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「準備ができたら」なんてタイミングは永遠に来ない。いつだってやると決めた時から全ての物語は始まる

後輩の伊藤から久しぶりにLINEの通知が届く。

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伊藤は大学時代から仲の良い後輩でもう10年近い付き合いだ。2019年の秋に一緒にトレイルランニングの大会に出たこともある。その時に出場したのは10kmのかわいいレース。自分の人生での最長のマラソンにあたる。

今回は50kmという自分にとっては未知の領域で、仲のいい後輩からの誘いだからといって、正直出る気はまったくなかった。

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「海で溺れたくせに偉そうなこと言ってる人」のくだりはこちらに駄文をしたためたものがある。2年前の4月に広島まで行って、総額で40万円くらいかかったこのトライアスロン、なんと開始20分くらいでリタイアしたのだった。1時間あたりの損失額に直すと120万円。手に入れたのはnoteのいいねと友人からの「笑ったよ」という感想だけだった。

noteを書くことで水に流したつもりだったのだが、しかしここまで煽られたら男として引き下がれない時というのがある。決心が鈍る前に申し込んでしまった。いつだってやると決めた時から物語は始まる。

エントリーした旨を伊藤に言うと、「え、本当に申し込んだんですか?」という想定外の答えが返ってきた。彼はまだ申し込みすらしていない状態でこんなに煽ってきたのだった。なんともふてぶてしい後輩だ。

それから何人か共通の友人を誘って、高校時代からの付き合いである長田と早稲田の後輩である千島が参戦、計4人での参加となる。全員50kmは人生で走ったことがなく、長田と千島に至ってはトレラン未経験だった。皆なかなかのチャレンジャーである。

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簡単に今回のレースのコースを見てみたいと思う。全長52kmで累積標高は2500m。最初に1000mくらいの標高を10kmくらいかけて登る。二回アップダウンを繰り返して30km地点でピークに。あとはゆるい下り坂を20kmなのでここまでくれば大変ではないだろう。

エイドと呼ばれる休憩所が4箇所、そのうち第二エイドは6時間、第三エイドは8時間という関門が設けられている。ゴールの制限時間は11時間半、午前10:30に出発して午後の22:00までという長丁場のレースだ。

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日本一の富士山と比べてみたい。一番メジャーな富士吉田ルートを五合目から登るのと比較すると、距離は3倍、獲得標高は1.7倍ということになる。なかなか過酷なレースだ。

どれくらい過酷なのかの想像もできない中で不安が募っていく一方、エントリーボタンを押したタイミングから自分の中のどこかでスイッチが押されたようにワクワクもしていた。チャレンジの前は不安とワクワクが半分ずつ、というのが一番健全な精神状態だと常日頃から思っているので、それがとても心地よかった。

LINEグループも作り、レースが近づくにつれてみんなで練習報告をしあったり、装備を揃えたり、一緒に山を走りに行ったり、時には大会に出たり、そんな風に準備を進めている中で、伊藤から衝撃のLINEが届く。

今回の発起人でありながら、支払い期限に間に合わず出場できないことになったのだ。実際に懇願したかの真偽は闇に葬られたままだが、結局彼は選手としては出場できず、スタッフでの参加となった。これが後にすごい事件を引き起こすことになるのだが、それはまた後述するとしよう。

長くなったが、いよいよレース前日まで時を進める。自分がニート時代にお世話になったこともある「ちきちきばんばん」というレトロを感じる名前のペンションがちょうど今回のレース会場の目の前にあり、そこにお世話になる。

オーナーとはすごく仲が良いので、事前にトレランのレース前日の食事で気をつけることなどを相談させてもらっていた。要望どおりに糖質多めで、ナマモノや繊維質など消化に悪い食材もないという満点の食事内容だった。ちなみにここのオーナーは、自分が会った中で一番料理がうまいと思う。ぜひ一度「ちきちきばんばん」に泊まって食事を堪能してみてほしい。

夜はそれぞれ荷物の確認を済ませて(この時間が結構楽しい)、0時くらいにはみんな寝たかと思う。いよいよレース当日の朝を迎える。天気が心配されていたが、晴天だった。

10時半という比較的遅い時間からのスタートだったが、朝食は一切とらなかった。トレランは体の上下動が激しく、内蔵へのダメージが大きい。自分も練習のために出ていた大会で何度も逆流性食道炎を発症し、ものすごい苦労したことがあった。トレランは時間が長いので補給食が非常に重要なのだが、自分の場合はなるべく補給せずにいくことにしていた。それくらい内臓系のトラブルはきつい。

