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それでも日本酒にイエスという9(最終回) 営みの世界
営みの世界
フロム先生は、自身の情緒を具現化し、それを愛として誰かに伝える事で孤独感は解消されると言いました。
愛を与え、愛を与えられる者になる冒険。
愛と哀しみをこえた者にはどんな世界が待っているのでしょう。
その世界へ到達したとされる人物がいるらしい。
イトナミの偉人
・ブッダ
ブッダは35歳で悟りを開き、80歳で涅槃(ねはん)に入ったとされている。
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悟りとは無明を知り、愛と哀しみを乗りこえて、自分と他者、自分と万物との境目をなくすこと。
諸行無常、生まれては消え、常に変わっていく生命の営みを知り、自分もその中に溶け込むこと。
涅槃とは自他のない世界へ到達すること。それが心身脱落、不老不死の答え。
ブッダは答えを見つけ、それを現実のものとするために80歳まで教えを説き続けといいます。そしてブッダの教えを未来永劫に伝えていくサンガという僧の集団をつくり、それが完成しブッダの教えが永遠に残ることを確信すると涅槃に入りました。
有名な般若心経は愛と哀しみを乗りこえる冒険者への応援歌
往く者よ、往く者よ、真なる道を目指す者よ、悟りの世界へ到達せよ、悟りの世界よ成就せよ、正しい智慧(ちえ)を唱えたまえ
・イエスキリスト
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汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。
さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。
神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう。
自分の自己愛から脱却し、神を愛しなさい。
そうすればあなたは自分も神もない共同体のひとつとなる。
共同体になったあなたは、いままえ崇めていた「神」という認識も、「自分」という認識もないこと知るだろう。
ブッダもキリストも、冒険の先には自他のない世界、名前も概念もない世界が待っていると言います。
自他の差がなく、個の集合体が一つの生命のように営みを続ける世界だといいます。
真我
仏教ではその自他のない悠久の営みの世界を「真我(しんが)」といいました。
進化論のダーウィンはその世界をこう言います。
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「生命の偉大な樹 Great tree of life」
ヒトの起源よりももっと前のこと、生命の起源の中に真我の世界がある。
数学者の岡潔先生がこの考え方をわりやすく説明しています。
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「ここに、1本の木があるとします。この木に1枚の葉があるとする。葉が生きているのは、木が生きているからですね。人は大宇宙という1本の木の、葉の1枚のようなものです。自分という葉(小我)は、大宇宙という1本の幹(真我)の、人間という1つの大きな枝の、日本人という小枝の先に芽生えた葉です。
幸福とか生きがいというものは、生きている木から枝を伝わって葉に来る樹液に含まれる。その木からくる樹液を断ち切って、葉だけで生きていても枯れてしまう。葉(小我)を主人公として生きていると、生命の根源(大我)から命の水が湧き出なくなってしまう。生命の水は「個」ではなく「全」から出るのです。」
私たちはどうしても、自分の葉は隣の葉より虫食いがある、小さい、色が悪いなどと小さいことを比較してしまう。SNSは比較であふれている。
葉(小我)から葉(小我)を見ると卑屈になり、哀しみが現れてくる。
しかし葉の根源である大きな幹や、その幹が生える大地(真我)から葉(小我)を見ると、葉の1枚1枚には大した差はなく、むしろ虫食いや色の悪さが愛おしく見えてくる。それがあなたの持って生まれた情緒であると岡先生は言います。
私たちが幹や大地のような大きな存在であれば、このように見るのは容易いかもしれませんが、私たちは単なる葉の1枚でしかありません。
さらに現代では葉と葉の違いを比べられて、競争させられ、自我をあおられ、真我が全く見えないような状況です。
単なる葉(小我)でありながらも、自分の意識を幹と大地(真我)に向ける。
葉という「個」でありながら木や地球という「全」の目線を持てたとき、自他の境目がなくなり、生命(真我)という悠久の営みの一部となることができる。
そうブッタやキリストは言っています。
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真我の詩
そんなことを言われたって…。
現代人であり、無宗教で神職でもない、ただの平民の私には真我の営みの世界に到達することなど不可能です。
真我への道を守る門番・ケルビムさんは金と欲とスマホという最強の装備を身に着けています。金とネットとスマホを捨てて無人島にいかなければ現代のケルビムは倒せません。
この現代社会で他者と関係しながらブッダやキリストになれる人物が存在するはずがない。
みんな家族や自分を守るために仮面を付けて生きている。そんなところを目指さずに適当に明るく楽しくやればいいじゃない。なにがいけないんだ。
私も適当になあなあで楽しくやれば良い思います。
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しかし酒造りにおいては、私はそのように適当に無難にやることがなかなかできません。
それはたぶん私が先人から愛を与えられたからでしょう。
自分が与えられた愛に対して、適当なことをすると、与えられた愛が嘘になってしまう。
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真我と同じコモンセンス(共同体感覚)を提唱したアルフレッド・アドラーは言いました。
まずはあなたから始めるのです。
ノブレス・オブリージュ、愛を与えられた記憶のある者は愛を与えなくてはならない。
