「ムエタイ世界三大王座」制覇なるか。


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