10時ごろレース会場につく。さすがに人がごった返して熱気にあふれているが、すでに朝4時から出発して100kmに挑む選手たちの往来があり、なかなか緊張感がなくゆるゆるとスタートした。

左が長田で、右が千島

自分の戦略はシンプル。最初でバテてしまうとその後がずっとキツイので、最初は絶対に飛ばさない。残り20kmまでは温存すると決めていた。とにかく完走しか狙っていなかったのでマイペースで走り切ることをぶらさずに続けるつもりだった。

走りやすいゲレンデや林道を軽く走って第一エイドについた後、いよいよトレイルに入っていくところで渋滞ができていた。

奥久慈の大会に出たときも渋滞は経験していたので、さほど驚きはしなかったがそれにしても長い渋滞だ。まったく進まない。ビッグサンダーマウンテンを待っている時のスピードでしか前に進まないのだが、その原因は前日の豪雨による川の増水でロープなしに渡れなくなっていたことだった。

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ファイト一発のケインコスギか?

なんだこれ。トレランってこういう大会だっけ?そしてこの後も大雨の影響にずっと苦しめられることになる。山道が泥だらけなのだ。

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膝下まで泥につかる。ズボッと左足の靴が泥に捕まって脱げてしまった。そのまま底なし沼のように靴がなくなってしまいそうだったので、もう諦めて手をツッコミ泥から靴を救出、当然靴の中も含めて泥だらけになってしまった。まあでももう全身泥まみれなので、特に気にすることもない。

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結局この登りの5kmになんと2時間20分もかかった。1kmに28分、時速2kmちょっと。健常人の歩くスピードはおよそ時速4kmなのでその半分くらいということになる。それくらい沢渡りと泥沼とが激しい場所が続いており、結果長い渋滞が起こっていた。

このペースが続くと第一関門の6時間をオーバーしてしまう。相当自分は焦っていた。ペースを上げたくとも、シングルトラックで渋滞しているので前を抜かすことはできない。誘導のスタッフに「残り登り何kmですか?このままだとタイムアウトになっちゃいます」と聞いたら「行けるところまで行きましょうぅ!!!」とむちゃくちゃ陽気な返答が返ってきた。一瞬イラッとはしたが、まあそうだなと変に納得した。

しばらくこんな登りを続けていくと、ようやく「登りはここまでですよ〜」というスタッフさんの声が聞こえて一安心した。制限時間は迫っているが下り基調ならなんとか間に合いそうだ。

と思っていた矢先に雨が降り出した。もともと天気予報は14時過ぎから雨とのことで、ぴったりそのくらいから木々を濡らし始めた。山の中を走っていると基本的に雨の影響はほとんど受けない。一方で車も通れるような林道に出てから絵に書いたような土砂降りが始まり、汗と一緒にランナーの体力までも流していく。

ひたすらに続く林道、土砂降りの雨、走り続ける人。なぜか「地獄の行進」というワードが浮かんでいた。もし地獄があるとして、これが永遠に続くとしたらつらすぎる。できれば勘弁願いたいところだ。

ここで第二エイドに到着、時間は5時間6分。制限時間のおよそ1時間前に着くことができた。おまけにさっきまで土砂降りだった雨も上がり、少しだけ晴れてきた。「天気よ、崩れないで持ってくれ〜」と思ってトイレに行って出てきたら、なぜかバケツをひっくり返したようなありえない量の雨に世界が覆われていた。

トイレに入る前と出た後とで景色がまるで違った。小便をしている間にこの世界に何があったのだ?そして、試されている気がした。お前はトライアスロンの時のように、またリタイアするのか?まだ23km地点にもかかわらず、すでに疲労困憊である。隣を見れば続々とリタイアを宣告する選手たち。仕方なかった。あの泥沼の登りと土砂降りの下りで心身ともに疲れ切っていた。

自分が葛藤している中、後からエイドに到着した千島がトコトコとエイドを背にして出発する姿が見えた。そのあまりにも素朴で愛らしい姿が自分にムチを打ってくれた。体力もまだあるのに、ここでリタイアしたら完全に精神の敗北である。伊藤の煽ってくる顔が思い浮かぶ。いや、お前はまず出場しろよ。

