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[勝てるワーク10]タイムスリップして原体験をさぐれ!

現在、著書「勝てるデザイン」の巻末ワーク完遂を目指しています!
完遂し始めたきっかけはこの記事です。

この養成ギプスへのチャレンジは間に合わず諦めましたが、とてもためになるワークなので全制覇することにしました。

その中の「勝てるワーク10」の課題では、過去の自分とクリエイティブの接点についてnoteを書くというものです。
それでは、ワークのチェックリストにそって過去を振り返っていきます。

あ、その前に前情報として私についてですが、
現在私は会社でWebデザイン(とWebディレクター)を中心に業務をしていて、未経験で入社してからもう少しで4年経ちます。
その前は楽器店に7年ほど勤務していて、高校・大学ともに音楽系で卒業しています。楽器はピアノをやっていました。


親から自分が小さい時のことを聞く

父親に聞いてみました。
一応、「小さい時の私とのクリエイティブの接点は?」と聞いたのですが、クリエイティブとの接点は全く思い出せない。ピアノのことしか覚えてない。と言われちゃいました。
確かに26歳で結婚して実家出るまではほぼ毎日ピアノ弾いてましたし、小学生の時に「将来の夢は?」て聞かれたら「ピアニスト」とか言ってたので、親の記憶としてはそうなりますよね・・

クリエイティブ抜きで「どんな子やった?」と聞いても、
幼稚園の時はライブハウスとか野外コンサートとかJAZZフェスティバルとかつれっててたな〜とか、(ちなみに父も音楽活動してる人です)
小学生の時から完璧主義だったから、ピアノが上手く弾けなくてよく泣いてたな〜とかコンクールによく出てたね〜とか
中学生の時の吹奏楽部でやってた打楽器は全然ピアノに繋がらなかったよね〜とか
とにかく、音楽かピアノの話しか出てきませんでした。

でもこうやって話を聞いてると、私もここまでよくピアノ頑張れたな〜と思いました。現在はとにかくデザインを極めたくてピアノは全く触らず、です。時間があればデザインなのか、Webの知識を詰め込みたい毎日です。
ちなみにピアノを諦めた大きな要因としてはジストニアがあります。父親には私から直接ジストニアについては伝えてないですが(ショックを受ける気がして。)、高校の時に突然発症して今も治らずなのでテンポの速い曲なんかは自由に指が動かないのが現状です。

ジストニアとはの参照


あと余談ですが、物心つく前から実家出るまで、シャワーのように音楽を浴びてた反動なのか、現在は音楽はあまり聴きたくなくて「無音」が一番好きです笑


旧友たちに話を聞く

高校の音楽科、音大と一緒に過ごして、大学卒業後も一緒に演奏活動していた私の一番仲の良い友人に聞いてみました。

どんな子やった?と聞くと
「ど真面目」「金銭感覚がしっかりしていた」「適度におちゃらけてた」
と言ってました。

そして、クリエイティブとの接点に着目するとどうか聞いたところ、やっぱりピアノの印象が強すぎてすぐには出てこなかったですが、
・高校生の時は制服とか私服の色の組み合わせが上手いと思っていた
(高校は私服OKだったのでイーストボーイというブランドの制服風の服を着て毎日登校してました)
・服の素材の組み合わせも上手い
・服決める時のお手本にしてた
・大学〜社会人の時も持っている小物は少ないけど合わせ方が上手い
・持ってる小物が絞られてて良い感じ
・良いものを大事に使ってる
・それがちゃんと似合ってる
・買う服は高いけど、計画的にちゃんと使えるものを買っている
と、今までその友人から一回も服なんて褒めてもらったことなかったですが、そういう風に思っててくれたんだ〜と思うととても嬉しくなりました。
クリエイティブとの接点かどうかは分からないですが、近しいものはありますよね。

またまた余談ですが、私の学生の時の服の組み合わせとして、真っ黒のコーディネートにショッキングピンクのストールを巻いてるのがオシャレだった!とその友人に言われました。私は今もとてもショッキングピンクが好きですが、昔も大好きだったみたいです。


幼稚園時代の思い出を書き出していく

幼稚園時代、父親にたくさんのコンサートに連れられてたらしいですが、私は全く記憶に残っていません。。
私は幼少期はとてもおとなしい子だったんだろうな〜と自分で勝手に思っていましたが、コンサートでは飛び跳ねてたらしいです笑
コンサートで飛び跳ねるなんて今では考えられないので、これを聞いてちょっとびっくりしました。
すみませんが幼少期の話はこれで終わりです。


