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夏の入口、真冬の記憶

焼酎、ビール、日本酒、ウイスキー酒、スピリッツetc。酒にはそれぞれにふさわしい時期というかタイミングがある。少なくともオレはそう信じている。
ありきたりだが、冬なら熱燗、いいよね口の中から、喉、胃、さらには身体が熱を帯び、さっきまでの寒さがじんわりとした酔いに変わっていく。話は替るけど凍死しそうになったことあるかい。まぁ普通はないわな、オレはある。
こうして思い返してみると、随分と昔の話だ。あれはそうだなぁまだ20歳かそんなもの。自分の酒量なんてろくにわからない時分だ。気持ちのいい酒だった。覚えてるわけじゃないが多分そうなんだろう、そうさそうに違いない。で、散々飲んだあげく、帰巣本能らしきものに急かされて、家路をたどるわけだが。雪あかりの道っていうのかな。さっきまで降っていた雪はやみ、風さえない。空には満天の星。酒のせいもあるのだろう、暖かささえ感じる。冬の夜がこんなに素晴らしいものだったなんて。いい気持ちだ、一歩足を進めるたびに、世の中の真理がわかってきたり、宇宙の謎に関する素晴らしい発見を思いついたり。適度な酒は人を自由にそして天才にしてくれる。さぁ全てのものよ、我が前に道を開け。我思うゆえに我あり。ほらまたひとつ真理や永遠が…。まったくあの頃スマホさえあれば、宇宙の神秘の99%は解明されていたはずなのに。残念だ。とまぁそんな感じで知性やら理性とかは冴えわたっているのだが、いかんせん飲みすぎていた。気持ちはどうかって。もちろんいい。が道が良くない。いつもは幅も広く真っ直ぐなくせに、妙にうねっていたり、突然目の前に白い壁にようなものが現れたり、おかげで足元は左へ右へとダンシング。でもまぁそれですら、ジャッキー・チェンのカンフーコメディを見ているようなものだと思えばいっそ楽しい。ジャッキーチェン?酔拳かよ。古いねどうにも。で、この若きカンフーボーイの歩く道の左右には1mほどの高さに雪のベッドが広がっている。そう文字通りのベッドだ。そのつもりはなくとも足は勝手に向きを変え、身体は白いベッドへと倒れ込む。雪が「ダメダメしっかりしなさいよ」なんて感じで、優しくもしっかりと受け止めてくれる。するとね、妙に暖かいんだよ。気持ちがいいんだその時の雪は。酔いも手を貸すんだろうな。
「星を見るには絶好のポジションだな、このまま寝ちまおうか」。そう雪が降った後の空は透明度が高いんだ。今考えればあのとき、そのまま寝入ってしまえば世間的には良かったような気もするがそれはまぁまぁ別の展開。とりあえず自堕落な誘惑に負けそうな身体をなんとかなだめて、起き上がり、ふらつきながらも元気よく家にたどり着いた。そこでなけなしの精神力もリミット。もちろん歯も磨かず、今度は冷え切ったベッドに直行さ。
問題は次の朝だ。不思議なことに昨夜発見したはずの宇宙の謎は再びその神秘を隠し、天才は前夜の醜態を後悔とともに、起きぬけの冷たいシャワーで洗い流す。心臓と大事なところをキリッと引き締めて。酔い覚めの儀式。ジャーマンローストのコーヒー、たっぷりのバターで焼き上げたターンオーバーにソーセージ。野菜の代わりにトマトジュース。まったく健康的なのか不健康なのかわからない食事を済ませ家を出たと思ってくれ。
見上げれば昨夜の続きというほどに雲ひとつない上天気。そんな冬の日は雪の照り返しもあって暖かささえ感じるほどだ。昨日の酒が少しだけ残ったような気分で歩く先に呆れるような光景が見えてきた。なんとまぁ雪の上には人形(ヒトガタ)が5mおきに5つも並んでるじゃないか。記憶にあるのは一つだけ。その他の4つはただの幸福な抜け殻。どうやら人の生き死にというのは、案外と些細なことで分かれるようだ。


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