見出し画像

★HELP!とブルージーン (BEATLES ESSAY 11)

映画”HELP"が封切られた時、バハマ諸島での、シーンでは、ビートルズは皆、ブルージーンをはいていた。えらいこっちゃ!しかし、当時、ジーパンなんて誰もはいていなかったのです。ブルージーンなんて言葉もありませんでした.でも、ビートルズファンの僕は、彼等の格好をかっこいいと思いました.でも、ブルージーンなんて観た事も無かったし、第一、僕の住んでいる片田舎では売っている訳がありません.しかし、彼等に一歩でも近づきたい僕は街中、あの、青いズボン、をもとめて、洋服屋さん(ブティック)を訪ねたのです.ある店に同じ生地のズボンがありました.僕は大喜びで、そのズボンを広げると、なんか変です.それは、当時、喇叭ズボンと言われていたものだったのです。あまりの下品さに退散しました.小学生だった僕はそれまでは、母が買って来た服しかきたことがありませんでした。でも、やっと、ちょっとざらざらした生地(絶対ブルージーンとは違う)のズボンを買ったのでした。なんか違うな、ちょっと違うな、とぶつぶつ言っていました。田舎では、これ位が精一杯だったのでしょうね。
  HELPは他にも僕にいろいろ影響を与えました.服装ではもう一つ、いやもう2つでした。一つは、帽子です.それはヤァ・ヤァ・ヤァでもジョンがかぶっていたものです.それは当時、今を思うと、不思議な事に、沢山、種類もあったのです.不思議です。それにもうひとつ、4人が暮らす家に賊が入った時にポールが着ていたワイシャツです.それは、とても大きな襟がついていて、袖のところが長くて12、3センチ位あったでしょうか、そうしてその袖にはボタンが4つもついていたのです。僕にはそれがすごくかっこ良く見えました.でもそんなワイシャツが売っている訳がありません.すると、母が作ってくれたのです.僕が設計図を描きました。夜中きっと寝ないで作ってくれたのです.子供の為には何でも一生懸命してくれる母でした.確かに出来はプロみたいには出来ませんでしたが、この事を思い出すと、涙が出てきます.とっても優しい母でした.
 それともう一つ、それは、自転車でした.ちょうど僕は中学にあがる頃、自転車通学になったのです.バハマ諸島の海辺を自転車で駆け回る彼等の姿はとても素敵でした.もちろん彼等はブルージーンズでした.彼等のその自転車をよく見ると、スタンドが真ん中から出ていたのです.また大変です.そんな自転車は見たことがありませんでした.日本の自転車のスタンドは後輪から出ていて、よいしょと、持ち上げるものでした。僕は街の自転車屋さんに行って、調べるとなんとカタログに真ん中にスタンドのある自転車がありました.僕はそれを買ってもらう事にしました。それは、イギリス製のラーレーでした.ブリティシュ・グリーンの素敵な自転車で僕はハンドルのところに藤のかごを針金で取り付けて乗っていました.40年位前にしてはいい趣味でしょう?僕は毎日、お気に入りの素敵な自転車で颯爽と、長い髪をなびかせて中学校に通ったのです。と本当は書きたかったのに、現実はそんなに甘くありませんでした.何と、中学校は坊主頭だったのです!あぁー

2006年 12月 26日4 時50 分 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?