逆襲の幻レストラン 1,入館
インターネットが手の上で情報を喚き散らす時代になってからこっち。Netも街場もウワサ話が好きみたいだ。それまで無口だと思われた人々さえもが声高に語りだした。寂しいのか、束の間でも自分のこと見て欲しいのか。もし、誰かの興味を引いたとしても注目は一瞬だけ。興味を追い求める周囲のセンサーはキラウェアから流れ出る溶岩の10万倍ものスピードで、次へ次へとその対象を変えていく。
いやいや、欲しいのはイイねでもフォロワーでもなく、スマホの指先からyoutubeやtictocを経由して流れ込む金でしょ。「行ってみた」「やってみた」なんかのそれ。あぁたしかにそんなのもあるよね。でも、人が求めるのはそれだけとは限らない。例えば、昨日のボクのようにね。
「いらっしゃいませ」訝しげな表情を浮かべながら男はこう続けた。
「失礼ですが当店のことはどちらかで?」
「会員制…なんですか?」
「特別にそのようなシステムは設けてございませんが、“フリ”のお客様はめったにいらっしゃらないものでして」
「あぁそのネットで見てなんか興味を惹かれたんで」
「それもおかしな話でございますね。こう見えて私デジタルやらウェッブなどの世界にはいささかうるさい方でして、当然当店に関する情報が流布されていないか常に監視しております。知る限りでは当店に関する正しい情報は世間には公開されておりません」
「いや、でもwebで見たのは間違いないんだし、一見お断りというのなら仕方はないけど」
支配人らしき人物は何かを考えているように額のあたりにわざとらしい皺を浮かべボクから目をそらせた。いや、というよりボクを通り越して後ろのドアを見やるような素振りを見せた。今思いついたが、あれは多分演技だったんだろう。きっかり5秒が経った頃彼はこう切り出した。
「いえこれは失礼いたしました。おっしゃるとおり情報、とはいってもいわゆる根拠のないウワサ話レベルのものがアップされることはございます。しかし‥」
オーナーだか、支配人だか知らないが、彼が困惑するのも無理はない。確かにありえないには違いがないのだから。というのも、この店は不可視領域。つまり常識で考えると見えない存在、もし人間の目に偶然触れることがあっても、辿り着くことはできないのだ。なぜそんなことを知っているかって。そこはまぁ後からということで、話を続けさせてもらおう。
「そうですか残念だが、諦めるしかないようだね」
再びの沈黙、今度は10秒ほど。
「わかりました。なにか理由がお有りなんですね。こうして当店にいらしたということは…。そう大丈夫でしょう。いらっしゃいませお客様。どうぞ」
あきれるほどの掌返し。なんだか知らないがどこかでボクにとって都合のいいスイッチが入ったみたいだ。
白一色の店内は、遠い昔に見たSF映画のワンシーンのようだった。明るいんだけど、暖かみのない人間動物園。キューブリック流の解釈だね。あるのは、8人は座れそうな薄緑をしたガラス製の長テーブルだけ。いっそ清々しいほどのシンプルスタイル。特別に照明っぽいものは見当たらないけど、なぜか部屋全体がブルーを帯びた光で満たされている。
「あいにく本日ご用意できるのは特別コースだけでして、もし別のコースやアラカルトなどをご要望の場合は、後日ということでいかがでしょう」
これは丁寧な申し出なのかそれとも場違いな輩を黙らせる手段なのか。まぁどっちだっていい。
「特別コース。興味をそそられますね。多分ここでその内容を聞くのは礼儀知らずってことなんでしょうね」さり気なさを装いながらのストレート。まるで技巧派のピッチャーみたい。
「恐れ入ります。ではそっそくご用意させていただきます」そう言ったかと思った途端、支配人(だよね)の姿が消えた。フェードアウトもスクロールもなしだ。効果的な演出。幻レストランといわれる理由もよく分かる。それにしても幻レストランって。もうちょっといい呼び名はないのかね。
「オマタセシマシタ」どこだ、今度はどこだ。声の方向がまったくわからない。どこから聞こえてくるのかとあちこちを見渡していた、ホンの数秒の間にテーブルの上は様変わりしていた。テーブルクロスに、カトラリー、それに食前酒と思しき緑の液体が入ったグラス、前菜と思しき一皿まで。
どんな演出なんだろう。すごいね、でもちょっと拍子抜け。これじゃぁただの手品的演出ってことじゃないの。幻ってこういうこと…。じゃないよね。
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