小学生時代の思い出を書き出していく

アクリルたわし作り
小学生の時はアクリルたわしを作るのにめちゃくちゃハマってた覚えがあります。
例えばこんな感じのやつです。(私が作ったものではないです)

かぎ針編みや棒編みを使い分けて、とにかく作って作って作りまくって、家で使えきれないので学校で配ってた覚えがあります笑


刺繍
あとはその延長線上で刺繍にもハマっていました。
例えばこんなようなイメージで(私が作ったものではないです)

花とか葉っぱとか作るのが好きだったような記憶があります。
今ではアクリルたわしも、刺繍も全く覚えていなくて出来ないですけどね。


モーツァルトに憧れて作曲
他には、小学校低学年の頃はピアノで作曲して、それを楽譜に起こして遊んでました。家に「モーツァルトの一生」の漫画があったのですが、それを読みすぎたせいか、モーツァルトみたいに天才的な曲が作れたらな〜と夢見ながら曲を作ってた記憶です。
モーツァルトは6歳から作曲ができていた天才な子供でした。


モー娘。の歌詞カード作り
まだありまして、wordのソフトを使ってモーニング娘。の歌詞カードを作って遊んでた覚えもあります。歌詞の文字をうって、その周りに星とか丸とかを曲のイメージに合わせて装飾していって、それを印刷してコレクションにしてた記憶です。。今もしそれが残っていたら吐くほどダサく感じるでしょう。。


絵も描いてた
あとは、絵もものすごくたくさん描いていた覚えがあります。
カードキャプターさくらが大好きだったので、ずーっとその絵を描いてた記憶です。服のシワが上手く描けるようになった時の感動は覚えています。
そして、友達から、絵が描くの上手って聞いたんだけどカードキャプターさくらの描き方教えて〜!て言われてた気がします。
なんなら、ペン型マウス(ペンタブではないと思う)まで買ってもらって、Windowsのペイントでもずーっと絵を描いてました。
こんなに絵を描いていたのに、今では全く絵が描けません。。


中学生時代の思い出を書き出していく

中学生の時は、ピアノ、部活動(吹奏楽部)、勉強で毎日追われ、小学生の時のように何か制作物にハマってた記憶がありません。
なんなら、美術部の子たちのことを帰宅部と言って笑ってたぐらいです。(本当にスミマセン)

美術の授業で1つだけ記憶にあるのが、なんかピンク色の石があって、それは生徒の人数分あって、それで自分の好きな形の石を選んで、その石を彫刻刀とやすりを使って自分の手のグーの形に彫って整えていく、というものがありました。
授業の時間だけでは全然終わらないし、先が見えないので、多分終わってない人は家で完成させてくるようにと宿題が出たのでしょう、家に持って帰って完成させました。

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彫刻刀で手に傷つけながらめっちゃ時間かけて完成させて、かなり自分の手に近い形に仕上がったので今でも気に入ってて実家にずっと置いてあります。
美術の授業中じゃなくて家なら時間を気にせずに納得のいくまで作れたので満足していたのですが、
美術の先生に見せたら目は「え!これ作ったん!?」て表情でしたが、「(いや、これ絶対親に手伝ってもらったやろ、こんなに作り込んでくるわけない)」という心の声が聞こえました。
だからものすごく悔しいな〜と思ったけど、自分で全部やりました!とかわざわざ言うのも嫌だったので、微妙な思い出として残ってます。


大学〜社会人時代の思い出を書き出していく

ワークの項目として「大学〜社会人」はなかったのですが、この頃の方が今の仕事に繋がっていると感じる経験が多いので書き出していきます。

エレクトーンで音作りと編曲
大学は音大だったので、ピアノが生活の中心でした。でもジストニアのせいもあり自分の弾ける曲には限界があります。
(ちなみにジストニアという病名を知ったのは社会人になってからで、私が高校生や大学生の時はスマホが普及しおらず、今と比べるとネットの情報量も少なかったので、自分の指の症状の原因を調べる術がなくてとても苦しんでいたのです。)
ということで、ピアノの練習なんかより電子オルガン(ヤマハのエレクトーン)を副科で専攻し、演奏よりも、オーケストラの曲を電子オルガンで弾けるように編曲したり音作りすることにハマりました。オーケストラは何パートとありますが、それを3段の鍵盤で演奏できるようにしていくのです。

