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留学生活「文丽ウエンリー家庭教師及び遼寧師範大学日本語学科4年生の女学生と互相学习フーシアンシュエーシィー編」120番目

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私が、部屋で待っていると、トントンとドアーを叩く音がして、ドアーを開けると文丽ウエンリー家庭教師の先生が立っていました。
先生に部屋の中へ入って貰い、荷物をベッドの上に置いて、私の机の右横の所定の椅子に腰掛けて頂き、今日の会話の授業が始まりました。

私は、今日は何を話そうかと考えて、自分が27年前から、花粉症になり今、現在も毎年2月終わりから5月の初めまで、くしゃみ鼻づまり目のかゆみに悩まされている事を、中国語で単語を結びつけながら先生に話しました。

そして、7年位前から、臭いと言うものが、感じられなくなり、会社にいる頃でも、みんながガス臭いねと言っても臭わなかった位で、どうすればよいものかと、耳鼻科へ通ったりしても駄目で、当時、タロット占いで見て貰ったら、過度のストレスから来ているから、会社を辞めたら直るでしょうと言われた事などを話しながら、実は、中国大連市へ来るまでは、まだ、臭いの感覚は、戻っていなかったけど、大連に来て大学からスーパーへ買い物に行く道すがら、いやな臭いがする所が多くあるので、其の臭いに反応している自分に気づいて臭いが解ると言う感覚を此処へ来て大分戻ったことを話しました。

すると文丽辅导老师ウエンリーフーダオラシーつまり、ウエンリー家庭教師の先生は、中国語でこう言われました。『您从二十七年得鼻炎,那是职业病,所以,您的鼻子闻不到气味。现在,鼻子好一点儿了。心理健康影响身体健康。您应该再找别工作。』ニンソーンアーシーチーニエンデエイビーヤーン、ナーシージーイエビーン、スオイイ、ニンダビーズウエンブーダオチーウエイ。シエンザイ、ビーズハオイーディアーラ。シーンリジエンカーン。ウオイーンガイザイジャオビエゴーンズオ。
日本語で、私は、27年前から、鼻炎にかかった、それは、職業病です、だから、私の鼻は、臭いが臭わない。今、鼻は、少し好くなった。
心の健康は、体の健康に影響する。私は、別の仕事を見つけなければならない。と言われました。私もそうだな~と思いました。

