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2020年にガサラキを見て

なぜ今ガサラキ?

1998年サンライズ発、装甲騎兵ボトムズで有名な高橋良輔監督によるロボットアニメにしては奇作といえるガサラキ。今月はじめにようやく視聴を終えた。なんだかすごいものを見てしまったぞ…。リアル系ロボット、かなりリアルな政治経済の舞台背景、伝奇要素、高次元の存在、悲しみを生む戦争の輪廻とその断ち切り、時を超えた運命的なロマンス…

Twitterには(わたしのタイムラインには)ときどきガサラキおじさんが現れる。ガサラキはいいぞと勧めてくれる妖精みたいなものだ。しかし彼らは具体的にどういいのかあまり語ってくれない。いいぞと勧めたあと、能を舞い、黙って石の舞台に足を打ち付けるか、心拍数を早めてハァハァと呼吸を荒げるだけ。あるいは左手首をくるくる回してサムアップするばかりで具体的にはなにも教えてくれない。これはもう自分の目で確かめるしかない。

コロナ禍の影響で能の無観客上演をyoutube配信していたのでそれを見たり(自分のような下々の者でも芸術の恩恵に肖れるとはいい時代です)、能の基本的な決まり事や歴史を少し勉強して、ようやく視聴できたというわけだ。

90年代の政治・経済・軍事、ときどき能とTA

あれほどかまえて挑んだが「能度」はそんなに高くなかった。むしろyoutube配信で現役能役者の演や地謡、演奏を見たせいで目が肥えてしまい不満足だった。あれ?足をタァン!と打ち付けるんじゃないの?石舞台で音は鳴りにくいだろうがそんなトコトコ足ふみするような舞でいいのか?心配したがガサラキは能アニメではなくてロボットアニメなので能描写がざっくりでも全然問題はないのだ。能は機会をえて本物を観に行こう。

では能要素は必要ないかというとそうではなく、序盤は主人公のユウシロウが自分の幼少の記憶がなく「自分は何者なのか」ということを自問している。能の演出として主人公(シテ)は神がかった存在や霊的な存在で脇役との問答によってその正体を明かすという大まかな流れがある。約1000年前の戦の世の芸能であり、こういったところが数ある古典芸能から作品のエッセンスとして能が選ばれた理由ではないか。

ガサラキの能はわかった。じゃあロボットがめちゃくちゃ活躍するんだろ!…というわけでもなかった。二足歩行の搭乗型ロボットが90年代当時の軍事事情に近い環境で活躍できる場面と後方支援やメンテナンスの様子にこれでもか!というくらい描写に大半が割かれている。前半の舞台も中央アジアの砂漠地帯で1991年に起こった湾岸戦争とその後の紛争を彷彿とさせた。二足歩行兵器に説得力を持たせるための徹底した姿勢。リアルロボットアニメのリアルさをできるところまで追い求めた作品だと思う(それが視聴者に受けるかどうかはさておき)。

もう一つ特筆すべきは政治経済の描写が容赦なかった。作中ではテレビのニュースが幾つも何度も放送されていてアナウンス内容も凝っている。当時はまだネットより遥かにテレビに情報を頼っていたのでこれだけでも物語にかなりの現実味を帯びさせていただろう。日米貿易格差や不利な条約に対する世論の不満(2008年のリーマンショック以来アメリカ経済も大変になったし2020年の今でこそ下火だが当時は議論の的だった)、憲法9条問題、日本へのアジア系移民の増加…これさぁリアルタイムで見てる少年少女たちは内容についてこれるんか!?リアルタイムで内容を掴めたのはそれこそ政治経済に明るいガサラキおじさんだけだったのではないか?

西田啓という強烈な存在

極めつけは国学者・西田啓という憂国の老人の存在である。登場直後はかなり右寄りと取れる発言が多くてヒヤヒヤした。研ぎ澄まされた刃の美しいその切っ先によく似た西田先生の横顔…。彼の「真意」、特務自衛隊の解体という大きな目標はギリギリまで明かされなかったので、最後の最後までヒヤヒヤした。実際彼のとった政治行動の結果命を落としたり傷ついた人は大勢いる。主人公のユウシロウも行き過ぎたTA実験で自衛隊員に犠牲が出たことを知り、西田氏の右腕である広川参謀におまえらぜったいゆるさないからなと詰め寄っている。

しかし西田氏はユウシロウと同じく悲しみと争いの連鎖を断ち切るために彼のやり方で奔走した人だった。西田氏は思想家・政治家として犠牲が出ることを承知の上で国の指揮を執り行い、ユウシロウはいちパイロットとして現場で傷つく人を見ながら負の連鎖に立ち向かった。

それだけに終盤で発覚する超現実なことがらに宇宙ネコみたいにぽかんとしまった。予想の斜め上をはるかに超えていた。たしかに月を観察してる衛星や謎の「生体兵器」骨嵬など、伏線がなかったわけではないけれど、そんなことまでは考えつかなかったよ…。

高橋監督はきっとロマンチスト

ここまで無骨な話しかしてこなかったが、ユウシロウとヒロインのミハルの世代を超えて繋がる記憶による運命的な邂逅なんてかなりロマンス度が高いとはおもわないか諸兄?平安編の神事という名の殺し合いで出会い、ユウシロウがミハルの首を討ちとらなかったゆえに芽生えた愛と、いっそ殺してほしかったと願うほどの苦悩…。エンディングテーマの曲名も「love song」と直球。歌詞の全文を確認してみると平安編でのミハルの思いが詰め込まれた歌で、すっかりガサラキおばさんと化した自分は涙を禁じえなかった。

そういえばボトムズだってフィアナとの運命めいた愛がキリコの行動の原動力であった。運命の恋人たちを描く高橋監督はきっとロマンチストだ。

OBSOLITE見よう

タクティカルアーマーの雷電は無骨でかっこいい。ごく最近ロボット魂で発売されてTwitterで画像が流れてくるたびうらやましく思う。しかしいかんせんロボットの活躍が見たいという人にガサラキはおすすめしづらい。時代背景もこの20年ですっかり変わってしまったのでどうしても古く感じてしまう部分がある。ガサラキおじさんたちが能を舞うばかりで詳しく教えてくれなかったのはこのせいだ。一言でキャッチーに説明することなんて到底できない。

では何がおすすめできるかというと、高橋監督が企画プロデュースとして関わっているOBSOLITEだ。脚本は虚淵玄氏、アニメーション制作は武右ェ門。1話15分前後のミニマムな構成でありながら必ずロボットの戦闘があるサービス精神の塊みたいな作品で、なんとyoutubeで手軽に見ることができる。まだシーズン1を終えたところで、次シーズンは今冬公開予定とのことなので、今のうちに視聴して備えよう。石灰石1トンと引き換えに異星人からもたらされたエグゾフレームには何が秘められているのか…。刮目せよ。

さて、これからは自分も立派なガサラキおばさんとして左手首をクルクル回してサムアップしようと思う。


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