第二エイドの先はカヤの平という山をぐるっと一周10kmをまわって、同じエイドに帰ってくることになっている。雨もほとんどやんでおり、途中急登があったりはしたが比較的走りやすい道であった。

ほどなくして第三エイドに到着。今回はいろんな対策のおかげで胃腸の調子がよかったのが本当に助かった。感謝しながらバナナを堪能していると、隣の二人組の選手とスタッフとの会話が聞こえてくる。「次のエイドは関門ありましたっけ?」「あと2時間ですね、20時までです!」横耳で聞きながら、ぎょっとした。

自分が何度も熟読したコースマップには、第四エイドでの関門時間は記載されていなかった。がゆえに、第三エイドまで来れば残り20kmの下りで、タイム的にももう完走は見えてくると思って若干安心していたからだ。想定外すぎる。

第四エイドまでの14kmを2時間で走る必要があった。でも第四エイドからゴールまで残り5kmなのに、ゴールの制限時間は22時なので2時間バッファがあることになる。いくらなんでもおかしいぞ。

怪訝に思いながらもここまで来て失格になることだけは避けたい。さっきのバナナにパワーをもらって回復していたのもあり、1キロ6分ちょっとのハイペースで走りながら、ずっと『走れメロス』について考えていた。紅く染まる遠くの山並みに向かって林道をものすごい勢いで走り下る自分は、まさにメロスだ。小島メロスと呼んでくれ。

日没までに何とかかんとか間に合うように全力疾走しながら、セリヌンティウスはさぞいいやつだったんだなぁとか、なぜあれだけ救いのない作品ばかりを書いていた太宰は『走れメロス』を書いたのだろう?とか、そんなことばかりが脳を駆け巡っていた。

1000人近くのランナーが参加していた大会だったが、走れメロスと太宰について思いを巡らせていたのはさすがに自分だけじゃないかと思う。

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19時を過ぎて、完全に日が暮れた。必携品だったヘッドライトを装着し、初めてのナイトトレイルを体験する。ライトを消したら何も見えない。真っ暗な山の中に自分しかいない。シン、という音が轟音で自分の中に響き渡る。

この世界には自分しかいない、そんな気分になる。「咳をしてもひとり」という国語の教科書に載っていた俳句を思い出す。この8文字にどれほどの思いが込められていただろうか。そしてこの8文字が100年の時を超えて、夜の山道を一人走る自分のもとに届いている。クリエイティブには時代も国も超えられる凄まじい威力があるんだなと改めて感心する。

時折やってくる後続のランナーのライトに救われる。まだこの世界は自分一人だけじゃない、とホッとする。つかの間の安心もむなしく、自分を簡単に追い越して先に行ってしまう。「待って」という言葉が喉まで上がってきては、それを飲み込む。これはレースなんだ。

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実際第四エイドについたのは、20時を5分過ぎた時間だった。ここまで頑張って走ったのに、5分至らなかった。むちゃくちゃ悔しい。。

しかしまったくタイムアウトらしきアナウンスはない。後続のランナーも続々とやってくる。おい、第三エイドの情報は嘘だったじゃないか。やっぱり自分の目で見たものを信じようと思った。

それでも気を取り直してバナナとポテチをいただく。ここで食べたポテチは人生で一番うまかった。でもなんでよりによって「しあわせバター味」なんだ?

「残り何kmですか?」という質問に対して、エイドのスタッフ全員が「あと3kmだよ、もうすぐそこだよ!しかもほとんど下りだよ!」と満面の笑みで言っていた。いや、公式では52kmあるのだ。今はまだ47km地点で、どう計算しても52-47は5なんだ。

俺はもう騙されないぞ!と思いつつ、限界の体に甘美な誘惑が響く。あと3kmか5kmか、その差は大きく、大きい。スタッフを信じたい気持ちと、どうせまた裏切られるだけだという気持ちとの間で右に左に揺れ動く。情緒不安定なメンヘラでしかない。

結局、49km地点まで来てもゴールの気配はまったくしないまま、「残り3km」という看板が出現した。あの時ほど、好意で雨の中ずっと応援し続けてくれているボランティアの方々を憎んだ瞬間はあるまい。お主ら、一度ならず、二度までも。

