見出し画像

零落

12/10

 知り合いの画廊に行ってきた。おもしろかったし刺激になった。絵は特に描いてないし今後も描く予定はないけれど、描くのも見るのもわりと好きだ。小学生の頃は絵ばかり描いていた。ドラゴンボールの絵とか何故か浮浪者の絵とか。今でも描けるけど、あの時とレベルは変わらない。絵には限界を感じる。そこが音楽と違うところだ。音楽はいくらやっても「まだまだ」という感じで、いくらでも伸び代があるように思う。ドラムとかギターとか理論とか、学べば学ぶほど深い海のように沈み色んな要素が出てきて、一つを極めようと思っても無限に広がっていって収拾が付かない。目には見えないくせに、どれほど学んでも追いつかない。だからみんな辞められないのかな。あまりにも大き過ぎて掴みきれないから。

 人にオススメした漫画を読んでみたらすごく面白かった。自分で勧めたいくせに自分が感化されてしまった。あまり細部までは覚えていなくて「確かめっちゃおもしろかったよなー」くらいの記憶だった。それを読んだらちゃんと細部までおもしろかった。こんな漫画勧めてくる人がいたら思わず嬉しくなってしまう内容。そう思ってくれたら嬉しいのだけれど、どうなんだろう。誰かの喜びが自分のそれになるなんて、昔はあまり考えてなかったな。自然とやっていたのかもしれないけど、もっと自分自分自分で生きていた。今は自分なんてどーでもいいと思ってしまう。誰かの為なら身を粉にしても構わない。そんな風に思うけど、結構些細なことでイラついたりしてしまって、修行が足らんなーなんて思う。でもそれが人間なんだ。いつまで経っても完璧なんかにはなれない。

12/11

 ROSSOの『シャロン』と『1000のタンバリン』を繰り返し聴いている。とてもカッコいい。やっぱり疾走感がある曲っていいなと思う。久しぶりに長い時間ギターを弾いて歌ったりして、自分の曲を録音して聴いてみて、悪くないじゃんって思えた。2ヶ月以上まともに歌ってなかったけど、あんまり声が出ない感じはしたけど、なんとかできた。自分の声は昔から嫌いで、録音した喋り声とか聞くとすごく嫌な気分になってた。「本当はこんなんじゃないのに」って。でも歌声は普段の声とは違うからそんなに嫌いではなかった。そのうち配信とかするようになって、自分の放送を見返したりしていくうちに、喋り声を聞いてもなんとも思わなくなった。今日録った自分の曲もわりと何度もリピートした。歌声は、うん、わりと好きだ。音程とか細かいところはまだまだ甘いし気になるけど、ずっと聴いていたくなるような心地よさはあった。それが自分にとって救いになる。チバユウスケみたいなしゃがれ声は出ないし、歌モノよりだからあまり疾走感もないけど、自分が好きで作った曲だから、当たり前に自分は好きだ。当たり前なのかもしれないけど、それがとても嬉しいんだ。

 ちょっとだけ無理をしたせいか疲れが溜まっていて、ずっと布団にくるまってROSSOを聴いている。たまに猫が近寄ってきて一緒の布団に入ってきたりするけど、今は飽きたのか自分のベッドに行ってしまった。彼女と同棲なんてしたことがないけれど、こんな感じだったら楽だろうなと思う。吠えないし散歩もいらないし、犬より猫の方が断然楽だ。でも猫も毎日のように甘えてきたりする。結構寂しがりなんだ。動物はどこまでも欲望に正直だ。自分に嘘はつきたくない。やりたいことが法に引っかかってないことで良かったと思う。だってやりたいことがストーカーとか痴漢とか人殺しだった自分に嘘を付く他ないから。特に我慢することなくやりたいことをやれる。それだけでもありがたいことなのかもしれない。あー、名曲というのは何度リピートしても飽きない。たまに狂ったように同じ曲を聴きたくなることがある。自分もそんな曲を作ってみたい。もし誰かのそれになれたなら、それだけで音楽をやった意味がある。それが例え1人だったとしても、僕にとっては生きててよかったと思えるくらい価値がある。

  誰かに読んでもらう文章を書く機会が増えた。とてもいい流れだと思う。原因ははっきりしている。この流れを作ってくれてありがとうと心から思う。それは音楽を再開したから起こったことで、今音楽をやれているのは昔の自分が音楽をやれるスキルを身につけたからで、それはもう中学時代とかまで遡ることになるわけで、全ては繋がっているのだなと実感する。文章を書く習慣ができたのも中学生の頃で、その発端はやはり音楽だったりする。今までお付き合いさせてもらった人は全員音楽繋がりで、未だに仲良い人とはどこかしらで音楽が関係してたりして、これから出会う人のほとんどは音楽を通じてなんだと思う。なんなんだろうな本当に。だから気軽に「音楽が好き」なんて言えないんだ。ファッションなんかじゃない。もっと深く自分に根付いていて、切り離したくても離せないもの。10年離れてもまた快く迎え入れてくれて、新しい出会いや刺激をくれる。なんかもう本当に頭が上がらない。だからこそやらなきゃって、今思えていたりする。


