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戯言秘抄

「面白いからいっぺん呼んでみろよ」遊び仲間の殿島から紹介されたその男は芸人という触れ込みだった。ピンの出張芸人、そんなビジネスが成り立つのだろうか。それとも金持ちの道楽というやつか。「少なくとも退屈しのぎとしては十分だ」殿島はそうも付け加えた。

私の前に現れたその男は異物の匂いを発していた。何が、とはっきりといえないが。

「こちらさんですか。今宵あたしにお声を掛けてくださったのは。ほんにうれしいことで。よろしければ、この老骨のひとり語り。ゆっくりとお付き合いくださいマシな」

どうにも出だしからしてクサイ。さてどんな見世物を披露してくれるものか。

「さてと、面白いことの一つやふたつ、なぜに話せんと。そう言ってもよ。しかたがねぇじゃねぇか、おりゃさ、せんからんなことなんざ思っちゃいねぇや」

やっぱりクセが強いな。

「好きなのはさ、レギュラーよかライトよ。軽いが吉ってね。いけませんや重っ苦しいのは。よしましょうよ。エッ?タバコ?違いますよフォント、書体ってやつです。新ゴってね呼んでるのがありまして。当節は流行りませんが、DTPが走りの頃にはリュウミンと並んでメインだったもんです。あぁそうかリュウミンもこの頃は使うこともないか。それにしてもどこの訛ですかだと、気にするな適当に喋ってるだけだ。無地域性方言ってことにしといてくれ。気に触るなら口調を変えていこうか」

おっ口調が変わったな。

「“仕事、デザイン関係ですか”うん?そうお聞きになる。ええそうですとも。こう見えてもね、そりゃぁいろいろとやったもんですよ。平面、雑誌とか新聞の広告ね、パンフレット。そう紙媒体って呼ばれる印刷物が主ですけどね。偶には別のデザインだって。えぇやっておりましたとも」

なるほどなデザイナーの中には柔軟に見えて頑固者というやつが少なくない。

「えっ?なにか含みのある言い方だなって。そう仰る。いぇわざとそう言いましたのさ」

「なにしろねアタシの得手のデザインっていいますと、これが口はばったいようですが、テクニックやひらめきなんて、軽々しい言葉で語れるような生易しいものじゃない。いわせてもらえりゃもう芸術、さしずめアートですな」

「なにがアートかと聞きなさる。そこまで問われては、語らずにはにおれましょうや。いいでしょう。とくと御覧いただきましょう。ささっご笑覧あれ。この京円が一世一代の力技」

京円は芝居がかった口上(そうそれは口調というよりは口上というにふさわしい台詞回しだった)とこれまた舞台俳優のような大仰な仕草で一枚の絵を取り出した。
そして、その絵は私という人間を驚かせるのに十分だった。

「これは?でもこれ…。からかってるんじゃないだろうね。どういう意味があるんだ」

「おわかりにならない?それとも目の前にあるものが信じられない。いや認めたくない。そんな心境でしょうか」

京円は口元にいやらしい笑みを浮かばせて、私の反応を楽しそうに見ていた。

最近では珍しくなったB版、正確にいうとB4サイズの紙いっぱいに描かれていたのは女の顔。それも忘れることのできない女だった。


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