いわゆるひとつのメークドラマ7 日本の酒の縁起儀礼 盆踊り編
日本の酒の縁起儀礼 盆踊り編
いままでの日本の酒の縁起儀礼
今回はこの続きです。
神に米を贈与され、巫女が米に命を贈与し酒にする。
巫女が酒を神に贈与すると御神酒になる。
巫女が御神酒を人に贈与すると、人は神を贈与され、人と神は直り合う。
では人は群れになると何をするのでしょうか。
饗宴
直会のあとは饗宴が行われます。
直会は儀礼なので、神と人との直り合いです。
それに対して饗宴は人と人と神と死者のみんなの直り合いです。
直会によって、神のもとには同じ群れであることを体感した人々は、神にお供えした酒や作物を共有します。
神人共食、同じ釜の飯を食う。
神に供えたものを飲み食いし、同じ群れの仲間であることを確認し合います。
これは単純な宴で、いまの私たちの飲み会と同じものです。
ただ楽しんで仲良くなることが目的です。
酒も食べ物も、ふだん口にすることのないようなハレの日のご馳走なのでそれはそれは盛り上がります。
また御神酒の共有によって、宴のときには名前も肩書も身分も忘却されて無礼講となります。
何もかもを忘れて楽しみましょう。
盆踊り
直会と饗宴が終わり、身を清めて気を晴らした人々は、心も身体も満たされています。
この状態で盆踊りが行われます。
盆踊りにはとても深い意味が隠されています。
それはまさに人間讃歌。
盆踊りではこの世界の深淵にまで到達しかねない巨大な縁起儀礼が行われているのです。
盆踊り、それは環になることから始まります。
未開拓民のように中心を意識しながら人々は環になります。
ホモサピエンスの狩猟採集時代なのか、それより遥か以前なのか、人間は環の中心が異世界につながる事を予感していました。
人々は環になることで、その中心地に別世界を作り出すことが可能になると信じていました。
もちろん普通に環になるだけでは何も起きません。
祭りの日、満月の日、太陽の位置、なにか特別なタイミングにこの儀礼は行われます。
祭の日、神と人とが直り合い、御神酒と饗宴によって神を取り込んだ人々の力は心身ともに縁で満ちています。
太陽も沈み、火を焚べて、おじさんたちは仮面や入墨を使って死者のイミテーションを行い踊ります。
ハロウィンや舞踏会なんかでも死者を表現するときには仮面を付けますよね。
仮面と入れ墨で死者と縁を持とうとしています。
そして打楽器と踊りによって、自然音や心臓の音を再現しながら、永遠と回り踊り続け、だんだんと五感を満たしていきます。
当時は大麻も使用しました。
ここで行われていること。
それは、死者の世界に対しての贈与の儀礼です。
環の中心にいる死者に対して、酒と食、歌と踊りの贈与をしています。
これは前回もチラッと書いた天の岩隠れと同じ構図を示しています。
スサノオのせいで岩の中に隠れてしまったアマテラス。
太陽の神であるアマテラスが隠れてしまうと、この世に光がなくなり作物が育たなくなります。
そこでアメノウズメはアマテラスが隠れた岩の前で鏡と勾玉(3種の神器のうちの2つ)をおいて、歌や踊りの饗宴を行い、アマテラスを鏡で騙して、この世に引き戻す神話があります。
鏡はカガメといってヘビのとぐろを表しています。
古代の人はヘビに包まれた内側をあの世と定義していたようなので、鏡はあの世とこの世の境を示しています。
【あの世・岩に隠れたアマテラス=祖先・神、実りの贈与】
鏡(ヘビ)
【この世・アメノウズメ=生者、歌と踊りの贈与】
これは生者と死者の関係を示していますね。
前回、王の骨は巨石の下に埋められそこは石座(いわくら)となったと紹介しました。
そこに巫女が酒と神饌と祈りを贈与して五穀豊穣を願ってきたと。
天岩戸はこれと全く同じですよね。
スサノオが暴れてアマテラスが岩の中に隠れて光が消える。