16時から18時まで、遼寧師範大学日本語学科4年生の女学生の如何にも田舎の娘さんと言う雰囲気のこの所アルバイトでなかなか会えなかった郭さんと必ず相互学習(私が、部屋で待っていると、トントンとドアーを叩く音がして、ドアーを開けると文丽ウエンリー家庭教師の先生が立っていました。
先生に部屋の中へ入って貰い、荷物をベッドの上に置いて、私の机の右横の所定の椅子に腰掛けて頂き、今日の会話の授業が始まりました。
私は、今日は何を話そうかと考えて、自分が27年前から、花粉症になり今現在も毎年2月終わりから5月の初めまで、くしゃみ鼻づまり目のかゆみに悩まされている事を、中国語で単語を結びつけながら先生に話しました。そして、7年位前から、臭いと言うものが、感じられなくなり、会社にいる頃でも、みんながガス臭いねと言っても臭わなかった位で、どうすればよいものかと、耳鼻科へ通ったりしても駄目で、当時、タロット占いで見て貰ったら、過度のストレスから来ているから、会社を辞めたら直るでしょうと言われた事などを話しながら、実は、中国大連市へ来るまでは、まだ、臭いの感覚は、戻っていなかったけど、大連に来て大学からスーパーへ買い物に行く道すがら、いやな臭いがする所が多くあるので、其の臭いに反応している自分に気づいて臭いが解ると言う感覚を此処へ来て大分戻ったことを話しました。
すると文丽辅导老师ウエンリーフーダオラシーつまり、ウエンリー家庭教師の先生は、中国語でこう言われました。『您从二十七年得鼻炎,那是职业病,所以,您的鼻子闻不到气味。现在,鼻子好一点儿了。心理健康影响身体健康。您应该再找别工作。』ニンソーンアーシーチーニエンデエイビーヤーン、ナーシージーイエビーン、スオイイ、ニンダビーズウエンブーダオチーウエイ。シエンザイ、ビーズハオイーディアーラ。シーンリジエンカーン。ウオイーンガイザイジャオビエゴーンズオ。
日本語で、私は、27年前から、鼻炎にかかった、それは、職業病です、だから、私の鼻は、臭いが臭わない。今、鼻は、少し好くなった。
心の健康は、体の健康に影響する。私は、別の仕事を見つけなければならない。と言われました。
私もそうだな~と思いました。
16時から18時まで、遼寧師範大学日本語学科4年生の女学生の如何にも田舎の娘さんと言う雰囲気のこの所アルバイトでなかなか会えなかった郭さんと必ず相互学習(中国語で、互相学习フーシアンシュエーシィーと言います。)に来てくれる周さんの2人に、1階のロビーの窓側の入り口から2番目の長椅子に私横に郭さん、周さんと座りました。
今日は、前に話した日本の格言の話になり、その時に、私が、言わなかった格言で、私の好きな格言を思い出しながら、少し格言とは、違うかもしれないけど、勢いで気にせずに話していました。
例えば、「苦あれば、楽あり」「楽あれば苦あり」の話から、確か中国から伝わった話だと思うのだけど間違っていたらごめんなさいと前置きをして、私は、「人間万事塞翁が馬」の話を郭さんと周さんに尋ねると聞いたことが有りませんと言われました。
それで、私は、昔ある村に若者が戦争に行くので、甲種合格間違いないと言われていたのに、検査の前に落馬して、足の骨を折り、戦争には行けなくて、近所の人に、かわいそうだねと言われたが、其の若者の父は、何が幸いするか解らないからねと言った。その時に、検査で合格して兵隊に行った仲間は全員亡くなってしまった。其の足の骨を折った若者だけが助かった。すると、近所の人が、今度は、足の骨折ったお陰で戦争に行かなくて命拾いしてよかったねと言ったが、其の若者の父は、何が災いするか解らないからねと言ったというお話をしました。 
だから、今、与えられた環境の中で、精一杯不平不満言うことなく、全力で精進する事が大切だと思いますよと自分に言い聞かせながら、郭さんや周さんに話していました。
そして、何時しか話が盛り上がり、「鏡の法則」や「ブーメランの法則」の話までしてしまい、2人は、解りましたと笑顔で帰って行かれました。
18時30分から19時30分まで、交通大学の郭先生と単語の発音練習の後に、文章を読む練習をしましたが、郭先生が文章読んで私が、続いて読むのですが、何時の間にか今日も居眠りをしてしまいました。郭先生から、可也疲れている様子だから、早く寝た方が良いですよと言われました。 そして、まだ、痛む左の奥歯の腫れているのが引いたり腫れたりの繰り返しも疲れている証拠ですよと言われました。
また、中国語で、中国老人常说「牙疼不是病疼起来要人命」我回答「我一定要记住这句话」チョングオラオレーンチャーンスオー「ヤーターンブーシ ビーンターンチーラーイヤオレーンミン」ウオホイダー「ウオイーディンヤオジージュウジャージュィホア」とも言われました。日本語に訳しますと、中国の年寄りは、よく言う「歯の痛みは病の痛みではなく人の命に及んでくる」位恐ろしいから一層気をつけなければいけないと。私は、答えました。「私は、この言葉を記憶に留めて置きます。」と。
19時40分に、私は、517号室の日本人の毎朝、朝食を一緒に食べている女性の玉田さんと1階のロビーで待ち合わせをして、夕食に一緒に出かけて行きました。
宿舎の寮から一歩外へ出ると、マイナスの10度近くまで下がっているために、セーターも着込み更に上に帽子付きダウンジャケットの厚手の物を着込んでも寒いと言うよりは、冷たく刺すような感じの寒さで、すれ違う学生は、全て帽子付きのダウンジャケットとボア付きの靴を履いて歩いていました。私と玉田さんは、宿舎の寮の下の大学から出る門を出て、坂道を下の方へ話しながら歩いて行き、最初の突き当りにある老婆と息子の露天の本屋を、右へ回り直ぐに左へ下がり3件目の間口一軒位の引き戸を左に引くと軽く開いてしまった戸口から中へ入ると、鰻の寝床のように奥に長くなっていて真ん中辺りに、1人が中に入れる位の小さなレジカウンターが有り、其の上1メートル位の所に15インチ位のテレビが置いてあって、常に韓国放送が流れていて、若い男女が3人程で商いしている韓国料理店へ夕食に行きました。
この韓国料理店は、私は、2回目で、玉田さんも何回か来て見えました。
私と玉田さんは、9時ごろまで、談笑しながら、授業の話や今の日本人の若い人たちが、寮を出て1人でアパート借りて外で生活していることや、玉田さんが1人で大連の街へあの古くて汚くて中国人で無茶苦茶混んでいて、会話が中国でやかましいバスに乗って行った話や、玉田さんのクラスは、初級3班で日本人が半数位いて、余り積極的ではない様子の事やお互いに留学をどこの旅行会社で来たのとか話しました。因みに玉田さんは、JTBを利用して来られて、私は、毎日新聞社の毎日エドケーショーンを利用して来ました。
 朝食6元 昼食13元 夕食26元 合計、45元 (日本円で、670円位です。)
と言います。)に来てくれる周さんの2人に、1階のロビーの窓側の入り口から2番目の長椅子に私横に郭さん、周さんと座りました。

