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留学生活食事編「大連遼寧師範大学付近の食事処や露店 」 30番

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私は、いつものように7時に1階のロビーのレストランへ行き、いつもの食べ物を取り、いつものテーブルの場所へ座り、朝食を食べてから、部屋へ戻り黒いリュックサックに教科書、ノート、筆記用具、電子辞書、眼鏡(老眼鏡)を入れて、黒い丸い帽子を被り、グレイの手袋をして、部屋の日本から持って来たスリッパから、茶色のスニーカーへ履き替えて、学校へ行きました。

教室へ入るとまだ誰も来ていなくて、直ぐ先生が来て、8時の始業近くになって1人1人と学生が来ました。しかし、日本人の学生は授業が始まっても来ませんでした。

すると日本人の学生福田さんが、第1時限が終了した休み時間10分間の時に遅れて教室へ入って来ました。李さんが「オハヨウゴザイマス」と、上手い日本語でさわやかな声で福田さんへ向いて声を掛けると、福田さんは、静かに聞こえるか聞こえないような声で「オハヨウゴザイマス」と言い一番後ろの私の後ろの席に座ったのです。

私は、日本から持参の携帯電話が壊れたので、李さんから聞いた店に、授業が終わってから、大学の5号館の宿舎の寮のある下の方の門から、外へ下るように、幅10メートル位の道のがたがたする舗装されていない道を、歩きながらバス停に向かう途中、両側にいろいろな小さな1坪の出店や青空の見える店や、傾いているかのようなビルの1階とかにある店や、軒先にテントを張っているような店や、ビニールハウスの大きい店や、小さい店とかカラフルに右に左に沢山ありました。

ミカンを自分でいる個数だけ袋に入れておばさんに渡すと、少し増やしてくれてそのまま量り売りして端数だけ切る娘さんと、親子でやっている果物店や、70歳位のお母さんに店番させて近くにいてお母さんから、これ幾らと聞かれると怒ったような声で、値段を言う青空の下にただ1メートル位の高さに板を数枚並べただけの、横幅5,6メートルの板の上に、無茶苦茶沢山の何時の時代の本か、解らないような汚くて汚れた、中には破れたまま、いや表紙が半分取り掛かっている古本屋がありました。

また、2件並んでビルの1階にある、韓国の小さなまあまあ普通のレストランで、カレーの色が薄黄色で日本のカレーの味で言えば、気の抜けたサイダーのような感じの味がした、カレーを出す店だけれども、オムライスは結構美味しい味の韓国人の経営する飲食店とか、軒を借りて中年の夫婦と時々応援に来る娘と息子と一緒にやっている、中年のぽっちゃりした体系の愛想のいい、よく喋る奥さんが中国風おでんを作り売り、店の奥でお弁当を奥さんの注文の声を聞き分けて、お客様の注文の弁当を作る中年の背の高い旦那さんのいる出店飲食店と、1坪の広さに20歳代のややぽっちゃりとした娘と角刈りの怖そうな顔をした30歳代の息子と、中年の小柄なお母さんの3人の親子でやっているカツ中心の野菜弁当もある6種類弁当の店等々、沢山の店がありました。

また、李さんから、あそこの3人の親子でやっている弁当屋さんの弁当結構美味しいから、中国語で書いてあるメニューの貼ってある紙の上から2番目を指差して注文して買うといいよとか軒を借りてやっているおでん屋さんの弁当は、右の壁に貼ってある中国語で書かれたメニューの紙の3番目の弁当が美味しいから指差して注文するといいよと教えて貰いました。

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