怒らない育児でそだてられた人➃

子供達の早過ぎる春休みにnoteを書く時間が真っ先に削られております。長らくお付き合い頂きました怒らない育児で育てられた人シリーズも本日で最終話です。


一度声を荒げた借金取りの人は、それからも毎回声を荒げる様になりました。きっと、彼にも怖い上司がいたのでしょう。私の中でどんどん「怒鳴られる」事や「怒られる」事が死ぬほど嫌な事と言うよりも、普通よりちょっと嫌な事に変わっていきました。

多分、慣れたのでしょう。

相手が怒鳴っている時は怖くて涙も出るし、自分の悪く無い事で泣かされる悔しさは堪らないものがありました。でも、沢山怒鳴られても次の日には彼らの言葉の半分以上は忘れてしまうのです。

そんなある日、私は学校で運動着を忘れてしまいました。今までなら『持ってきたはずなのに無い』などと見えすいた嘘を吐いていた所ですが、『すみません、忘れました。』の言葉がすんなりと口からこぼれました。【言った】というより【こぼれた】がしっくりくる。そんな感じでした。

先生は顔色を変えずに『次、気をつけて。今日は見学。』の一言で何事も無く授業に戻りました。あまりにあっさりと【怒られ終わり】ました。

それ以降も私は何度も色んな先生に怒られましたが怒られぬ様に嘘を吐き、怒られる事を回避してきた頃よりも、心が軽くいられました。今でも不思議なのですが借金取りに毎日怒鳴られる事で、他の人の怒り方がとてもライトに感じるようになったのです。

そこから、私と借金取りの人達との距離も変わりました。彼らがどんなに怒鳴っても、彼らを見て怒鳴られる事が出来る様になりました。すると彼らの怒る時間が日に日に短くなっていくのを感じました。

これは怒られている最中に、よく先生が言っていた『ちゃんとコッチ見ろ!』という言葉を守ったからです。怒られるのにも作法がある事を、私は言われるまで知りませんでした。

言われた事には大きく返事、謝る時は相手の顔を見て。頭はちゃんと下げる。

結局、必要以上に怒られるのを回避する方法は怒られる事でしか身に付きませんでした。


その後、法律が変わり自宅にいかにも怖い格好をした借金取りの方々が来ることは無くなりました。私はあの日々の経験から、すっかり怒られるのが上手くなり、どの職場で怒られても虐められてもハブられても1年もすると1番虐めてきていた人に可愛がってもらえる事が多くなりました。

これが、理想とされる怒らない育児で育てられた人間の半生の一例です。

怒られないという経験は、結局わたしにはプラスにはなりませんでした。世界中の人々が【怒らず叱る】タイプの人なら良かったのかもしれません。でも、社会に出たら怒らない人を見つける方が難しい。

怒る作法も怒られる作法も、父と母をどんな時も大好きだった幼いあの頃に教えて欲しかったなと今は思います。きっと、怒られても怒鳴られても私は両親が大好きだったから、もっと早く怒られ上手になれてたんじゃないかなと思うのです。



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