見出し画像

遺体は大地の夢を見る

サスティナブルな遺体をめざす

今年の4月に、ジャーナリストの立花隆さんが亡くなった。田中角栄の研究で知られる人だが、癌の宣告を受けてから「死は怖くない」「臨死体験」など、「死」に対してさまざまな視点から模索し、検証している。とにかくなんでも知っていて、いつも大量の本と原稿をバックにしている印象のある人だった。

2014年11月13日号の週刊文春に掲載されたインタビューが、6月23日に文春オンラインに再掲載された。テーマは「死に方」。
このインタビューの最後で、「死んだ後の葬式の挙げ方や、墓の建て方」について、残された肉体に特別な意味があるとは思えないとした上で、こう語っている。

立花 (前略)僕はあるとき火葬場でたずねました。もし遺族が故人の遺骨を拾わずにそのまま帰ったらどうなるのかって。東京都清掃局(現環境局)の清掃車がきて引き取るとのことでした。つまり、残った遺骨はゴミとして処理されるわけです。僕も死んだら、葬式なし、骨あげなしで、遺骨は東京都に引き取ってもらえばいいと思っています。

――ゴミとして処分されるというのが理想の葬られ方なんですね。
立花 いえ、もっといいのは「コンポスト葬」です。遺体を他の材料と混ぜ、発酵させるなどしてコンポスト(堆肥)にして畑に撒くのです。このアイデアを知ったのは1993年(平成5年)にNHKでコリン・ウィルソン(『 アウトサイダー 』『オカルト』などの著作で知られるイギリスの作家。2013年没)との対談番組を作るために、イギリスに1週間ほど滞在していたときでした。コリン・ウィルソンの友人の1人となぜか気が合い、雑談しているうちに、人の死に方の話になりました。彼がいうには、火葬は一刻も早くやめ、コンポスト葬にすべきであると。そうすれば他の動物と同じように、人間の肉体も自然に回帰できるというのです。
※一部誤字を修正した。

(6月23日 文春オンライン)

foodskoleの9回目「食べ物とウンコのはなし」、10回目の「それはごみか資源か」でもあったが、排泄物は昔は宝で今はただのゴミとなっている現実の中で、生き物が生命活動を終えればそれは全てゴミであるという考え方。
食べ物も、調理され食べられた時点で生命活動を終えている。フードロスで年間600万トンもの可食ゴミが排出されているが*1、それらは全て生きていたものを人間の都合で廃棄したもの。

*1 foodskole2021年度前期 第10回「それはごみか資源か」資料

農林水産省・環境省「平成30年度推計」より

食べて排泄されたものは、糞尿となって今はゴミとして処理されている。これも命のなれの果て。
人も地球の生命のひとつであるのであれば、死ねばゴミだ。それを再利用する、究極のサスティナブル。

と、これを読んで、こういうようなことが、私の頭にうかんできた。
では、遺体を環境に役立てるとしたら、他には何かあるだろうか。

人が生きることの贖罪

チベットや東南アジア、シベリア、インド、中東の一部では、今でも鳥葬が行われている。鳥葬とは、亡くなった遺体を、ハゲワシなどの猛禽類に食べさせるというもの。ゾロアスター教など宗教的な理由の場合もあるが、土地の土着信仰で行われることもある。

Wikipediaの説明によると、

宗教上は、魂の抜け出た遺体を「天へと送り届ける」ための方法として行われており、鳥に食べさせるのはその手段に過ぎない。日本では鳥葬という訳語が採用されているが、中国語では天葬などと呼ぶ。また、多くの生命を奪ってそれを食べることによって生きてきた人間が、せめて死後の魂が抜け出た肉体を、他の生命のために布施しようという思想もある。

(Wikipedia:鳥葬)

この考え方は、立花さんのインタビューの考え方に近いかもしれない。宗教的に遺体を残すものと、残さずに自然にかえすという考え方の違いでもあるだろう。
しかし、シベリアで鳥葬の跡を見てきた人の話を直接聞いたことがあるが、肉体はあっという間だが骨はなかなかなくならず、砂漠を移動していると骨があちこちに累々としており、よく見ると人骨だったりするらしい。
時間がかかり放置されるのであれば、それもゴミになってしまう。

人が堆肥として生まれ変わる

BBC News 2019年5月22日の記事。

米ワシントン州で21日、人間の遺体の堆肥化を認める州法が施行された。アメリカ国内で初めて。これにより、同州の住民は死後、自分の遺体を堆肥にするかどうかを選択することができる。

BBCニュース 2019年5月22日

Science alert 2019年11月10日の記事。

容器の中は木材チップで満たされており、遺体はおよそ30日間かけて微生物により分解され、堆肥に変わります。歯や骨なども含めて個人の肉体は全て土になりますが、ペースメーカーや金属製のインプラントなど、無機物や微生物が分解できない有機物は処理過程で取り除かれます。また、有害な微生物などの病原体も分解されるので、病死した人も堆肥葬にすることが可能ですが、エボラ出血熱のように非常に感染性の高い病気で亡くなった人や、原因物質が微生物で分解できると立証されていないクロイツフェルト・ヤコブ病などのプリオン病で死亡した人は対象から除外されるとのことです。

Science alert 2019年11月10日
(日本語サイト Gigazine)

この記事では、埋葬の費用として

費用は1人あたり5500ドル(約60万円)と見積もられており、ワシントンでの標準的な樹木葬にかかる費用の6000ドル(約65万円)、火葬の1000~7000ドル(約11万円~76万円)、埋葬の8000ドル(約87万円)に比べて低コストに抑えられています。また、全過程に必要なエネルギーは火葬の8分の1で、土葬と違って遺体による土壌や地下水の汚染もないので、従来の葬送方法に比べて環境への負荷も最小限度になります。

Science alert 2019年11月10日
(日本語サイト Gigazine)

立花さんがNHKの番組でコンポスト葬の話をしたのが、1993年。インタビュー記事がでたのが2014年。笑い話が瓢箪から駒が出て、28年後にはアメリカで実用化されるまでに至る。
実際、日本も墓地の問題は大きな社会問題でもある。土地が足りないというよりは、墓地を維持する問題だ。
日本だと、土をもらってもおいておく場所がないという理由から、受取拒否されるケースも出てくるようにも思われるが、堆肥として販売されることが普及すれば、それが「普通」で「当たり前」のことになっていくだろう。受け取るかどうかは、遺族が決めればいいことだ。

遺体1体あたりで荷車2台分の土が生成されるとなると、これがゴミなら相当量の土が発生することになる。堆肥として農業に役立てるところから、もう少し発展させてバイオガスを生成して発電するということもできるかもしれない。
人が死んで、本当の意味で大地と一体になり、人の食と生活に寄与する。
この話だけとると、なんてすばらしいのだろう....

地球温暖化など嘘だと言っていた人がついこの間まで大統領だったアメリカが、二酸化炭素排出量に対する取り組みに対して認可したというのは、ある意味すごい進歩だとも思うのだが、これはものすごくSDGsに寄ったお金のシステムでもあるような気がしてならない。

ただ、この発想とシステムは、世界的に広まっていくことを期待してもいいと思う。
人道的にゴミと人が一緒に発酵するという時代はきそうにはないだろうが、このシステムをゴミ処理に応用したりできたらもっとすばらしいのだろうなと思うが、プラスチックの問題はここでも大きな壁になっていそうで、これがゴミ問題に転用できるのなら、もうとっくにはじめていてもよさそうなような気がしてならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?