 これを読んだ人は、どんだけ書くねん、って思うかもしれない。でもこれが自分にとっては普通で、誰にも見せない日記をほぼ毎日このくらい書いていたりする。誰にも読んでもらえなくても書きたくなるし、書かないと心も身体もおかしくなってしまう。だから書くしかない。音楽もそれに近いのかもしれない。やらないとウズウズしてくる。よく10年も離れていたよなーと思うけど、その時はその時で他のことを頑張ろうと必死だった。でもたぶん、本当の意味で代わりになるものはなかったんだろうと思う。だからこんな歳になって無様にも戻ってきてしまったんだ。でも今しかできないことが結構あって、昔は一直線だったものが柔軟になって、それはドラムのプレイとか曲作りに現れてて、自分にしかわからないことだろうけど、成長みたいなものを感じる。休んだからこそ、たぶんもう辞めないだろう。僕の好きなミュージシャンはしばらく音楽から離れたりしている。レジェンドみたいな人たちはそんな時期があったりする。でもやっぱり戻ってくるんだ。ずっと忘れられない元恋人みたいなもので、その人はいつだって自分を迎え入れてくれる懐の深い人。そりゃみんな戻るよな。当たり前だよな。

 冬の星に生まれたらシャロンみたいになれたかなって、シャロンって誰だよ。リンダリンダって、リンダって誰だよ。そんなことどうでもいいと思えるのが音楽のいいところだ。カッコよければどうだっていい。全部ぶっ壊してくれ。もしくはやさしく包み込んでくれ。誰が何を歌っていようがかまわない。その人にしか歌えないものを歌えばいい。僕もそうする。自分の声は他の誰かには出せないし、自分の曲は他の誰かには作れないのだから。せっかく歌えて作れるんだから、それをやらずに終わるのはもったいない。ギターを持っていても何もできない人もいる。その能力っていうのは、たまたま生まれ持ったものだと思うから、だから神様に感謝して、音楽をやりたい。やっていきます。

 とあるバンドのドラムの脱退が決まったらしい。詳しくは言えないけれど、つい最近おしゃべりさせてもらって、「あーこういう人がのほほんとした人が売れたりするのかな」なんて、ちょっぴり感銘を受けてたところにこのニュース。バンドって本当に生モノだ。生きているから変化して、進化して、退化して、いずれは無くなる。人間の数だけドラマがある。バンドは1人じゃできないから、そりゃもう様々な物語があるだろう。人に言えることも言えないことも。人様を批判するような人はそんなに立派な人生を送っていらっしゃるのかね。僕は誹謗中傷をしないと決めているけど、それは自分が誰かにどうこう言えるほどの人間じゃないと思っているからだ。誰かのことを言うよりも自分をなんとかしなくちゃならないんだよ。そんなのは当たり前のことだと思う。

 自分が過去やっていたバンドは全て解散した。大体はみんな結婚しているから、幸せにやっていることだろう。そうじゃない人もいる。死んでしまった奴もいる。チバユウスケが亡くなって、The Birthdayは活動できなくなった。ボーカルは代わりがきかない(ことの方が圧倒的に多い)から、背負うもの質が違うのだろうと思う。僕も少しボーカルを齧っているから、なんとなくわかる。でもドラムをやっているバンドも自分以外がやるのはありえないなんて思っちゃってる。よくわからないね。銀杏BOYZは峯田さん以外辞めちゃってサポートだし、ホルモンも今の人たちがオリジナルメンバーではないし、ハイスタは恒さんが亡くなってしまったけど動こうとしている。ローリングストーンズはまだやってるんだっけか。本当に面白いもんだと思う。人生って不思議だ。ドラマの連続だ。まさか生きててこんな続きがあるなんて思ってなくて、毎日新鮮で刺激的で、たまに絶望的で、でももう行くとこまで行ってやろうと思っている。若い時にはわからないことが今はわかったりする。でもそんなこと知らない人に言われても若い時にはわからないだろうから、生きて体感するしかないんだよな。

 人生ってすごい。こんなものを作った神様はやばいやつだ。音楽ができるのは人間だけ。笑えるのも人間だけ。何をしてもしなくても死ぬ。心臓は勝手に動くけど、いつかは必ず止まる。生きてるうちだけドラマがある。良いことも悪いことも。なるべく楽しんでから死にたいよ。できれば誰かと共に生きていきたいよ。そんなことを思いながら、また今日も文章を書いている。

 それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?