私の心の中にあるバスターマシン(情緒)が炎となって滾ってくる。
それならば。
自身の存在で真我を表現せずに、自己情緒を具現化した詩で真我の世界を表現すればいい。
私自身は聖人にはなれないけれど、私の造る酒は聖なる酒になる可能性がある。
酒造りの杜氏として、表現者としてならば、真我を表現する酒を造れるかもしれない。
岡先生は真我から見た世界を表現した人物として松尾芭蕉を紹介しました。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
小我の世界からこの景色を見ると、蝉がうるさいだけでとても静かとは言えない。真我の世界からこの景色を見ることで、蝉の声もうるさくない、それも愛おしい悠久の景色の一部となる。
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真我とは、この世界に生きるすべての生き物の共通の故郷かもしれない。その世界を表現することは、すべての生物に共通した感動を与えることになるのだろうか。
人も昆虫も自然もそこにある。
誰にでも伝わり、誰にでも感じられること。
芭蕉は真我の世界から風景を見た俳人であると岡先生は言います。
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芭蕉のように、真我の世界から物事を見て表現した人が、偉人として名を残しています。
真我の世界を表現した偉人
孔子…中庸の徳、仁義
老子…幽玄
世阿弥…離見の見
宮本武蔵…無刀
伊藤一刀斎…夢想剣
松尾芭蕉…芭風
岡潔(数学者)…情緒、層
西田幾多郎…絶対矛盾的自己同一
南方熊楠…粘菌
折口信夫…まれびと
エックハルト…汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。己も神もなくなる。
ベートーヴェン…歓喜の歌
アドラー…共同体感覚
フランクル…意味への意志
フロム…the art of ~ing
ダーウィン…進化論、種の起源
手塚治虫…火の鳥、コスモゾーン
赤塚不二夫…バカボンのパパ
天童荒太…仔と群れ
日本人…百姓(大御宝)、祭り
モース、バタイユ、レヴィストロース…贈与
ラカン…ボロメオの輪
ハイデッガー…性起、存在と時間
ガモス…宇宙の裏返し
まだ出会っていないだけでまだまだ大勢いらっしゃるのでしょう。
過去に学び、現在を表現し、群れの未来を創造せよ。
偉人たちが残したものを見ていると、そう言っているように感じます。
もう人類の生きる答えは出ています。
まだまだ独学を始めたばかり、知るべきことがたくさんありますね。
先人たちの冒険の書を見ることで、私はまだ新しいお酒を造ることができそうです。
まとめ
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孤独の解消には愛を与え、愛を与えられるための冒険が必要だった。
あなたは冒険の中で与えられた愛をもちいて、自分だけの詩を創り出すことが出来る。
その詩は、あなたの心の情緒が表現された唯一の詩でありながら、誰にでも共通する詩でもある。
あなたはその悠久の詩で、過去にも現在にも未来にも愛を与えることができる。
そうなれば、あなたと私は私たちとなり、ともに歓喜し、ともに生きる群れとなるだろう。
さあ、ともに生きよう、きょうだいたちよ。
ともに歩もう、自分たちの信じる道を。
孤独と哀しみを乗り越える勇気と信念を持つための冒険をはじめよう。
イトナミの詩
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私が日本酒を造る中で見つけた「営み」という感覚。
私はこの営みの正体を調べていく中で、岡潔の本に出会いました。
私の中に生まれたこの営みという感覚は、岡先生の言う情緒や真我と同じものでした。
そして歴史上には、営みを表現した偉人が多くいることも知ることができました。
私は、真我の世界を具現化して表現することが、私の望んでいる営みの酒へつながる道だと確信するようになりました。
だから私は、自分の心の情緒を酒にして、誰かに伝えてみたい。
そしてその成果で家族や仲間と営みを続けてみたい。
心の情緒を表現しながら誰もが歓喜する私たちの営みの酒。
その酒をつくることは、果てしない、終わりのない真我への冒険です。
ブッダやキリストは自我を捨て、自分そのものが真我に到達した聖人。
そして世阿弥は舞台を離れ、宮本武蔵や伊藤一刀斎は剣を置き、ベートーヴェンは聴力を失い、バカボンのパパは名前を捨てて真我の世界を表現しました。
自分自身が真我に到達できなくても、彼らほどのものが残せなくても、自分が創り出すもので真我を表現することは出来るかもしれない。私はそれに挑戦したい。その成果で日本酒という分野の概念を拡張して後世にこの想いを残したい。
日本酒からアルコールを無くしたら何が残るのだろう。
私から酒造りを無くしたら何が残るのだろう。
日本酒からアルコールがなくなったとしても、そこには多くの者たちの愛が残っている。
私から酒造りを無くしても、母からもらった情緒がある。
誰にとっても同じはず。
愛を与えられたあなたは孤独であるはずがない。
そのことを多くの人に伝えることはとても難しいことかもしれません。
特に日本酒で、味覚だけで伝えることは本当に難しい。
だからまず、日本酒で仲間と群れをつくる。
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あとはその多くの仲間とともに、豊かな時間を造って多角的に人に伝えていくことが必要です。日本酒だけで100%伝えようとは思わずに、仲間たちが表現する詩とともにこのイトナミの価値観を伝えていく。
人生や、愛を与えてくれた先人たちが、あなたに問いている。
あなたの情緒は伝わらない。
誰かに伝えられないからこそ、それは唯一無二の尊いものなのだ。
それでも、あなたは誰かに愛を与えようと、挑戦し続けていきますか?
私はイエスと言いたいと思います。
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愛を与えてくれた主な参考書籍
・岡潔
・VEフランクル
・エーリックフロム
・北斗の拳
・手塚治虫
・天童荒太
など
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