心がポキっと折れてしまった。最後まで頑張って走りきろうと思っていた心が折れてしまった。もう歩こう。歩いたって制限時間には間に合う。しかも、最後の方はずっと登りだった。走りたくても走れる傾斜じゃない。「あと3km、ほとんど下りだよ!」と繰り返し伝えてくれていたおじさんの顔が何度も脳裏をよぎる。全部、間違っているじゃないか。

後から聞いてみたら長田も千島も3kmだとアナウンスされて、むちゃくちゃ飛ばしていたら残り3kmの看板を見て憤慨したらしい。レース終盤の2kmの差は絶望的なくらいでかいんだぞ、スタッフのおじさんたちよ。まあでもキリストの心で許そう、おじさんたちに罪はない。

そしてようやくスタートの時に勢いよく下ったゲレンデに帰ってきた。最後は500mほどの急な坂道を上ってゴールになる。せっかくならゴールシーンを動画に収めようと、スマホを取り出す。そしてゴールの直前でバッテリーが切れた。なんてついていないんだ。一人寂しく笑った。

なんとかゴールをして、それでも記念写真は撮らないといけないと思ってチャージスポットを取り出してスマホを充電、ゴール付近で写真を撮っていたグループが撮影が終わったのを見越して「僕もいいですか?」と声をかけた。

そしたらトレランの有名選手との記念撮影をしていたようで、僕がそのトップ選手にスマホを渡すもんだから周りがあたふたしていた。にわかでごめんなさいとお詫びをしながら、ファンのおばさんに一枚撮ってもらったのがこの写真だ。

達成感に満たされながら、宿についた。すでにお風呂にも入ってホクホクしながらも、どこか悔しそうな表情を浮かべる長田がタオルを持って出迎えてくれた。「結果はどうだった?」そう聞くと、「俺、失格だったんだよね」と力のない苦笑い混じりの回答が返ってくる。

その数時間前に交わされていたグループLINEの内容がこれだ。

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「案内しちゃった!」で長田の決心も練習も見事にぶち砕いている。これが伊藤という男なのだ。先輩を煽ってレースに参加させ、自分は振り込み忘れで参加をせず、あげく誘導を間違えて失格にさせるとは、何たる了見だ。むしろ全部狙ってやっていたと思うと納得がいく。伊藤は人狼で言うところの狂人だったのかもしれない。

しかし、長田はトレランの素晴らしさにすっかり虜になり、帰りの新幹線では早速次のレースを探していた。伊藤を恨むこともせずに、なんとまあたくましいやつだ。

話は戻って、玄関先で泥だらけの靴や服の処理をしながらレースの感想戦を話していると、白髪の年配の方が同じくレースから帰ってきた。時間は21時45分。制限時間の15分前だった。こんな年配の方も50kmを完走したことに正直驚いていた。「レースお疲れさまでした」と声をかけると「ナイスランでした!」と気持ちのいいレスポンスが返ってくる。

「よくレースとか出られるんですか?」
「うん、そうだねー。あんまり短いのはもう出ないけどね」
「あ、そうなんですね。じゃあ70kmとかも出られてるんですか?」
「70kmとか昔は出てたけど、最近は100km以上のしか出てないね」

勝手に50kmの出場者だと勘違いしていた。100kmの完走者だった。しかも聞けば年齢は70代だと言う。総合順位もだいぶ上の方だった。トレラン歴は8年、つまり60代でトレランを始めて100kmのレースの常連になっているのだ。

愕然としたし、こんな70代むちゃくちゃかっこいいやんけ!と半ばスイッチが入った。まさに鉄人じゃないか。自分は29歳で50km走って達成感に浸っているなんて、あまりにスケールが小さい。しかもそれをnoteで仰々しく書いているなんて、もはや己の浅ましささえも感じてしまう。人生は、長い。

その白髪の鉄人を見て、いつかは国内最高峰のUTMFに出て完走したい、という気持ちがムクムクと湧いてきた。UTMFは富士山の周りをぐるっと走る100マイルレースだ。100マイルなので、165kmある。制限時間は46時間。いろいろよくわからない設定だ。でも、いつかは出てみたい。今みたいな生半可な練習では絶対到達できないのがわかるからこそ、完走してみたい。

「準備ができたら」なんてタイミングは永遠に来ない。まずレースに申し込むことから全ての物語は始まる。



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