今日は、前に話した日本の格言の話になり、その時に、私が、言わなかった格言で、私の好きな格言を思い出しながら、少し格言とは、違うかもしれないけど、勢いで気にせずに話していました。
例えば、「苦あれば、楽あり」「楽あれば苦あり」の話から、確か中国から伝わった話だと思うのだけど間違っていたらごめんなさいと前置きをして、私は、「人間万事塞翁が馬」の話を郭さんと周さんに尋ねると聞いたことが有りませんと言われました。

それで、私は、昔ある村に若者が戦争に行くので、甲種合格間違いないと言われていたのに、検査の前に落馬して、足の骨を折り、戦争には行けなくて、近所の人に、かわいそうだねと言われたが、其の若者の父は、何が幸いするか解らないからねと言った。その時に、検査で合格して兵隊に行った仲間は全員亡くなってしまった。其の足の骨を折った若者だけが助かった。すると、近所の人が、今度は、足の骨折ったお陰で戦争に行かなくて命拾いしてよかったねと言ったが、其の若者の父は、何が災いするか解らないからねと言ったというお話をしました。

 だから、今、与えられた環境の中で、精一杯不平不満言うことなく、全力で精進する事が大切だと思いますよと自分に言い聞かせながら、郭さんや周さんに話していました。

そして、何時しか話が盛り上がり、「鏡の法則」や「ブーメランの法則」の話までしてしまい、2人は、解りましたと笑顔で帰って行かれました。
18時30分から19時30分まで、交通大学の郭先生と単語の発音練習の後に、文章を読む練習をしましたが、郭先生が文章読んで私が、続いて読むのですが、何時の間にか今日も居眠りをしてしまいました。郭先生から、可也疲れている様子だから、早く寝た方が良いですよと言われました。

 そして、まだ、痛む左の奥歯の腫れているのが引いたり腫れたりの繰り返しも疲れている証拠ですよと言われました。
また、中国語で、中国老人常说「牙疼不是病疼起来要人命」我回答「我一定要记住这句话」チョングオラオレーンチャーンスオー「ヤーターンブーシ ビーンターンチーラーイヤオレーンミン」ウオホイダー「ウオイーディンヤオジージュウジャージュィホア」とも言われました。日本語に訳しますと、中国の年寄りは、よく言う「歯の痛みは病の痛みではなく人の命に及んでくる」位恐ろしいから一層気をつけなければいけないと。私は、答えました。「私は、この言葉を記憶に留めて置きます。」と。

19時40分に、私は、517号室の日本人の毎朝、朝食を一緒に食べている女性の玉田さんと1階のロビーで待ち合わせをして、夕食に一緒に出かけて行きました。

宿舎の寮から一歩外へ出ると、マイナスの10度近くまで下がっているために、セーターも着込み更に上に帽子付きダウンジャケットの厚手の物を着込んでも寒いと言うよりは、冷たく刺すような感じの寒さで、すれ違う学生は、全て帽子付きのダウンジャケットとボア付きの靴を履いて歩いていました。私と玉田さんは、宿舎の寮の下の大学から出る門を出て、坂道を下の方へ話しながら歩いて行き、最初の突き当りにある老婆と息子の露天の本屋を、右へ回り直ぐに左へ下がり3件目の間口一軒位の引き戸を左に引くと軽く開いてしまった戸口から中へ入ると、鰻の寝床のように奥に長くなっていて真ん中辺りに、1人が中に入れる位の小さなレジカウンターが有り、其の上1メートル位の所に15インチ位のテレビが置いてあって、常に韓国放送が流れていて、若い男女が3人程で商いしている韓国料理店へ夕食に行きました。

この韓国料理店は、私は、2回目で、玉田さんも何回か来て見えました。
私と玉田さんは、9時ごろまで、談笑しながら、授業の話や今の日本人の若い人たちが、寮を出て1人でアパート借りて外で生活していることや、玉田さんが1人で大連の街へあの古くて汚くて中国人で無茶苦茶混んでいて、会話が中国でやかましいバスに乗って行った話や、玉田さんのクラスは、初級3班で日本人が半数位いて、余り積極的ではない様子の事やお互いに留学をどこの旅行会社で来たのとか話しました。

因みに玉田さんは、JTBを利用して来られて、私は、毎日新聞社の毎日エドケーショーンを利用して来ました。

朝食6元 昼食13元 夕食26元 合計、45元 (日本円で、670円位です。)

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