これは自然の猛威(スサノオ)によって作物が育たなくなる(天照が隠れる)と困るから、ちゃんと神に対して贈与しろよと言っているのです。
【縁起儀礼2 お祭り】巫女⇒神へ酒(米+命)の贈与
ここでは巫女(シャーマン)が人々の代表として神に対して贈与しました。
その後の盆踊りでは、その土地の人々みんなが群となって、神(死者)に対して贈与の儀礼を行います。
【縁起儀礼3 直会】巫女⇒人間への御神酒の贈与
神楽(かぐら)
御神酒を飲むことで、巫女も普通の人も群れ化しています。
盆踊りは群れ単位で行われる贈与の縁起儀礼です。
この盆踊りの贈与儀礼が色濃く残っているのが神楽ですね。
神楽は演者も酒を飲みながら夜通し行われます。
そこでは酒、音、踊り、死者が入り乱れたストーリーが展開され、その全てが神に奉納されます。
神楽は民が楽しむためにするものでもありますが、もともと神に奉納するために行われるもので、西日本に多く残っています。
【縁起儀礼4 神楽】人間の群れ→死者への神楽の贈与
盆踊りの縁起儀礼が深まって、生者から死者への贈与が届き、死者が徐々に復活してきます。
酔っ払って、生きているものも、死んでいるものも、もう区別が付きません。
ここでは現在と過去が直り合っています。
死者への贈与が届いて死者が復活すると、死者は儀礼をしてくれた現世の人たちに贈与しなくてはなりません。
現世の人は何を望んでいるか。
それは昼間、巫女から五穀豊穣・子孫繁栄の祈りを聞いています。
死者は生者に対して、五穀豊穣、子孫繁栄の願いを叶えます。
呼合い(よびあい)
そして盆踊りの最中、死者への贈与と同時に行われていることがあります。
それは呼合い(夜這い)です。
若い男女は踊りながらパートナーを探します。
ぐるぐる回って相手を見定めます。
男女はアイコンタクトで成立し、環から抜けて暗闇に入りマグワイって子供を作ります。
この時、死者の贈与によって力を得た生者は子孫繁栄を果たすことができ、男女はイニシエーション(通過儀礼)を果たして群れの一員、大人になります。
女性は踊り、男は選ぶ。
古代の祭りから現代のアイドルグループやクラブも本質は同じこと。
過去から現在に至るまでこの盆踊りの儀礼はとてつもない効力を発揮します。
女性は選ばれたいし、男は選びたい。
血が遠いほど呼び合いの力は増し、血の問題(近親)を解決します。
多く女性が列をなして踊る祭り。
激突し合う神輿、棒が穴に突っ込む奇祭。
これらは盆踊りの呼合いとマグワイの成功を祈願するものなのでしょうね。
盆踊りをさかのぼると、歌垣、呼び合い、カガク(ヘビの乱交)など、火を囲んで夜を明かした原始の記憶がよみがえってくるようです。
まとめ
本当はこんなことを言葉でまとめなくても体感でわかる時があります。
お祭りですね。
神事をして、お参りして、御神酒を飲んで、みんなで宴をして、みんなで夜通し踊ったり歌ったり。
なんなら祭りじゃなくてもいい。
素直に誰とでも直り合えるのならどこでもいい。
誰かと会い、一緒に酒を飲み、話して、ずっと一緒にいる。
飲み屋さんでも、コンビニの前でもどこいいんです。
そうすれば一瞬で分かることです。
自分が縁の中にいることを。
そこでイトナミを続け、それがずっと続いていくことを。
言葉や形にしなくてもいい。
祭りとは、儀礼や形ではなく、自分がイトナミの中にいることを一瞬で理解できる日です。
縁は言葉や形だけでは理解できない。
純粋な情報が五感のすべてに同時に入力され、それと自身の情緒との強烈な縁起によってすべてを忘れたその瞬間に、縁の世界を一瞬だけ垣間見ることができるんですね。
祭りをしましょう。
私は酒造りからその世界を見てイトナミと言っていたようです。
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