こんな100万円もする楽器を副科で使うために親に買ってもらえるわけがないので、大学の練習室に授業をサボってまでもこもって、楽譜書いて、音作って〜ってやってました。演奏するより何かを作る方が好きだったみたいです。

楽譜

書いた楽譜はしっかり残してありますが、音源はUSBから消し去った気がします。


デコスイーツ作り
あと大学生の時の記憶に強く残っているのが、デコスイーツ作りです。樹脂粘土で形を作り、絵の具で色をつけてスイーツそっくりに仕上げていきます。当時のバイト代のほとんどをデコスイーツに費やしてました。

デコスイーツ

粘土を乾かす時間とか、絵の具を乾かす時間とかを考慮しながら作業を進めるのが、大学やバイトに行きながらは大変でした。でもやり始めるととことん突き詰めたい性格なので、割と本気でやってました。
クオリティがなかなか思うように上がらず、いつの間にか辞めてました。現物は残っていないですが、写真は残ってます。


社会人でIllustratorに出会う
社会人になってからは、楽器店に就職し、ピアノを教える方ではなくてピアノを売る方でした。ピアノってめちゃくちゃ高い買い物で、電子ピアノなら10万前後からそこそこのあるけれど、アップライトピアノは安くて60万くらいからで、グランドピアノはベーシックなもの買おうと思うと200万くらいはします。コンサートホールに置いてあるグランドピアノなんて1000〜2000万くらいしますが、家庭用に売れたことがあります。すごいです。

ちょっと話が逸れましたが、楽器を売るために、店頭でフロアコンサートを企画したり、ピアニストを呼んでアドバイスレッスンをしたり、コンサートホールではピアノリサイタルを企画したり、あとは季節に合わせて店頭ではフェアを打ち出したりしてました。
イベントをするのにまずは集客をしないと始まりません。演奏家を呼ぶのにもお金がかかってますし。
楽器店に入社して、たまたま店頭コンサートのチラシを作る担当が回ってきました。まだAdobeという存在も知らず、とりあえずお得意のwordで前回までのチラシより凝ったチラシを作りました。そうしたら、動員数がぐーんと伸びたんです!私もそれにはびっくりして、店頭コンサートの度にチラシを作るのが楽しくてたまらなかったです。

ある時、楽器店のキャラクターのjpgを当て込んで作るチラシがあったのですがwordではどうしても解像度が落ちてしまい、私が作ったチラシをなんでもできる上司がIllustratorで成形したんです。それが悔しくて悔しくて、すぐにパソコン教室を申し込んでIllustratorを学びました。

そのあとはIllustratorで店頭コンサートやちょっとしたフェアのチラシ、イベントの販促ツールを素人ながら作るようになり、どの業務よりも楽しかったです。
フェアのチラシは流石に情報量が多くて外注してましたが、その構成は手書きで作っていたのですが、どこにどの情報を載せたら店頭にお客さんが来てくれるのか本気で考えて作ってました。今考えるとディレクションと一緒です。
売上=私のボーナスな感じだったので、そりゃ本気で売りたいです笑


という感じで、20代になってからは割と物作りにハマってた記憶が強く残ってます。


クリエイティブとの接点についてまとめ

過去を振り返ると、私は物作りが好きなんだな〜と感じます。
楽器店に勤めてた時、ピアノの演奏や、店頭販売のマーケティングの勉強をしても、イマイチ心の底から好きなことをやっている気がせずずーっとモヤモヤしていました。
なので今の会社に転職するちょっと前に一度、今回と同じように過去を振り返ってみたことがあります。自分のやりたいことってなんだろうって本気で突き詰めたんです。
それで辿り着いた結論が、自分って物作りが好きなんだな〜ということ、店頭接客やピアノ演奏することよりチラシ作る方がよっぽど好きなんだな〜ということです。

今はまだまだデザインスキルが低くて、楽しいよりも苦しい方が強いですが、25年以上続けてきたピアノをすっぱり辞めてデザインを始めたので、それなりの覚悟を決めて頑張っているつもりです。

このワークをやって再び過去のクリエイティブとの接点をまとめていくと、今デザインをやっていることになんだか自信が持ててきました。今、無謀な挑戦をしているんじゃないかって思うこともありますが、これだけ何かを作ることが好きならば続けててもOKだということを改めて実感できています。

今後はもっともっとデザインを自由に楽しみたいな〜と思っています!

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