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そこにAEDがあったなら:がんばれ!ホッカイドウ競馬のコラム(第283回)より

『ミスター・マリノス』といえば、みなさんは誰を思い出しますか?
といっても、きっとサッカーファン以外の方は、なにをいっているのだろうと首をひねるばかりですよね。
マリノスとは、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属の横浜F・マリノスのことです。そしてそのマリノスの象徴的な選手として、歴代活躍してきた人物が、サポーターから与えられる最高の称号、それが『ミスター・マリノス』です。

その称号は、サポーターからの声によって、フリーキックの名手にして日本初のプロサッカープレーヤー、木村和司選手から、1対1でも無類の強さを誇り、アジアの壁と讃えられた井原正巳選手、さらにセリエAでも活躍した、芸術的なフリーキックアーティスト、中村俊輔選手へと受け継がれていきました。そして、中村俊輔選手の海外移籍後、サポーターがその想いと称号を託したのが、松田直樹選手だったのです。

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試合を見ている誰もの心を熱くし、揺さぶるような激しいプレーと、数々の自由奔放な振舞い、それでいて、まるで子供のような屈託のない笑顔、そして高いプロ意識。それは、マリノスのサポーターだけでなく、サッカーファンの誰もが魅力を感じるものだったといえるでしょう。

その松田直樹選手が2011年8月4日、急逝しました。急性心筋梗塞でした。
松田選手はその年、ミスター・マリノスとして皆から愛されてきた場所から、JFL(日本フットボールリーグ)の松本山雅フットボールクラブ(当時)へと移籍しました。
J1~J3で構成される日本プロサッカーリーグに対して、JFLはアマチュアチームの全国リーグです。マリノスからの戦力外通告を受け、それでもなお、サッカーを続けるために選んだ新天地でした。しかし、そこでの躍動は、わずか8ヵ月間で突然に途切れてしまったのです。

練習中に松田選手が倒れてから、救急車が到着するまでの約15分間、その場にいた看護師とスタッフによって、心臓マッサージが続けられたそうです。もしその場にAED(自動体外式除細動器)があれば・・・。誰もがそう思ったことでしょう。松本山雅FCが日頃から練習に使っていた「梓川ふるさと公園」には、AEDは設置されておらず、チームとしての用意もなかったのです。
確かにその場にAEDがあったなら、ひょっとしたら……という可能性はあります。しかし残念ながら、今となっては、それは仮定の話でしかありません。

JリーグではJ1、J2問わず(現在はJ3も含めて)、試合会場および練習場所に、AEDの設置が義務付けられています。一方で、松本山雅フットボールクラブの属するJFLについては、当時は設置が義務化されていませんでした。
JFLはJリーグと地域リーグの間に位置していて、Jリーグを目指すチームだけでなく、社会人チームや地域、大学のクラブなど、さまざまなチームが存在しています(脱退、解散してしまったチームもありますが)。それぞれのチームの運営にあたっては、予算という大きな問題があります。

松田選手が亡くなる直前、2011年6月に、なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)がFIFA女子サッカー・ワールドカップに優勝し、日本中が歓喜に沸きましたが、その一方で彼女たちの諦めない、ハングリー精神が、その困難な環境からもたらされているという事実を多くの人たちが知ったと思います。
当時の女子サッカーの世界では、プロ契約をしている選手はほんの一握り。ワールドカップ戦士でさえ、アルバイトやパートなどをしながらサッカーに取り組んでいました。その状況が報じられた時、多くの人々が驚いたと思います。
ちなみに2011年時点では、なでしこリーグでも、試合会場や練習会場へのAEDの設置は義務化されていませんでした(松田選手のことがあって、すぐに検討が始まりましたが)。

そもそも、このAEDの設置にはどの程度の金額が必要なのでしょうか?
2011年時点での一台の金額は、一般的には約30万円程度とされていました。レンタル(リース)の場合では、まず保証金が2万円程度かかり、さらに月額約5千円程度というのが標準的な金額だったようです。
とはいえ、AEDには定期的なメンテナンスが必要となります。また、一部の部品は消耗品となっていますので、時には交換が必要となり、そうなればまた費用が発生します。
また、AEDを保管するにあたって、保管用のケースがなければ、盗難や故障のリスクが生じます。そのケースにしても、10万円程度の金額になりますので、やはりかなりの負担になってしまいます。おいそれと「AEDを設置します」とはいえないのです。

命につりあう金額などない。それは正論です。いかに運営が厳しいチームであっても、命に対する費用を削ることなど許されない。確かに私もそう思います。ただ、どうしてもできないことがあった。残念ながら当時はそうだったのだと思います。
本当はそのために必要な費用、それを社会から捻出できる仕組みが必要なのだと思います。もちろん、競馬場にもです(ちなみにJRAでは、当時から全国の競馬場とウインズにAEDを設置しています。地方競馬に目を向けると、川崎競馬場にはAEDが設置されているとのことでした)。

このことがきっかけになって、すぐになでしこリーグやJFLでも設置義務が課されることになりました。それだけでなく、競技場関連の施設にはAED配置されるようになっていきました。やがて運動公園やグラウンド、体育館、プール……そして人が多く集まる場所へ……。
そこにAEDがあったなら・・・少なくとも、今後はそんなことが起こらぬような世の中になって欲しい。そう願うばかりです。

2010年12月、マリノスのユニフォームを着ての最終戦。試合後に用意された舞台で、松田選手は「俺、マジでサッカー好きなんすよ!」と叫びました。あの時の表情を、そして人懐っこい笑顔が忘れられません。
松田直樹選手、今までありがとう。ホントにカッコ良かったよ。

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【現代でのあとがき】
あれから10年がたって、本当に多くの場所にAEDが設置されるようになったなぁと思います。
いまや役所などの公的機関や学校などの教育機関、そのほかテナントが多く入るビルや施設など、あらゆる場所でAED設置の表示を普通に見ることができるようになりました。
それは「必要だったから普及した」ということもあるのでしょうし、「普及によってコストが下がった」ということでもあるのでしょう。今では10万円を切る金額で購入でき、レンタルの場合でも保証金なしで3千円程度というケースもあるようです(安くてちょっと不安??)。

きっと松田直樹選手ばかりでなく、ほかにも多くの人たちが「そこにAEDがあったなら」ということがあって、現在に至ったのだ、ということは十分にわかっています。
ただそれでも、今になっても……私は「そこにAEDがあったなら」と思わずにはいられません。「マジでサッカー好きなんすよ」という言葉、今だに忘れられないでいます。だから私は、いつもどこかで、マリノスではなく松本山雅を応援していたりしているわけです(もともとは和司さんのときからのマリノスファン…いや、日産自動車サッカー部のファンだったんですけどね。すみません)。

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